女の祭り  Las Aguedas

2月5日土曜日のSalamanca地元新聞「El Adelanto」に、2月4日金曜日に行われた「las Aguedas」の祭りの記事が載っています。Las Aguedasとはどのような意味なのか、いろいろ人に聞いてみたり、辞書でひいてみても意味はまだ分かりません。つまり、常識的には「知らない」、知らないのが普通のようですが、それが何をする日かは誰でも知っているという、外国人には奇妙に見える日です。要するに、セニョーラ達の日で、男性は参加できません。金曜日、毎日の習慣で新聞を買いに本屋に出て、12時半頃帰ってくると、私の住む近隣にある「el Palacio del Congresos」という市一番の大きな会議場、劇場、展示場を含む建物から、続々と成熟した女性達が出て来て、群衆をなして道を行進していくのに出逢いました。その女性達の1/3ぐらいは、それぞれの出身地域の特徴を持つ民族衣装に身を包んでいました。中に、10数人ぐらいのグループが簡単な楽器、カスタネットや、乳鉢と杵、アニス酒の瓶とスプーン、タンバリン等を伴奏に使いながら、民謡を歌い、一つの中ぐらいの群れの中に1人ぐらいの割合で、縦笛と肩から腰にかけた太鼓を1人で同時に演奏する人がいて、まことに意気軒昂、集団で踊りながら進んできます。中に私も一緒に習ったことのある民謡仲間が一つのグループを作っていて、大きな声で声をかけてきて、思いがけない久しぶりの再会に喜び合いました。皆、今、グループの一つとして、舞台でうたってきたところだということで、その興奮に包まれて、やや異常の状態でした。この日が、特別の女性達の祭りの日であることを知らなかったので、写真を撮ることが出来なかったのは残念でした。ここでお見せする写真は、今日、少数のグループの人が今日の催しに参加した名残りという感じで、プラサ・マジョールにいるところを1枚だけとることが出来ましたのでお見せしておきます。

今は、日常的にはこの伝統的な衣装を着ている人を町で見かけることは殆どありません。しかし、今でも何か特別な祭りの日になると伝統衣装を着ている女性や男性を見かけることがあります。夏になると、夜遅くまで観光客相手に伝統的な「学生の合唱グループ」が、セレナーデをうたってまわっているのを見かけることが出来ますが、人の話では、本当の学生は今はあまりやっていない、ということもいっていました。
 新聞記事を少し紹介しますと、サラマンカ市のこの会場に、サラマンカプロヴィンス各地から900人ほどがこの会場に詰めかけ、「ペペ・ヒル=カチョ」、「ダニーとナネ」(多分、民謡歌手?)の特別出演の音楽を楽しみ、また各村の伝統民謡と音楽を演奏し、うたい、踊ったということです。こうして、年に一度の女の祭りの催しを大いに楽しんだとあります。これはコぺ・チェーンが毎年組織して、ラス・アグエダスの祭りに各地から参加し集まる人のために、午前中に催している音楽会なのだそうです。もうコぺ・チェーンは20年間もこの行事を組織しているので、祭りの一部として伝統になってしまった、ということでした。
 例えば、サラマンカ市のはずれ、ブエノス・アイレス街区からきたトニ・ラモスさんは、「この1週間は祭りの準備のために夢中になります。木曜の午後は女達が集まってドーナツを作りました。この後、午後、市民に配ってご祝儀ををもらうのです。」この人のグループは26人で、全員サラマンカ固有の衣装で着飾り、祭りの間中、体が我慢できる限りは着続ける、ということでした。サラマンカ市内のイシ・ロペスさんは、姉妹で来ていましたが、この祭りの雰囲気が大好きで、「女性達の上機嫌になった雰囲気やいろいろな催しが大好きです」とのことで、今夜も大いに女性達だけで一席設けて楽しむのだ、ということでした。新しくできたある大学の先生をしている男性の友達が「この日は、彼女たちはストリップにいって夜を楽しむのだ」と私にいうのですが、そんなこともあるのでしょうか。別の友達にこれを確かめると、とくにストリップ劇場があるわけではない、どこかのバルで、パンツ一つぐらいの男のショーがあるくらいで、たいしたものではない、との意見でした。ちょっと言い忘れましたが、この祭りに参加している半分位が、いわゆるLas Mayores「年輩の人たち」、つまり私のような年齢層の婦人たちです。若い方でも「子育て」などの現役ではない年齢層が殆どでした。昔の日本の村でいえば、プロヴィンスの各村の「嫁いびり講」の人たちが大集合したのか、と一瞬思ったものですが、そういうところはまだ私には分かりませんが、興味あるところです。しかし、日本の村のそういう話よりは、ローマの昔の話しに近い伝説に結びつけられて「女の日」があるのかもしれません。ともかくこの祭りの不可欠の行事の中には、各地の市役所や村役場で、市長や村長が女性の代表に「職務の杖」を譲り渡す行事があるのだそうです。そうした行事の後、女性達は、デモンストレーションよろしく行列を作って参加者に振る舞われるご馳走のある広場に行き、コミーダを取ります。今年はサラマンカ市では1100人ほどの大変な量の祭りの料理が女性達に振る舞われたようです。祭りの料理は決まっていて、大体サラマンカお得意の豚肉のシチュウということです。私の「伝統料理のレシピ集」(このwebにあります。)に幾つかのサラマンカのシチュウがありますので見てください。これもある男の友達の意見ですが、「サラマンカの市内の女は、この祭りに興味を示さない。集まるのは村の女ばかりだ。村の年寄りは、普段一つも面白いことが無くて、働いてばかりいたから、今日だけは思いっきり唄ったり踊ったり、飲んだりして羽目を外す日として、集まってくるんだ。」と言うことです。日本の「嫁いびり講」の話は、共感できる、とスペインの年輩の男は言っていました。スペインの村では、今でも、「屠殺=マタンサの日」等のように、親兄弟姉妹、それぞれの配偶者の親兄弟全部揃って、いろいろなことをしますので、イエの女と書く嫁がいるかどうか知りませんが、いずれにしても個々の家族の主の妻、ないし母は大きな負担を背負っていることだろうと推察します。それだけにまた、街を歩いていても、家族ぐるみで散歩をする習慣があるから目立つのかもしれませんが、大人の息子、娘とその両親の関係の深さ、仲の良さなどは、日本の家族のそれと似ていて、或いはそれ以上に目に付く風景のように思います。