寝たきりの入退院をくり返しました。

「K,M様
先日、お会いしましたOさんの葬儀後、お変わりなくお過ごしのことと思います。人口動脈手術の退院の数日後というような、無茶な日程でしたが、あれからしばらくの間、人工動脈のインプラント後の痛みに耐えながら、リハビリなどに務めましたが、実はおおかぜをひいて、何となく命の危険を感じてかかりつけの総合病院に行きましたところ、肺炎という診断でそのまま緊急入院ということになり、11月末、漸く退院ということになりました。殆ど10月半ばの手術から11月末まで入院生活を送り、私たちの世代が積み立てることが出来た保険制度のおかげで高額な医療費も支払い可能でしたが、2度に亘って入退院ということで、それぞれが支給限度額内に収まったということもあったのではないかと思います。私は、初めて、他の個人や社会の助けを借りなければ、生命として、文字通り生きていけないという事態に陥りました。今現在、盛んに多くの普通の人によって「誰でもが介護や生活援助を受けなければならない」必要があり得ること、こうした生活の社会的国家的保障が「国民の基本的人権」として、我々は憲法によって意志決定されているということが、改めて自分に即して緊急事態として事実認知されるようになり、どうすればよいか議論されるようになっているように思います。私自身、お恥ずかしい話ですが、友人の中に何人も事例があるにもかかわらず、たとえば、「障害」を持つ人やその家族の人と、第2期高齢者やその家族が、生きていくために「他者」や「社会」の助けが必要なのだという、同じ必要にさらされているのだという実感は、今回の病気の体験をするまでは、本当の実感として共有出来ていたとは言えませんでした。保険料が払えなくなった国民健康保険制度内の沢山の人たちが、医療費が払えなくなり、保険料を払い込んで保険証を手に入れる「自立努力」につとめながら、病院にも行けずに苦しんでいる事態が進行しているようです。私よりもう少しばかり年齢が若かったりすると、厚生年金・公務員年金だけでは生活が難しい人が数多くでてくると思われます。家族・親族の一員が失業したり、病気をしたり、子供を抱えて離婚したりすると、これらの家族の一員として夫婦の年金だけでは生活が成り立ちにくくなるということは、現状の新自由主義労働市場の元では、誰にでも容易に起こりえることです。また、私のような年齢になると、全ての人が、いつかは必ず病院の医療・看護によって助けてもらわなければならない、その時、医療サービスに対して何らかの高額な医療費を払わなければならないが、その3割自己負担できるような人は人口部分のどれだけの比率であるのだろう? 誰でもいつかは、人の介護を受けなければならない事態に必ず到達することを知らなければなりませんが、今後、通常いう「自立する」条件、労働市場の制度からはじき出された人たち、低年金収入の定年者、病人、障害者、働き収入を得ることのできない人たち、国民健康保険料や介護保険料の支払いが難しい人たちも数多くなることだろうと思います。一方で医療技術の進歩は著しいようですが、医療費も高額化し、医療制度の改正がどんどん進行中のことでもあり、実態がどうなっているか、私自身勉強してみなければなりません。病院側の医療報酬の制度の改正があって、患者は一定の措置が終わると、出来るだけ早く退院させられるようになったようですね。こうしたことも、2つの異なった大きな病院に入院して、それぞれの病院の医療・看護体制に大きな影響を与えているように思いました。
個人的には、今回、初めて、本格的に妻の介護を受ける経験をしたのですが、いよいよ彼女に持病を持つ私の老後介護生活を送らせることになったこの経験を、しっかりと今後の生活にいかして、もしかしたら私もこれから彼女の介護をしなければならないとも限らず、病気に伴い、否応なく夫婦の人生の新しい段階に入っていかなければならないことを考えざるを得ませんでした。どのように「自立」して全身のどこかに異常を持ちつつ「枯れていく段階」を、幸福にすごしていくことができるのか、こうした課題を見出さざる得ない経験でした。
 幸い、肺炎はほぼ完治したようで、今はもう元気です。2ヶ月たって動脈ももう痛みが無くなりましたし、いちいちその存在を意識しなくても体を動かすことが出来るようになれるだろうと、確信し出しました。脚の血流も快適になってきましたので、手術の甲斐はあったのではないかと思います。但し、それによって、血栓を防ぐための幾種類かの薬が、インスリン注射の他に加わり、新たな薬漬けの市場ネットに絡みとられた、という想いがあることも正直なところです。
