フランコ死後30周年。フランコ主義の遺産。

lunes, 21 de noviembre de 2005
 ここ数日の新聞el Pais int.の1面記事で目に付くのはスペイン旧フランコ主義関連や、右翼関連のニュースで、21日にSpain右翼のSpanish Farangeのメンバー6000人ほどが、今年もFranco死後30年記念のミサをValle de los Caidosのバシリカカトリック典礼上、特権を与えられている聖堂、マドリッドに近い丘の上に巨大な十字架とこの記念建造物が建てられています。 後述するように、フランコ体制の「靖国神社」だといってもよいように思います。)で行い、ついで1000人ほどがマドリッドまでデモ行進をし、フランコが好んで大衆動員をかけたオリエント広場で集会をし、スペインファシストのリーダーが演説をした、ということでした。デモは、現政府に反対し、カタルーニャ自治州政府の権力拡張の提案に反対して行われました。
今年はフランコ死後30周年に関連して、テレビでもフランコ時代の記録映像が沢山見られましたが、見ていて、ドイツ、イタリア、日本のファシズム時代の記憶がまざまざとよみがえり、しばし忘れていた私の少年時代の様々な風景の記憶がよみがえったりしました。余りにもよく似た風景が写しだされ、スペインの人でも2度と見たくないひとも多くいたに違いない、と思います。日本ファシズムがどんな風景だったか想像できない若い方には、今の北朝鮮の政治・社会風景としてよく繰り返し映し出される軍支配と権威主義的統治の風景と瓜ふたつだったといえばよいかもしれないし、誰でも、あなた又は身の回りの誰かによって、うっかりするとすぐ「国賊」とされかねない「人と違った人」は、人から仲間はずれにされたり、大人ならば警官に逮捕され、拷問されたりされかねない恐怖におののかなければならなかったといったら、自分に即してその恐ろしさを想像できるのではないでしょうか。例えば、個人的な、日常化していた体験の一つを言えば、皇族の人が自分の住む地域の道路を車で通るからと言って、小学生全員が動員され、東京から延々と目的地まで道に土下座して長い時間待たされ、顔を上げて「活き神様」をみると目がつぶれると聞かされて、大人と共にじっと頭を下げているという「理解しがたいこと」を信ずることが出来ない子ども、秘かに盗み見して見ると、目もつぶれないし、大人達が感激している不思議な光景が目に入ってきただけ、というような子どもは、ですから、事情が分からない小学生低学年といえども「人と違った人」を自覚しないわけにいかず、常に無口、常にひっそりと独りで呼吸して生活していたことを思い出します。
 私はこの国にお世話になっている外国人として、このスペインの人々のフランコイズム、ないしはスペインファシズムの近現代における体験とその遺産については、触れてはならないことのように思って、あえてそこの所についての感想を書きませんでしたが、死後30周年の回顧がこのところ目立ちますので、それに関する報道を読んでみる良い機会と思います。本当のところ、日本ファシズムの歴史を多少とも生きた私のような年齢のものが未だ日本では現に生きて、若い人にはなかなか見えない大きな力を持ってきたのですから、その遺産が歴史の中でどんな風に維持されたり変化していったりして、近現代化の国民的特性を作っていくのか、大いに関心のあるところです。
 ここのところのテレビ、新聞などで、フランコを回想するものをみるが、弁護したり批判したりする発言や映像のいずれも苦渋に満ちた感じであるところをみると、フランコは今も大きな影響を与え続けているのだと感じないわけには行きません。フランコの影響がどのような形で人々に意識されているのか、El Paisという新聞を見る限りにおいて、読むままの紹介の形で見てみたい、と思います。何処の国においても多かれ少なかれ言えることかもしれませんが、とりわけスペインは2つの国民からなっている、という感じは外国人の私にも否めないことですが、それは新聞にも言えることで、El Mundo紙とEl Pais紙の間の事々に際だった意見の差異、PPとPSOEの2大政党の間の意見の差異の溝の深さと広さに端的に現れている、ともいえましょう。従って、私が紹介している新聞は、スペインの半分の人たち、現政権への支持・共感を比較的示している人たちの目を通したものに近いという「偏り」があることをご承知おき願います。アメリカの現政権とそれに直結しているような国の政府筋が収集し共感を示しているスペインのニュースは、El Mundoですから、ヨーロッパ共同体の公式見解に忠実な現政権に共感を示すことが多いように見受けるEl Paisのニュースは、ヨーロッパよりの立場からのニュースだといえるかもしれません。
