朝日新聞 日本の「新戦略をもとめて」から

 「アメリカ主導の元に日本の国際関係を有利にリードしよう」という現在の日本国家の世界戦略が、どんな国際社会を追究していることなのかが、私ども日本の国民には大変わかりにくいことになっているように思えます。日米の緊密な連盟関係を自己謳歌するだけで、どんな話し合いを進めながら協定を結んでいるのやら、はっきりと情報公開しないまま、或いは国民的な討論を充分に経ないまま、戦後日米関係を進展させてきたからだと言えるからかもしれませんし、我々の「上にお任せ」してついていくことを善しとする文化もこのことに関係があるかもしれません。したがって、我々市民としては、そのことを自覚したとき、直ちに我々個人としても、日本の世界戦略とはどのようなものなのか、知るべき事実を知り、他者の反応を解明して、関係がどのようなものとなっているのか、またなっていく可能性があるのかを解明していく必要があるでしょう。中東・イスラム諸国、中国・東・東南・南アジア諸国とのどんな国際関係を形成しようとしていることになるのか、また、ヨーロッパ共同体社会や、国連中心の世界社会や世界政治システムに期待する「軍事的・経済的に弱い安保理事国以外の国」とのどんな関係を作ろうとしているのか、そうしたことを解明していきたいものです。また、日本人自身がどんな自己認識と戦略選択をしているか、解明しておくことも必要です。Globalizationは、近代産業諸国の覇権的優位を世界の隅々に波及し、そうした近代世界に収斂させるという面の進展を押し進める時代から、「発展途上国」がこれら覇権的帝国主義的諸国家に対抗的な社会勢力をnationとして統合していく可能性が、世界のいたるところにほの見えてきた時代に入ったという徴候を示しているように思います。そして、今やこうした諸国が参加・形成しようとする「地域共同体」や「世界社会」の形成の方向は、大国の覇権主義的連合を許さない力を蓄えつつあるように思います。こうした世界を認識したいという思いを、現在多くの人が切実に感じているのではないでしょうか? 最近始めた朝日新聞の連載記事は、この関心を共にしているかのようです。

4月27日、朝日新聞「新戦略を求めて」chap.1 世界の中の日本 「アジア・中東とどう付き合うか」で、インタビューにより各国のいわば世界戦略担当者の意見を聞いています。そこにはそれぞれの国家権力担当者が「国益」としているもの、目的の追求の違いが明確に出ていて参考になりました。 中東の中でも対米関係での良好さを保つ道を進む国という視点から選ばれたと思われますが、エジプトの駐米大使はいっています。「エジプトは自国の武力行使について、自衛権の行使は当然としても、自国より強い国の侵略に対しては国連の安保理に依存し、対米1国に依存する日本と異なる。対外武力行使は国連安保理武力行使決議のない限り武力行使は行わない。」「1極支配の体制の世界で積極性を発揮するために、超大国と協力する政策はとらない。」対イスラエルとの友好関係の推進についての日本の立場については、批判的に立ち入ることを避けながらも、「そこでの良好な友好関係を維持するために善悪や政治的妥協を犠牲にしてすすめるべきではない」と述べています。しかし、「文化の衝突」問題については、八百万の神々の存在とそれへの信仰を伝統的宗教観の中に持つ日本人は、「エジプト、スペインのように他者に対して寛容で歴史文化に深い敬意を持っており、文明観の対話で重要な役割を持てるはず、」とのべています。日本の世界戦略の将来については「先ず、異なる地域の世界に関与することに対して、自国民からの支持をどう取り付けるか、」だろうと含みの多い発言で締めくくっていました。日本に対しては、日本が対米依存一辺倒の戦略から、自立した世界戦略へという変換をしていく必要があろうという期待を持っていると思われますが、そうした戦略は対外システム全体の変更を意味しているので、国民の意識改革自体の課題を含み、自立的世界戦略への社会的合意形成の道は非常に重い課題を抱えての道のりということだろう、と判断しているように思います。
 この記事はまた、アジアと途上国の代表として、パリにある国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局長をしているタイの方にインタビュウしています。途上国から見て、globalizationは、プラス・マイナス差し引きで+とみていますが、しかし、そうであるためには、特定産品市場に偏るのでなく、世界市場にバランスよく参入できなければならない。良い統治、適切柔軟な経済政策、教育・技能水準の向上が必要。生産コストを下げ、農業でも多様化を進めること。中国・インドの発展に伴う「棚ぼた特需」の恩恵を教育・保健衛生、インフラ整備、健全持続的な自国民的投資へと回していくこと、国外資本に支配され、税制、経営決定権で外国の投資国に譲り過ぎてきたことをあらため、南南協力に熱心な中国・インドとの関係を利用し、投資受け入れ国の利益を守っていく仕組みを作っていく必要がある、としています。アジアでのこうした経済社会統合の進行は、既にアジア企業が主導する域内貿易で深い洗練された相互依存関係が出来上がっていて、特に日本が主導できる立場にはない、と自信を持っていることが表明されています。つまり日本のいう日米が主導する「アジア経済共同体」に対しては拒否の姿勢を示しています。しかし、それは全面的排除の姿勢というものではない、日本の姿勢の一定の変化を前提出来るのなら、大いに歓迎されるものがあるということでしょう。日本が今果たせるアジア共同体への役割は何か、といえば、アジア通貨基金構想に参加し、アジアで金融調整機能を担うべきだろう。この能力を持つのは日本だけだ、と忠告しています。多国間の枠組みでなければ解決できない問題が緊急性を帯びており、途上国と産業化先進国の間の環境問題処理の課題など、日本への期待も示されています。Globalizationのもとで、日本の姿勢が問われているように思います。
 これに対して、日本の同盟国とされるアメリ戦略国際問題研究所日本部長の中東・アジア戦略からみたインタビューでの発言は、中東世界に戦争を挑んでいるアメリカの戦略担当者の見方がどのようなものかが語られ、興味あるものとなっています。それは、次のようなものでした。アメリカ戦略担当者である彼の目からすると、国際社会システムの安定を損なう変数として2つあるといいます。1.反西欧イスラム過激主義を育てることになるイスラム世界の「心と知性」の問題。これは近代化を破壊し、中世社会へ回帰することを目標としているもので抑止することも思いとどまらせることも出来ないから、つかまえて撲滅する以外にない。2 イラク「民主主義」政府の成立を妨げる問題は部族間の武力紛争だ。これは民主主義社会を築く過程を経た日本やアメリカでは経験したことの無いイラク独特の民族特性の問題だ。だから、普遍主義的な規範による議論で説得できるような問題ではない。武力行使を続けて「民主主義」に反対する勢力を撲滅して行く以外にない、といいます。
では、彼によると、アメリカの目から見るアジア問題、特に中国問題とはいかなる意味で問題だと捉えているのか。
1.中国が武力を増強していること。簡単に脅しの利かない裏付けを持ちつつあると言うことでしょう。それを中国は「偶発的な紛争」の可能性がある国と表現している。その意味では、冷戦を継続する戦略を採るということでしょう。したがって、アメリカは、武力の独占的優位を維持することや日本などとの軍事的包囲網のより厳しい締め付けの形成など進めていくということであるから、そこに「偶発的な紛争」「偶発的な接触による武力行使の反応」などの可能性があるということになるでしょう。こうした可能性をふまえて、日本の軍隊との一体化を含めて、アメリカの軍備強化は世界戦略上重要な事項となる、ということのようでした。
2. 中国は、エネルギー問題という背景から、産油国の「好ましくない政権」を支援していること。つまり、石油利害に関連して、アメリカ石油資本と競争的に国益を進めようとしている対米協力的でない国との関係をもち、これを支援していることが問題だ、といいます。
国際関係の上で、石油資源の確保と利害紛争が、「世界社会」の平和的形成を妨げる動機であることが明確に語られているように思われます。アメリカにとっての中東戦争とは、石油資源の独占を目指したアメリカの軍事行為によるものではないのかが一部によって疑われていますが、石油資源の稀少化がますます明らかになるにつれ、アメリカのとるこの認識と戦略があるかぎり、世界戦争の可能性はより切実となるだろう、といえるように思います。
3.中国は、他国に干渉しない「アジア・コミュニティ」を形成することによって自国を防衛しようという戦略を採っていること。これに対しては知的所有権問題、透明性の要求などを捉えて積極的に干渉していく、と戦略を語っています。日米の強力な覇権による「アジア共同体」の支配、「中国主導のアジア共同体」の進行ストップの試みが、率直に語られているように思います。
 上記の視点は明らかに、「仮想敵」として中国ないしは中国との連合を望む国家を見るということでしょう。そうした認識の上に、アメリカの世界戦略が設計されているということになります。

