スペイン伝統料理 オルナソ その4

Hornazos その4
(私の味見所見とちょっとした民族誌
私は、このオルナソが大好きです。一番サラマンカの伝統料理の中で何度も食べているものの一つでしょう。サラマンカで美味しいものといったら先ず何といっても生ハム、チョリッソ、ロモ等という豚の伝統的加工肉、保存食類でしょうが、このすべてを盛り込んだものですから、美味しいし、高級感もあるものになるのは当然だといって良いでしょう。作ってみると、皮の部分が凝っているということが分かりますが、火加減も上手に焼き上げると、皮も大変美味しいものになっています。
オルナソというエンパナーダは、民衆の伝統料理の中でも、おそらく大変贅沢なご馳走だったと思います。大変食べでがあるものですし、何日かの保存も可能でしたでしょうし、材料も高価なものについたことでしょう。イベリア・スペイン語文化圏のところでは何処でも馴染みのある通常のエンパナーダについては、予定している別のレシピを参照してください。簡単な食事として、エンパナーダという名称で、何処ででも売っているものは、もう少し簡単なものです。しかし、今日では、オルナソもお金さえ出せば、良いお菓子屋さんに行けばいつでも買えると思います。私たちはあまりにこうした非日常的だった食物に慣れすぎて、日本語で『エスニック』とか言う妙な国籍不明の商業化された料理の方に興味をとられがちなのは、ここの若い人たちにも観察されることですが、しかし、まだ、オルナソについては、老若問わず、当地の人すべてにとって、「故郷」「その人々」こちらで言うpuebroに結びついた特別なものであるように感じます。多分、お雑煮が、どんなに伝統食が忘れられても、忘れられることがないだろうと私は想像しますが、オルナソの運命も、そうしたものの一つではないかと思います。私は若い世代の方が、新しいもの、珍しいものに強い関心を持って試食していく傾向を大事なことだと思っています。それこそ若者の優れた特性の一つです。しかし、簡単に『日本化』して納得してしまうとすれば、それは残念なことです。もう少し、『本物』はどんなものなの?と追求していただくと、その食物を取る人々の日常生活の理解が進んで、本当におもしろくなるだろうな、と思います。
 そこで、こうしたオルナソについて少し詳しい情報を提供しておきましょう。以下の情報ソースはRosa Lorenzo(Etonografa民族誌学者 estonografia 民俗誌学)さんの新聞への寄稿論文で、私の希望に応えて、この資料を紹介してくれたのは、この講座の講師の方です。最初の前半では、サラマンカ県の村落や都市によって、料理法が少しずつ異なっていることが紹介されています。後半では、オルナソが何時食べられるのか、土地によってそれが異なっているし、もっと興味あることは、オルナソを食べる事に結びつけられている伝説的な謂われがあることです。多少、堅苦しいので、以下、興味のない方は省略してください。

(新聞名不明)  Opinion Tribuna libre.
