私の合唱団についての雑談。

Sbunaka2005-12-15

今年もいつの間にか終わりに近づいてきました。12月は、キリスト生誕を祝うクリスマスを控えて、楽しい家庭向けの音楽の演奏会も多くなり、またクリスマス前のマリア懐妊のお告げの日とか、ミサも多く、キリストの死と復活祭前の暗い重苦しいミサの続く頃の忙しさと異なり、街の合唱団も華やいだ忙しさのシーズンとなります。私たちの合唱団も、10月に行われた、世界遺産の歴史都市サラマンカの中央広場250周年を祝う、オーケストラと合唱の新曲カンタータアゴラ250」の演奏会をおわって以後は、毎年恒例の教会年中行事のミサ以外は、平凡な練習の毎日でしたが、 この12月にはいって、幾つかの演奏会のための活動に入りました。12日に一つの山場である合唱祭の行事を終わったところですので、今日は、私たちの合唱団の活動について、雑談をすることにいたしましょう。
観光に私の住むSalamancaを訪れた方は、San Esteban教会の巨大さ、美しさについてご存じの筈です。観光客でここを訪れない方は居ません。先日も、この教会を使って、日本でも大ヒットしたモーツアルトの伝記映画「アマデウス」を撮った監督が、今度は「ゴヤ」の伝記映画を撮るためにここを訪れました。約1週間ほどのロケ撮影でしたが、私たち合唱団の男性達もこの僧院の僧達の合唱場面に出演しました。修道僧の服をまとい、髭を落とし、頭のてっぺんを丸く剃っての大奮闘でした。この1週間は、住民が扮したゴヤの時代の通行人、色々な社会諸層に扮した沢山のエキストラたちが街の中を歩き回って、出演している知人を探して見物の町の野次馬も多く出て、賑やかなことでした。有名監督の映画ですから、きっと日本でも何時になるか知りませんが、封切られるはずです。是非見てやってください。勿論、私は出ていません。「何故でなかったの?」と素朴に訊ねてくれた日本人の友達がいましたが、「だって、日本人がいるなんて変じゃないか」と大笑いでした。それが、こちらに長く住んでいると、だんだん自分が日本人の顔していることも忘れて、みんなと同じ顔をしているような気になっていて、それが自然になってしまうもののようです。こちらの人と結婚して子どもを持っている人は一層そうのようです。そして、何かの切っ掛けでフット、自分が日本人の顔している「変わった人」であることに気付いたりすることもあるようです。例えば、街のいたづら坊主や少女達が、群れをなして街をのし歩いているときなど、すれ違いざま「チーノ、チーノ」と囁くように言って通り過ぎたりします。
しかし、先日、そうした人と食事をともにしていたとき、日本人女性の小さな語学研修生グループの話声が聞こえてきて、「ハーフの子ってきれいね。私達が産む子には、こんなきれいな子は生まれっこないから、子どもなんか生みたくないよね」と仰有るではないですか。何という観察眼なのでしょう!? 子どもは、否応なくやがて環境の中で「スペイン人種ではない」ことを知らされるときがきて、アイデンティティ問題を持つでしょうが、それぞれの母国人国人として立派に育ってもらいたいと思う両親の涙ぐましい努力は、言葉の教育一つとっても、食事の習慣を取っても、大変なものだということは、多民族社会の家族の共通問題です。そうしたことも是非観察出来るとよいですね。
さて、合唱祭も間近の10日に、私どもの小さなコンサートに参加しましたが、行った建物はSeminarioで、この巨大なSan Esteban教会の裏側にある広大な敷地を持った建物でした。
Seminarioとは、神父を育てる神学校ですが、現在も神学校であるのですが、神父になる人が少なくなって、学校の内実はすっかり廃れてしまっています。このSeminarioという学校は、半世紀前までは、カトリック社会では極めて権威の高い学校で、身分社会のなかで相続するものを持たない人たちの多くが競っていく一つの出世コースとも見なされていたこともあって、優秀な人材を多く育てた場所でした。今日、ラテン語ギリシャ語を自由に操る高年齢の人は、このセミナリオの出身者だといって良いくらいだったようです。身分社会や身分社会的制度要素を多く保持する社会では、階層アスピレーションも身分的に固着化されていることの多い社会でしょうが、上層階層固有の家産を相続出来ない人の、階層移動による出世のコース選択肢は極めて限られていました。