アメリカや日本の新聞でもel Pais紙を情報ソースとしていると思われるのは、ニューヨーク・タイムスや朝日新聞です。ニュースというのは与えられたものでしかないということ、受け取り、解釈してみることの余り容易でないものだと言うことは、お互い皆了解していることですし、「私にとって」比較的「分かり易い」ニュースを私たちは選択しているにすぎません。
 さて、以下、El Paisの最近のニュースによってみてみましょう。
現在、3人に1人は,1975年10月20日のヨーロッパ・プレスのラジオ放送、「フランコは死んだ」を聞いて、スペインの暗黒の40年がついに終わったと思った時に、生まれていなかった年代の人となっているそうです。しかし、色々な形で、多くの人の中に、街の風景の中に、フランコの記憶は到るところに残っている、といわれています。彼をあからさまに賛美する人は極少数派となりましたが、冒頭紹介した行事は毎年行われており、最近でも、数千人が参加しているそうです。また、CIS国民社会学センターによって5年前に行われた世論調査では, スペイン人の10%が、フランコ時代は国にとって肯定的な時代であったと答え、46%が「良いことも悪いこともあった」と答えていました。今月のSERラジオの世論調査では13.3%が肯定的な時代と答え、63.7%が否定的な時代と答えているそうです。同じ世論調査で、半分以上の人が今日のスペイン社会にフランコ主義の痕跡が現存していると答え、 25%がフランコに反対して死んでいった人たちのことを再認知すべきではないと答えている、としています。マドリッド・コンプルテンセ大学社会学教授ホアキンアランゴは「態度は軟化したとはいえ、二つのスペインは全く消滅しているわけではない。他のヨーロッパ諸国の何処よりも、政党間ラインは明確で、この影響は社会のあらゆる局面に影響を与えている。」と言っています。
フランコ時代についての歴史の改竄も行われていて、最も顕著な例としては、前GRAPOテロリスト運動のメンバーであったPio Moaの書いた「市民戦争の神話」がそれで、この本は、ここ50年間ほど正統派歴史学といわれてきたポール・プレストン、ガブリエル・ジャクソンなどの英米歴史家による現代史を、何のさしたる根拠も示さずに打破することを目指したものである、と批評されています。しかし、前大統領アスナール氏も評価するこの本は、20万部ほど売れていて、注目の書物となっているとのことです。 また、フランコ時代のフランコ体制派の新鋭気鋭の政治家だったManuel Fragaは、PP国民党を創設し、ガリシア自治州の首長をつい先日まで勤め続けた人物ですが、「フランコの最終的評価は肯定的なものだ。フランコ主義から民主主義は生まれたのだ、」と主張しています。一体何を論拠にしてこうした主張が出来るのでしょうか? よく分かりませんが、もしかしたら現在のスペイン政治家の内の人気ナンバーワン、フアン・カルロス現国王に関連して、こうした強弁をしているのかもしれません。或いは、フランコ死後、再び内戦になる可能性もないわけではなかったでしょうが、その危機を回避して両派が、反フランコ体制的「州」自治体の自治権を大幅に認めていく方向性を示した新たな憲法を合意の上で作り、「議会制民主主義」へと、「移行」することになった時期に、フランコ体制派を「移行」へと導いていった若きリーダーだったフラガ氏の自負の表現なのかもしれません。「移行」という語彙は、特殊な、両派の妥協的合意、玉虫色と日本語なら言うかもしれないニュアンスに富んだ言語であると思います。
 フランコの市民戦争中「ナショナリスト」地域で殺された10万人の人たち、特に1936年夏に殺された人たち、更に、市民戦争後に殺された5万人ほどの人たちについて、これらの歴史改竄者はどう言うのか、と此の記者は述べています。2000年以後、しかし、政府に認知されていない、1ユーロも補償されていない、これらの殺された人たちについての掘り起こしが、「歴史の記憶を再発見する協会」によって行われはじめているし、犠牲者達の訴えも起こされている、と報道されています。

同じく、「大いなる遺産」「フランコの遺したもの」という論説記事がのっていました。