4月30日(土)朝日に、シンポジューム{この国のいくえを探る}がありました。日本の元外務大臣町村信孝山崎正和五百旗頭真(いおきべ)の諸氏が意見を述べておられましたが、いずれもが外交上の目標とそのための手段についての明確な認識と政策提案を持たないのではないか、或いは率直に語っておられないのではないかという印象を持ちました。先ず、グローバリゼーションの時代での国際社会に対する戦略の問題とは何か、が問われなければなりませんが、戦後六十年にいたって、日本は余りにも豊かになりすぎた、近年格差が生じた事態も悪いことではない、「戦後の行き過ぎた社会」を「普通の社会」に戻さないといけない、という議論をしておられ、「格差社会」を有効なものだとする議論を三人ともとっておられました。私には、こうした現状認識、問題設定は、一体、日本の世界戦略の何をどう理解する論理なのかさっぱり分からない、気分的な雰囲気だけの発言でしかないように思えます。中国や韓国などとのコミュニケーション過程の問題点を、日本のナショナリズムの問題としてのみ理解し、アジア情勢を余りにもナショナリスティックにお互いがなるのは好ましくない、という山崎、五百旗頭に対して、愛国心や開かれたナショナリズムがなくなったことこそが問題だという町村のズレがあるにしろ、議論としてみるべきものは何もない、というのは驚くべきシンポジュームであったと私には思われました。アジア社会や日米連合の現状をこんな議論で行っているのが現実なのだというように理解しなければならないとすると、悲観的な気分になりがちですが、そんなことは決してないでしょう。
 例えば、むしろ、同じ 四月二十九日(土)朝日「私の視点」で、野中広務は、「在日米軍再編の交渉決着」について極めて批判的な意見を述べています。安保条約のみで平和友好協約のない現状の元で、米陸軍第一軍団軍司令部を神奈川座間に置くことは極めて危険。自衛隊と米軍を一体化して、アメリカ戦略の一翼を担うこと、沖縄基地移転交渉で沖縄県民との間で、歴史的に積み上げてきた合意を一気に反古にしてしまったこと、一切の交渉過程についての情報を秘匿していること、こうしたことに怒りを覚えるといっていることに、目が惹かれました。 今後、いろいろな議論が紹介されるでしょうし、日本の世論についても、各界の実務家の意見だけでなく、学者達を含めた議論をも注目してみていきたいと思います。