僧侶になるというのは、そうした数少ない出世のコースであった時代があったといえましょう。また、教育制度が、国家宗教であるカトリックの教会によって圧倒的な影響を受け、僧職と教職が重なるとか、その他の職業資格の点でも、信者であることが重要である時代がありましたが、それは1970年代のフランコ時代終焉まで見られたといって良いでしょう。しかし、近代社会がその社会を成熟させて行くに従い、若者が将来の生活の向上を目指して取る道の選択肢は多くなっていますから、一例として、「結婚も許されない」神父になって、神に仕えることを選択する人は極めて稀となってきたのも、ことの成り行きでしょうか。余談になりますが、修道院の中の生活も変化しているのではないかと思われます。高い壁に囲われた大きな、大きな敷地を持った尼僧院も私たちの街にはありますが、その中で畑などを耕し、自活をしながら生活をしている修道尼さんたちもだんだん高齢の方が多くなり、若い方がどうしても必要だろうと想像されますが、最近そうしたところを訪ねてみると、若くて大変美しい、しとやかな黒人の尼さんにお目にかかることが多くなりました。今では、アフリカやアメリカ(スペインではアメリカとはラテンアメリカのことです。)から来て、こうした道を選択なさる女性が多くなっているからだそうです。
 さて、そうしたわけで、神学校の広大な敷地も本来の用途として大部分が使われないものになってしまいました。私達の演奏が行われた場所は、昔の立派な学生宿舎だったところでしたが、現在、老人ホームに変換している部分でした。行ってみますと、丁度食事が終わった時点で、500人ぐらいのご老人達が大食堂でくつろいでいたところでした。私はスペイン語の会話が出来ないのでよくわからなかったのですが、私たちも食事に招待されていたらしく、大きな食堂でホームの皆さんと食事をした後に、ボランティアとして合唱演奏すると言うことだったようでした。合唱団のボランティア活動は、毎週何か必ずあるというくらい忙しい時期がありますが、そうしたときでさえ、各パートのメンバーのうち必ず誰かが来るのですが、誰もそれを義務づけたりしませんので、沢山揃う日もあり、ホンの少数しか揃わないときもあります。例えば、大學入学式の式典のミサの時など、ウィークデーの朝で勤め人は来られないということもあって、私が属するテノールは4人しか来なかったこともありました。それでも皆さんなれているらしく、平然として合唱しておられたのには、感心というか、スペイン式大様さの凄さというか、ただ脱帽のみでありました。この老人ホームでの公演の日も偶々、演奏に来ている合唱団員は予想外に少なく、男声は僅か上下合計6人ほどしかいなくて、私としては非常に慌ててしまいました。つまり、まだ私としては練習不足、自信不足である歌が幾つかあったのですが、1人1人の声がはっきり分かる構成で歌うというのは、非常に辛いことであったからです。すぐ頭の上で強烈な照明がひかり、汗だらけになって、高音が出にくく、非常に下手な合唱をしてしまったのは残念でした。僅か10曲ほどでお終にしてくれたので、それは助かりました。あまりのできの悪さに、指揮者のVictorianoさんも呆れてしまったのではないか、と思います。私としてはこんな小さなグループでの舞台は初めてだったので、いろいろ学ぶことも多くありました。強い照明のもとでは、喉が乾燥するためでしょうか、ピアニッシモで歌う時の高い声は出なくなることとか、舞台マナーをしっかりとまもらなければ、舞台がみっともないことになるということ等々。同じ舞台に立った、もう1人いる日本人メンバーの女性のスペイン人亭主Aさんも、さんざんな舞台だったといっていたので、できの悪かったのは私だけではなかったようだったのがせめてもの言い訳でしたでしょうか。彼氏の可愛い子ども達も見に来ていたので、彼としては悔しかったに違いありません。