入院中、糖尿病の治療も行われ、他のより重大な病気に対応して、今まで予想もしていなかった大量のインスリン投与というような処置が行われて、新しい経験をいたしました。糖尿病についての自己管理も、こうした病気の経験の中で、2ヶ月に1度の検査の医者任せでは、これからは自立困難が早まる危険に通ずるかもしれないと思い、もっと「きめの細かい」自己管理の必要を感じています。これも+の方向に活かしたい経験でした。
私の働いていた時期(60年代~2000年)の社会体制は、日本国憲法を前提にして、国家は、全ての国民に基本的人権、生活権を社会的に保障する平和な福祉社会を目的にしていることは国民的合意を得ており、従って、こうした価値基準で国家を論ずることは、「護憲論者」として、非常に少数派の「革新」的な逸脱者の議論扱いされることはなかったように思います。たとえ、戦後一貫して、それが「押しつけ憲法」で、明治国家体制以来の日本近代社会の「日本らしさ、日本人らしさ」にそぐわない憲法であり、戦前からの日本政治システムの存続、復古を諮るべきであるという政治勢力の「憲法改正」議論が執拗に続けられてきたとしても、私は、まだ、国民の多数派が、まさか、2000年代に入って憲法改正をまたずに、事実上憲法は改正されてしまったかの如く、「企業が国際的に競争力を持てば、個人の福祉は、巡り巡って個人の福祉を向上させる」という、決して事実上証明されたことのない新市場主義のイデオロギーにすっかり染まってしまうまでに変化するとは思ってもみませんでした。主権者たる国民の人権を守るという憲法の目標設定を放棄して、国家は社会福祉制度を解体し、安定雇用・完全雇用の企業責任を放棄するよう制度「改革」に狂奔し、雇用機会は保障されず、イスラエルパレスチナ戦争を中軸に世界戦争を勝ち進む幻想に陥るブッシュ軍事体制にべったりと協力して、全ては個人の自立能力の責任であって、国家の責任はない、国家は小さな政府が望ましく、地方自治体、諸個人が自立責任を持つべきだと、国家責任を市場メカニズムに丸投げ放棄してしまう政府を支持しているという信じがたい状態になっています。来年は、こうした小泉・安部の親米政権の日本的右翼の流れを押し進める先で、「ラムズフェルドの戦争」(NHKスペシャルのタイトル)戦略の破綻が、さすがのアメリカ人の多数派である「ナショナリスト」にも明白なものとなり、世界の世論は反米の色合いを明示化し、原理的右翼の政権は雪崩を打って崩壊し、日本国民もまた、如何に世界世論に背を向けて孤立化の道を歩んで来たのかを知ることになることを、私は日本人のためにも切に期待しています。元民主党アメリカ大統領カーターのような、膨大な資金と圧倒的な軍事力を直接行使してパレスチナの植民地化をすすめているイスラエルの戦争と、それを助けるアメリカの世界政策こそが、パレスチナ・アラブ諸民族の「テロ」、反米的抵抗を生み、イスラエルアメリカのこうした軍事行動を放置している限り、世界は親米―反米の2極化をすすめ、やがて国際社会は、反米で統合されていきかねない状況が進行しているとし、イスラエルパレスチナの共存の仕組みを国際的に保障していく方向をアメリカは追求しなければならない、と説く極めて少数派の意見にも、耳を傾けるアメリカ人は少しずつ増えていくのではないでしょうか? 
個人的な私の病気について、話す相手として、医療・薬産業に詳しい君が私にとって一番何かを上手に受け止めてくれそうに思われます。まだ、漸く定年を迎えたばかりの、ずっと先の長い若さをもっているお二人ですので、こうした話は迷惑でしょうが、近況、聞いていただきました。あなたは何も語りませんが、あなたの家族にも、上記の日本企業社会の激変にともない、心配な問題を抱えていること、そのために大奮闘していることも知っています。その中で、元気で定年後生活第1段階を楽しんでくださることを切に願っています。地域の同一の趣味の集団活動や、合唱とか農作業とか、青春切符の徒歩旅行など、限られた予算で沢山の人が、この段階の元気な体力を楽しんでおられるようですね。 私の住む地方に来られることがありましたら、お二人揃って、ぜひ気軽に寄って下さい。    千兵衛・K」