Martes ,13 de abril de 1999
La Gastronomia en las fiesta: El hornazo 祭りの伝統料理 オルナソ
食物は、人間存在が抱く信念や迷信と内在的に結びついているものです。非常に多くの食べ物が、人生のライフサイクルのそれぞれの時期、生誕、婚約、結婚、、死などの、いわば存在証明が行われ、それを記念するパーティ・祭りでの、象徴に満ちた儀礼のパンに結びつけられています。
 そうした儀礼的パンの一例がオルナソで、そのパン種はオリーブ油、ラードが用いられ、、豚肉、卵の製品が詰め込まれています。その家庭やパン屋のオーブンでの製造は復活祭の祭りと結びついて行われています。サラマンカのプロビンシア(県)では、中世から今日まで、完全にこうした伝統が効力を発揮して維持されていますし、Cantrapiedraのように、その記録も残っています。
 サラマンカのオルナゾは、土地によって多様な差異がありますが、そこに共通な性格があります。その多様性の類型やレシピも明らかにされていて、その良い例は Carlos Barco(ホテル・レヒオのコック)の書いたものです。パン種の味からいって、大きく、塩辛いものと甘いものの二つの類型が分けられています。
 先ず一般的なものは塩辛い方ですが、ここで紹介したものも最も一般化しているタイプで、材料としては、小麦粉、ラード、イースト菌、塩と卵、または、サンティバネス デ ベハールで習慣になっているように、アニスの種を使います。中身としてはハム、チョリッソ、ロモの切り身ですが、あらかじめ、炒めて、でてきた余分な脂肪をパン種に入れておきます。その他に加えるものとしては、土地によって、例えば、ベハールの豚の細切れの炒めたもの、ミランダ・デル・カスタニヤールやイツエロ・デ・アサバのサルチチョン(サラミ風のソーセージ、主に生食用. 註 )の伝統があります。アルベルカは一風変わっていて、パン種にサフランを加え、中身に、中心に生卵を丸ごと入れてその周りを囲むように細長いソ−セージのロンガニーサスをおき、食べるときに上半分の覆いをとって食べるという習慣になっています。
 Aldeadavila de la Ribera, Cepedaでは、甘いオルナソが作られます。アルバ・デ・トルメスでも同じで、この村の2軒のお菓子屋さんは、伝統的に小麦粉、ラード、牛乳、砂糖、イースト、塩、卵を加えていて、砂糖の入ったパン生地を作り続けています。チョリソ、ハモン、時に卵を中に入れて、スポンジのような柔らかいオルナソを作るのですが、パン屋のオルナソよりもお菓子屋さんのオルナソという感じになっています。
 外見については、円形、四角形、半月形などがあり、大体のところ、これにイニシャルとか、子鳥とか花の模様を付けています。もし子供や孫が幼児である場合、それは小さなサイズになり、頂点が十字の形に区画分けされて飾られる形となるでしょう。
 その食べ方は子どもや孫を連れて、ある特定の決まった日に、田園の一日で行われるのが普通です。県の多くの場所では、復活祭の月曜日に食べるものとなっていますが、その日付は地方によって違いがありますが、Merendero休憩の木曜日またはlarderoの木曜日(カーニバル謝肉祭,四旬節の三日間、二〜三月で年によって違う。その前の木曜。)から los Santos の日まで、と理解されて、いろいろです。Vilvestreでは El jueves Merenderohがオルナソを食べる日で、その日は子供達は小さなオルナソと,
Cepedaでも通常一緒に持って行かれるような濾したブドウの搾り汁からできた葡萄酒の瓶をもって野外にピクニックにでかけます。
VillasbuenasではSabado Santoに、Calvariode la ChiChichaと呼ばれる催しがあり、 Santa Marinaの僧院でオルナソスの奉献(通常はパンと葡萄酒で行う)がおこなわれます。
Cantalpiedra、Sobradillo,或いは、San Felices de los Gallegos のようなところでは、オルナソの日は、復活の日曜日です。Hinojosa del Dueroも同様で、この午後に子供達は野外に出てオルナソを食べ、脱穀場の芝生の上で「卵転がし」をします。母さん達は卵を玉葱の皮やアニリンと一緒にゆでて、派手な色を卵に付けてやります。
 Cepedaでは少し変わっていて、祭りをPiscuinaと呼ばれている次の日まで延長して行います。しかし、最も重要な日は、疑いもなく「復活祭の月曜日」です。Albercaでは,アルベルカの女性達がカトリック女王イサベラとフアナ・ラ・ベルトランシアの間で続けられた戦争で、ポルトガルの軍隊側のOcratoの修道院長の旗を奪った武勲 Matancias として知られる戦闘を記念して、La fiesta de Pend*on幟の祭り、またはDialpendon幟の日を祝います。この田園で過ごす一日の、特別の主役は脱穀場の芝生で食べられるオルナソです。