 終わって同じ日、次ぎに、有名な2本の塔のあるcatedoral大聖堂のviejo旧の方で、新米の私は今まで充分に練習したことのないミサを歌いました。この合唱団がレパートリーとして既によく歌っているもののうちの一つで、にわか仕立ての数分の練習だけで歌ったのでしたが、教会のミサのボランティアの時は大体いつもそうした調子で、その場で歌う歌を知らされるということが多いようでした。さすがベテラン達はそれでミサを勤めてしまいます。彼らによると、ソロバン玉のような楽譜のグレゴリアン・チャントのような古いミサ曲も、歌い方さえ心得ていれば余り難しいものではないとのことでした。また、会衆に分かり易く、唱和しやすいミサの曲も多くあって、私も、初見の楽譜でもなんとか付いていけるものもあります。当日のミサ曲はF.Palazonのもので、歌詞もスペイン語。(歌詞の意味は通常のラテン語のミサの歌詞と同じ。)しかし、大変美しい、親しみやすいミサ曲で、多くの人に好まれているようでした。大聖堂の中で歌うと非常に響きがよく、美しく聞こえるものです。新米の私も、1年たつと既にこうしたやり方は経験済みのことであったので、慌てることもなかったし、いきなりその場で次は何を歌うといわれて歌う習慣も、前もって用意しておいた楽譜も勘があたって役に立ったし、当日歌えなかった歌は一つだけで、うまくいきました。私は言語の関係で、楽譜がないとメロディーが歌えても歌えない弱点があります。 Aさんの奥さんと子ども達も来ていたようで、彼女から、私の声もAさんの声も良く響いていたとの批評をいただき、慰められました。
 合唱団には、ミサに参加されないメンバーもいるようですが、参加される常連は、皆熱心なカトリック信者が多いようでした。 私は非キリスト教信者ですが、(無神論者というと、ちょっと自分の考え方と違うような感覚がしますので、フマニストということにしていますが、)本場のキリスト教国に来て、バシリカとクラス付けされている大聖堂(カテドラル)中の極めつけの世界遺産のカテドラルで歌っている合唱団にいるのだから、ミサだけは勉強して帰ろうと心に決めて参加しています。常連は、みんな長い経験者で、ミサの進行に併せて歌う歌は形式的に言えば、大体決まっているのですが、いわゆる「ミサ曲」というミサの進行の全てに対応して出来上がった曲集が幾つか手持ちにあって、私が今までに知った限りで、現在いるメンバーにとって大体いつでも歌えるようなモーツアルトシューベルトヘンデル、などの名作曲者の大曲は4/5曲位のようですが、その他に、大衆的に馴染みやすいスペイン語のミサ曲を持ち歌として持っていて、参加して教会に行ってみると「今日のミサは, palazonだ」と作曲者の名前だけいわれるだけで、後は具体的には曲名の指定はあるような無いようなもので、予告無しで、次はこの歌と進行中に指示されます。色々な目的の式典やミサがあるようですが、特定の作曲者のミサ曲を全部歌うのでなくて、ミサの進行の中で、例えば、「アヴェ・マリアモーツアルトのアヴェ・ヴェルム」、「今日はヴィクトーリア」、「アレルヤはPascua」などと囁かれます。その他の手持ち歌が数百曲と非常に多いので、新人の私にはもうすっかり面食らって、もらった沢山の楽譜から予測する曲を一生懸命自習していっても、それを歌わず別な曲を歌うこととなって、懸命の練習も何の役にも立たないと言うことが多かったのでした。 しかし、ほぼ1年たって、漸くいままでに自習学習していった私の手持ちも多くなってきたので、その中から、例えば、「アベ・マリアはこの5曲のうちのどれかだろう」、というような見当で5曲の楽譜を用意していき、対応するという具合で、何とか数曲歌ってくることが出来るようになってきたのでした。まもなく、この合唱団に別れを告げるときが来ますが、よくここまで鍛えていただいたと、本当に感謝の気持ちです。カトリック信者でないものが、ミサで合唱してきたことについては、何の蟠りもなく歌ってきたのか、という疑問をお持ちになる方もあるかと思います。私自身もその点をどう考えればよいのか、少し悩んだこともありますが、しかし、この合唱団には一つの鉄則がありまして、入会の時に言い渡されたことでした。それは、政治問題について意見を述べ合うことは御法度だと言うことです。カトリック教会は実に積極的に政治に関与する枢機卿などが多く、いまなお、基本的にカトリック教を国教とすることを復活しようとしているか、保持しようとしているか、いずれにしてもイデオローグとしての政治活動を活発に行っていると思われます。