前者は社説ですが、1975年にフランコが死んだとき、誰が僅か30年後の現在、今日ほど民主主義が安定した姿で存在すると予測できただろう、と述べています。私達日本についてみれば、1945の終戦から30年後のこのフランコが死んだ年、30年前の1975年を振り返ったとき、今日のこの社説と同じような感想を持ったことでしたでしょう。今日のスペインは30年前の日本と同じだということを言いたいわけでは決してありませんが、政治の局面から言えば、30年というのは、その国民の内部から自発的な政治構造の変動を生んでいく過程としては、決して大きな変化を生むほどの長い期間ではないように思えます。おそらく、漸く何らかの逆行不能な部分的変動が既に存在しているという時点だろうと推測いたします。思えば、ニホン社会も戦後30年の1975年時点で考えてみると、良く生まれ変われたと思います。敗戦し、惨めな生活がこれ以上続かないこととなって、占領軍を目にしたとき、日本人はすぐそれまでの日本の政治・社会体制が偽りに満ちていたことをしりました。そして、お隣の韓民族の戦後とは異なり、占領軍によって幸運なことに我々が自力では到底出来ない「戦後改革」が「上から押しつけられ、」日本軍国主義の社会構造はその基盤を壊滅させられることになりました。少なくも庶民にとっての「改革」のメリットは極めて明らかで、戦前の社会構造の維持を図りたい旧勢力が、「押しつけ憲法、押しつけ改革」を拒否しようと懸命な努力を一貫して続けてきたにもかかわらず、日本人は民主主義を目指すことに極めて高い合意を形成し、この戦後30年間の高度成長と民主化の路線を進んでいったのだと言えるように思います。スペインはこの第2次世界戦争終結の時点で、それ以前ナチと全く同質のファシズム国家であり、その同盟国といって良かったのですが、第2次世界大戦には参加しなかったため、欧米によって占領されたり、管理されたりせず、そのままの体制を継続することになりました。つまり、フランコ体制は維持され、欧米ではない国として、戦後復興の援助などから外され、ファッショの国として国際的に対抗的な扱いを長く受けることになりました。戦後世界経済の急速な復興と高度成長の時期にも、世界から孤立したまま、ピレネーの向こう、アフリカ・アラブに近い非ヨーロッパとしての扱いを受けてきたとスペインの民衆は、この時期の体験からかなり反米的感情を醸成していったと思われます。スペインに対する冷たいアメリカの態度が変化したのは、2大体制の冷戦が激化してスペインへの米軍基地の提供を要求され、それとの引き替えに西側の体制の陣営の中にはいることが許されたのだ、という人は、かなりにのぼるのではないかと思います。現在も合衆国軍事基地はそのままのようです。、ご承知のように、スペイン人の言う「戦後」とは、1945年以後ではありません。戦後とは、市民戦争後のことであるといってもよいのでしょうが、その意味での「戦後」は実質的には1975年フランコの死と、「民主主義への移行」に至る時期のことのようです。この時期から後の「移行期」に向かった時期の途中、1981年のフランコ勢力の一部の軍人のクー・デタと、国王フアン・カルロスの、移行へ向かった鍵となる行動という事件がありましたが、民主主義への「移行」が高い国民的合意のもとで行われることとなり、ポルトガルのような、或いはユーゴスラビアのような不幸を招くことがなかったことを、国民は非常に喜んでいるように思われます。こうした「移行」が何故「静かに」行われ得たのか、非常に興味あるところです。
フランコ独裁統治時代の40年間に亘って、スペイン国民の多くの人々が、今日、テロと呼ばれる戦闘を含めて、いわば継続する内戦により殺されました。先週の公的機関の世論調査では、国民の75%がこの両方の殺戮の犠牲者を含めて、犠牲者は国家補償を受けるべきだと答えていました。エル・パイス紙の世論調査では、5年前には、11%の人が、どっちの体制でもかまわない、フランコ体制でも良いとし、7%がジェンダー間平等の進歩を否定的に捉えていました。また、スペイン国民右派の間でのフランコの国への影響に対する意見の分裂が見られ、PP国民党への投票者の内、「フランコ独裁体制は悪いことだった」と答えた人は、10年前は7%だったが、今年は34%に増えたと伝えています。この数字は、我々日本人の戦後の態度変容と比較すると、非常により「保守的」で、更により{ファシズム的}といえるのかどうか、判断に困りますが、いずれにしても2大政党の一つであるPP,国民党の支持者の保守意識の中味が分かって興味深いものがあります。
いずれにしても国民は、1980年代までは殆ど満場一致国会によって政治は運営されたが、 90年代に入って、2大政党間で、外交、テロ、州政治などのイシュについて討論が行われる形で民主主義政治も実体を取るようになった、といっています。1982, 1996, 2004年と選挙があり、歴代内閣が替わってきたが、その間、世代も若くなり、アスナールになってはフランコの時期の罪意識をもはや持たなくなってきたし、サパテロになって、国民を2分している問題を、支持を失うことをおそれずに処理しようとするようになってきた、と変化も同時に進行していることを述べています。この社説は、フランコ時代の遺産の大きさを率直に指摘しながら、民主主義の方向により深く変化すべきだという立場からのこの遺産の指摘であったと思います。

