スペインのレバノン派兵と国際的コミュニティ

スペイン政府は、1100人のスペイン兵士のレバノンへの国連軍派兵を、仏・イタリー・ベルギー・フィンランドポーランドポルトガルと共に引き受けることにして議会に提案、了承を得ることになっている。これに先だって先頃、反国連主義者であり、戦争を先導する軍国主義ボルトンなどによる米・英陣営の影響力に対抗できない現在の国連が提案するイラン核問題の方向付けに対して、イランが合意しないときには制裁を加えるという時間切れの寸前、PSOEのフェリペ・ゴンザレス (元首相1982-1996)は、イラン政府の招待を受け、政府や外相の支持のもとに、個人の立場でイラン大統領や核問題についての国際交渉担当のトップなどと会談したことが報じられている。この会談は何らの国家間の交渉ではないこと、両国間の情報の交換の開かれたチャネルとして機能してもらったことが強調されていたが、政府はこれに感謝の念を表明している。いうまでもなく、サパテロ首相と与党の立場はゴンザレスの考え方に色濃く反映されていると考えることが出来よう。その元首相ゴンザレスFelipe Gonzarezは,新聞El Paisに次のような「事態はますます悪化している」という論説を載せている。その趣旨はアメリカの支持の裏付けをもって行われたイスラエルレバノン侵攻は、震央地パレスチナ問題の副産物で、強権的軍事的にイスラエルパレスチナ問題を解決しようという試みであるが、事態はますます悪化していくばかりだと述べている。彼は、軍事的にパレスチナ国民をこの地から完全駆逐することが出来ないこと、選挙によってハマスが政権をとったからといって自衛権を主張してこれに武力攻撃を仕掛け、駆逐することは、サステイナブルな解決を結果することにはならないと考えている。次々に起こるあれこれの事態を、その場当たりの武力的恐喝によって解決策を模索してみても、問題はを悪化するばかりである。実際双方によって目指されているように、イスラエルパレスチナに対する全面戦争による弾圧、地域からの駆逐は、問題を解決できるだろうか? 或いは、逆に、パレスチナは武力によってイスラエルを駆逐し、国家を回復することが出来るだろうか? いずれも殆ど不可能だといわざるを得ない。そうした泥沼の状況のなかでは、今、国際的なcommunityが介入して、強力によるのでなく、両者の合意によって問題の全面的恒久的解決を諮っていかなければならない。即ち、イスラエルは1967年の国境に戻り、パレスチナは自身の国家をもつということ以外に、話し合いの決着点はありえない。如何に困難に見えようとも、こうして、初めて両者の恒久的合意が形成可能であろう。それについては、国際コミュニティは、米英のリーダーシップによるのでなく、ヨーロッパが中心的役割を果たしていく以外ない。「パッチワークのような解決模索では、危機が次々と起こり事態は悪化するばかりである。全面的解決はもはや先送りすることは出来ない。」これがゴンザレスの意見であり、おそらくはスペイン政府の意見であろう。

野党となっている国民党PPは、これに対して、「かつて、アフガニスタンイラクへ軍隊を派遣していたことに反対し撤兵させたサパテロは、今度は逆に派兵を決定しようとしているのは一貫していない。」と批判している。米英の立場からのイスラエルの軍事行動を支持したり、いまや「正当な理由がない」という知見が世界世論の常識となっているイラクなどへの侵攻を支持して派兵することは、上記の立場からの派兵方針とまったく意味が違ってくるだろうから、この批判はおそらくスペイン国民の多数派に受け入れられるものではないだろう。
 ゴンザレスの全面的解決というのは、単に領土問題にとりあえず限定して構想されているのだろうが、その先については定かではない。しかし、あえてスペイン政府の国際政策のとっている傾向から、その方向性を推測することは可能であろう。そうした方向性に従って解決を模索すると、イスラエル人にとって非常に不利な状態が生まれるだろうか? 勿論、領土の現物、おむすびを諦めて、柿の種を取り、汗をかいて働かなければならない。しかし、もし、恒久的な平和をイスラエルパレスチナ人・中東諸国家間の間に形成する方策として、イスラエルパレスチナその他のイスラム圏諸国との間に平和条約を積み上げ、相互に武力行使、軍事的自衛権を放棄した「中東地域共同体」を作っていくことが出来れば、そこには平和的な中東地域経済共同体を形成していく基盤も整備でき、世界有数の超金融大国イスラエル、豊かな産油国アラブ諸国が、共同体に投資を続け、豊かな産業地域共同体となることが可能となるだろう。おそらくイスラエル人は土地も購入できるだろうし、イスラム圏のなかで宗教的寛容を相互に保障し合って、一つの共同体として共存繁栄していく道をとれるはずである。宗教や政治的文化の民族的・国民的差異を見せかけの「紛争の大義名分」として「ナショナリズム」戦争をしている限り、文化圏としての対抗の様相がますます激化し、戦争のグローバリゼーションの事態はますます悪化していくに違いない。共同体形成の経験を持つヨーロッパがその経験を活かしてモデルとなれば、ことは両者によって良い参考となるだろう。
 EU諸国、スペインの派兵は、こうした理念を明確に掲げて行われるのだとすると、同じように国連主義、国際的コミュニティの立場に従うとして、米英の立場を支持し、その立場からの秩序形成のために「人道的な援助」を行う軍隊派遣と似たような反応を受けることになるのだろうか? 特に、パレスチナレバノンイラク・イランのみならず、さらには南アジア、東南アジアのモスレムの国民たちの反応を見つめていきたい。日本の「平和憲法」は、EU共同体のモデルを参考にした未来を想定するとき、これからの21世紀の国際社会の一つの選択肢、その意味でのいわばサステイナブルな平和的「アジア共同体」形成にとっての極めて説得的な有利な前提条件となるものである。「日米軍事一体化」を決定し、日本に「対潜在的アジアテロ勢力」の米国主導の軍事大本営を置くとし、そのためにも平和憲法を抜本的に改正しようという選択は、21世紀のどのような問題解決を目指すものなのだろうか? 自民党総裁選挙が自動的な政権選挙だとして動いているかに見える日本国民も、今、重要な国際社会の方向選択をしていることを自覚すべきであろう。