そうした際の司教達の政治意見には、反発をする人も少なからずいるように思いますし、その意見に同調しなければ反カトリック、反スペイン的と言われれば、私としては非常に辛いものがあります。しかし、政治的意見表明は、団員間では行ってはいけない、という約束があるので、そのあたりの積極的な意見交換は避けることが出来ますので、相互に不快感を与えることはありません。例えば、ミサのコミュニオンでの、誰彼無く握手し合う儀礼など、非常に素直に共感できるものがあります。宗教的神話に基づく儀礼についても、余り気になりません。どんな宗教的神話のもとで、その宗教の信者の生活が語られるのかは大いに興味のあるところですし、その社会や人々の生活習慣などを理解するには極めて重要な意味を持つように思います。それだけではなくて、その宗教のボキャブラリーで語られる生活者の肯定的な信念には、宗教のボキャブラリーを持たないものにとっても共感され、共に行うことにためらいのないことが多くあるというのが、私の今までの経験的な信念です。宗教のお話は過去の歴史的時代を前提しなければ理解できないものが多く、その意味では、宗教がその中に含まれる同時代の人にとってポジティブな議論を維持しようとすれば、歴史的同時代に充分に「適応し」「合理化」できなければならないでしょう。時代に受け入れにくい世俗的議論を宗教的に聖化することが多くなればなるほど、異教徒や、入信の儀礼を行った教会組織員以外の人に受け入れにくくなると思います。話が、合唱から、ずれすぎました。しかし、異なった宗教の文化に接して、それをどう肯定的に「理解」し、「受け入れ」ていくかは、私達の思想信条形成に深く関わる問題として避けて通れないと思っています。
 12日はいよいよ、このところやや本格的に新曲を練習してきた合唱祭のためのコンサートの本番です。合唱祭について少しお話ししておきましょう。こちらの言葉で言えば、el ciclo “Navidad Polifonica”、 文字通り辞書的に翻訳すれば、「クリスマス多声音楽」の連続演奏会ということになりますが、地元新聞の報道によると、サラマンカ文化財団Fundacion Ciudad de Culturalによって組織されたもので、毎年この時期に行われています。昨年は聴きに行っただけでしたが、サラマンカには、サラマンカ大學、ポンテフィシア大学の学生合唱団や私達のような市民合唱団など、このコンテストに恒常的に参加するような13の合唱団があって、これらが市の後援を得て、この合唱祭に参加しています。小さなグループを入れると、勿論数知れず、おそらく教区の教会の数ほどあるのではないかと思います。もう一つ別な時期に、マラソンと呼ばれる長時間の発表会が市民のための文化活動として、やはり複数の合唱団により行われています。一つの都市にかくも多くの、こうした発表会が出来る合唱団があるのは、おそらく旧都市内にすし詰めのようになって到るところにある古い歴史を持った地元の教区の教会のミサで活動している合唱団があるからではないでしょうか。毎日曜日午前中に、カトリック教、ユダヤ教イスラム教に関する宗教の国立テレビ放送の時間帯が、移民の時間と難聴者の手話の時間とともにありますが、勿論カトリック教の時間のウェイトが圧倒的に大きいのですが、その中に必ずミサの放送があります。スペインのいろいろな地域の教区からの放送があって、各地区の合唱も面白く、お説教については全く何も分からないので朝ご飯を食べ「ながら」見て聴いて楽しんでいます。そこから判断すると、さすがにサラマンカの我が合唱団は、バシリカの大聖堂で歌う合唱団だけあって、宗教曲を歌うスペインの市民合唱団の中でもオーソドックスでレベルがかなり高いのではないかと思います。 先の新聞の紹介ですと、大聖堂の典礼を主として歌うこの我らが合唱団は、1500回以上のコンサートを既に行っている、とあります。今回のコンサートは、スペイン語のクリスマス・カロルvillancicos tradicionalesが多く、人々によく知られた曲を中心に歌いました。