アルベルカの、今はもう失われた伝統ですが、あることを忘れないように、オルナソを天板の上に2つ残しておく習慣があったそうです。一つは名付け親が、「幟を贈る日」と呼ばれた日に、その名付け子のために上げなければならない義務であり、もう一つは、「Amor Serranoのしきたり」での「don Lorenzo Gonzalez Iglesiasによる取り入れ」です。この慣行は深夜12時に始まり、男性の恋人novioが女性の恋人noviaの家に呼ばれていき、「オルナソを贈る」或いは「幟を引き渡」されます。その中身は金貨や鎖、等で、換わりに靴下が贈られたりしたようです。(この時代にはnovio/noviaは、婚約している男女を指す言葉で、二人だけの事実上の恋愛関係にある人を一般的に意味する現代と、やや異なったニュアンスで用いられているようです。)
 これらの土地とは別の日が、オルナソを食べるための日となっている土地があります。それは、Cuasimodo,Abilloの場合のように、復活祭の8日目の月曜日「水の月曜日Lunes de Aguas」として良く知られている日であるところです。18世紀には、記録によると、「水の月曜日」はAldeanueva de Figueroa に存在していて、1753年エンセンナーダ侯爵の固定資産税課税台帳El Catastro del Marques de la Ensenadaに次のような現金支出の記録が見られます。
『7レアル10マラヴェディエスが「水の月曜日」の説教師の朝食として支払われた。3レアルが、「水の月曜日」の十字架を運んできたものに与えられた。』
 サラマンカ市では、この水曜日に野外のピクニックに出かけ、その時にオルナソは欠かすことが出来ないものであり、de Aguasとよばれていたそうです。そして、世俗的には16世紀の頃のことといわれていますが、四旬節が始まると都市を取り巻くリオ川の対岸に退去するのが義務づけられていた『公共の女性』(娼婦たち)が帰ってくる日ということに結びつけられた伝説の日となっています。サラマンカはスペイン・カトリックの学問的拠点であったところで、沢山の教会と僧院とその荘園があったところで、現代は二つの大学に別れていますが、中世から大学の町として有名なところでした。日本でもそうでしたが、そうした都市には「花街」があって、教会・大学と共に栄えていたようです。将来の特権階級候補生達は、上得意であったようで、40日の禁欲の祭りが明けて、都市に入る唯一の橋、ローマ橋を渡ってくる女性達を迎えて野外のピクニックを盛大に祝ったものだったそうです。現在は、「花街」は都市再開発でクリアランスの対象となって、生まれ変わっていますが、学生達はこの伝説に基づき、「水の月曜日」に学生会主催の大ピクニックを、郊外の公園で行っています。勿論、今は帰ってくる「公共の女性達」はいません。その日の夕方に、この大量の学生の酔っぱらい達が町の中に帰ってくるだけです。写真はそのトルメス川の対岸から、町の中心部の大聖堂を見たところです。

 観光都サラマンカでは、特別な歴史的意義のある催しを行うことは、その年の経済に大きな影響を持っていることが良く知られています。今年はイベリア・スペイン語文化圏の「世界スペイン語言語学会」がサラマンカで行われることになっていて、市としては大いに期待しているところです。この「水の月曜日」の伝統も、市としては大いに市の行事として行いたいわけですが、学生はウンといわなくて、今年も学生の独自行事としてやるようです。
 最後に、私の作品をお目にかけておきます。ご多分に漏れず、何の料理も作れなかった日本の老人男性が作ったものですが、この3ヶ月余りの勉学の成果として、合格点がもらえますでしょうか、皆様の判定をお待ちいたします。

註 salchichonに似た言葉に,salchichaという言葉があります。ソーセージとか腸詰めといわれるものにいろいろな種類があり、いわゆるベーコンにもバンセータとベイコン、またはバコンといわれる薫製のものがあります。厚く切ったパンセタを炭火で焼いてパンの上に載せたものなどは、日本にない食べ方で、脂肪が多くて健康には余り良くないでしょうが、大変美味しいと思います。腸詰めの大半の種類は乾燥したもので、こちらの人たちは、こうした乾燥したものの方を好んで食べているように思います。では、日本で言う生肉を腸に詰めた生のソーセージは食べないのだろうかというと、勿論料理して食べるのだそうですが、余り好きではないという方が多いようです。当地のレストランで料理した日本風のソーセージはみたことがないように思いますがどうでしょうか。salchichaという言葉のソーセージはこの生のソーセージです。