例えば、私がどうしてもみんなのようには歌えないPanpanitos verdes, hojas de limon, La Virgen Maria Madre de Senor(パンパニートスの緑、レモンの葉っぱ、主イエスの母処女マリア)という早口言葉のような文句が聴かせどころになっている歌などは、この詞の意味は誰にも分かっていないようですが誰でも知っている曲です。かつてここで指摘したこともありますが、民謡の類の歌には、私たち外国人には意味不明のものも数多くあるようですし、歌詞を見ながらでなければ歌えない私には早すぎて歌えない歌が多くあります。ついでに言えば、ヒターノの音楽フラメンコには、カスティーリャ語のみを話すスペイン人には分からない言葉の詩も多く歌われているようですし、感覚的にも私などどうやっても歌えるようにはなれないものです。その点では、日本人でロルカにぞっこん惚れ込み、歌ったり、語ったりして、スペイン人を泣かしたり喜ばせたりすることの出来た日本人の役者、故天野??さんを(あの独特の日本人離れした風貌を見たら忘れることのできない筈の人の名前を度忘れして、申し訳ない、今は出てきません)私は大変尊敬せざるを得ません。彼がよく歌っていたロルカの「12の民謡」は、私もなんとか歌えるようになりたいものと思っています。
その本番演奏会は12日夜9時から始まり、現場録音をしていましたので、来年半ばにはまたCDとして売り出されることになるでしょう。場所はクラレシア、即ちポンティフィシア大學の教会でした。この大學の教会は、、一般市民にも、いろいろなミサやこうした市民の催し物に開放されていますが、歴史的遺産の一つとして、観光客にも開放されています。指揮者がこの大學の教会の楽長だったことから、大學内部の部屋を練習場として使わせてもらっていたのですが、知っている限り、この大學の建物の中に3つの教会とチャぺルがありました。この大學の歴史は、世界でもオックスフォード・ケンブリッジに劣らぬ古さと権威をもち、巨大な荘園を持っていたと思われますが、ポンティシフィア大學の内部は、非常に古い宗教関係のものが残っていて、石造りの建物も、中庭は勿論、屋根付きの屋上の瞑想室は、遠景から見ても美しく聳えたって見えます。教会の尖塔は非常に高い空洞の丸天井を持ちますが、その屋根の外には4季を通じて、鳥の大群が夜を過ごし、夜中10時頃の演奏では、天井の外にいる沢山の鳥の鳴き声が、一緒に歌っているかのように聞こえます。本番は大変好評で、大聖堂の椅子席を埋め尽くした多くの観衆の拍手で無事終わることが出来ました。余りよい写真ではありませんが、当日の演奏会の写真を一枚入れておきますので、ご覧になって下さい。
この演奏会が終わり、次の演奏は24日の夜と思われますが、クリスマス・イブのミサを大聖堂で行うことになっていて、今日から、そのためのヘンデルのハレルヤ、ミサ曲メシアから数曲の練習に入りました。私達新人には始めての曲なので、是非多くの練習の時間を取って欲しいのですが、多分、ベテランの持ち歌の中に入っていますので、余り練習しないまま本番になるでしょう。一緒にミサで歌おうとしたら、今年1年生の私には、かなりの自習時間を必要とすることになりそうです。両曲共にテノール団員の平均的限界に近い高音を連続的に出す曲ですので、身体のコンディションを整える必要がありますが、今日一回一通り歌った感じでは、何とかイブまでに間に合わせることが出来そうに思います。しかし、器楽の伴奏が付いていて、大声で歌うことが出来ますので、高音も何とか美しく歌えるのではないかと、わくわくします。演奏している曲そのものをお聴かせできないのが、残念です。
 
追記
 深夜から始まるこの大聖堂でのクリスマス・ミサは、伝統的にいつも大変な人出だときかされていたので、私は秘かに大いに興奮して準備していったのでしたが、大きな大聖堂にまばらな人がほぼ辛うじていっぱいという程度で、失望いたしました。やはり、年々自宅でクリスマスイブを迎える傾向が強くなっているということでした。もう一つがっかりしたのは、私が一番力を入れて練習してきたヘンデルのメシアからの2曲が演奏中止になったことです。理由は、指揮者の判断で、練習不十分だから、ということでした。弦楽器やパイプオルガンなどの奏者も来ていながら、その場で中止を申し渡されたのは、かえすがえすも残念で、大いに欲求不満が残ったクリスマスイブでした。