もう一つの論説「フランコの遺産」は、サラゴサ大學の近代史教授フリアン・カサノヴァの寄稿したものですが、その内容はスペインの現在の国民の深層にまで深く切れ込んだ裂け目を描いたものとして、外国人の私には、少しばかり長く滞在しただけでは決して容易には気づけないフランコの遺産の話でした。フランコ死後30年、街路表示、モニュメント等の建築物、儀式、文化的なシンボル、犠牲者達、現に生きて活躍しているフランコ主義政治家や神父達が、今なおフランコ時代の遺産として現代人を取り囲んでいると述べ、建築物などの物理的なシンボルを中心に「遺産」を記述していました。
フランコ時代のこうした物理的・文化的遺産はどれも市民戦争の勝利と結びつけられていて、そうした記念物づくりは市民戦争終結前、その2年前のホセ・アントニオ・プリマ・デ・リヴェラが殺されたことを悼む1938年11月の「国民慰霊祭日」の法令から始まったとのべています。これと同時にカトリック教会は、「それぞれの教区教会の壁に現在の十字軍とマルクス主義革命軍の犠牲となった犠牲者、戦死者の名前の銘刻」をすることに合意した、ということです。これが「その命を神と国民のために捧げた者」という銘刻を刻むスペインの伝統の始まりだと言うことで、今でもスペイン中でみられるそうです。法令によるものではなくても、これらの銘刻の殆ど全ては、政治的宗教的理由で殺された殉教者であることをしめすために、名前の最後にホセ・アントニオをつけているのだそうです。サラマンカの司祭アニセト・カストロ・アルバランが書いたように、フランコ軍の市民戦争での戦死者は「ロシアの野蛮人との闘いのために死んだ犠牲者」であり、司祭でなくても皆宗教的な殉教者だ、「最も優れたカトリック、最も信心深い人たち、最も使徒的な右翼、教会への敵視と宗教への憎しみの殉教者」だ、と位置づけられた、ということです。戦争で死んだ「英霊」という言葉は、日本人が「天皇陛下万歳!」と言って死んだ人たちに宗教的に付与された称号でしょうが、スペインでもフランコ体制側として死んでいった戦死者は、神と国民の名を唱えて死んだ者とされ、カトリック殉教者として各教区の教会に祀られているという話です。この話はスペインのカトリックの話ではありますが、国家神道を国家宗教としていた日本が、靖国神社に戦死者の霊魂を「国のため、天皇(活き神様の)のため」に死んだ英霊(殉教者)と位置づけて祀っている様式と似ていると私は思います。これは戦争を戦った国家のする常套手段には違いありませんが、この「殉教者の敵」への憎しみは、宗教信念として歴史を超えて何時までも変わらず続くものとされることになるでしょう。この場合の敵、「ロシアの野蛮人」とよばれる、殉教の対象は言うまでもなくバルセロナカタルーニャ市民であり、バスクの市民であります。この戦争で殺した敵については、言うまでもなくその名前を抹消して記憶から消してしまいます。そこには侵略者が犯した戦争犯罪を問い直す意識はもちろんのこと、殺した相手もまた、相手からすればより一層の愛国者であり、殉教者であることに思いをはせることもないでしょう。侵略された側が外国人であれば、一顧だにしなくても心は痛まない人が多数を占めることになるかもしれませんが、 それが国内戦、市民戦争ともなれば、そんなことではすまないでしょう。フランコ側の戦死者の家族は、殉教者として国家補償の年金を受け取ることは出来ても、戦後30年たっても、バスクカタルーニャの戦争による被害者は名前を抹消され、死の原因の記録も保存されることなく、幾つかの公民権上、宗教上、政治上の敵であり続けています。憲法上平等なスペイン国民となった現在、「ナショナリスト」は、独立や合衆国になることを要求していますが、おそらく此の要求の深層には、この愛国者祭祀の、殉教者であることの再定義を最初の大きな仕事として行いたい、というような動機が隠されていることでしょう。
市民戦争が終了した後でも、国中到るところの街路の名前や記念碑の建造、学校や病院などの名前に、誰が勝者で誰が敗者であるかを明記するかの如く、ファシストのリーダーシップと宗教的リーダーの名前が付けられましたし、今でもそのままになっておおく残っているそうです。例えば、フランコ、ジャゲ、ミラン、アストレ、サンフリオ、モラ、ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ、オネシモ・レドンドなどだそうです。例えば、最後のオネシモはこの時期の政治的リーダーとして地位を築き始めたのでしたが、市民戦争の初期に死亡し、今日、その生地であるキンタニージャ・デ・アバホにあるキンタニージャ・デ・オネシモ村に名前をとどめています。いろいろな地域で、特にムルシア県は独裁者を思い起こさせるもので一杯です。 このスペイン東南の地域は、1939〜1951のフランコ時代の教育大臣ホセ・イバネス・マルティンがその政治家のキャリアを始めたところで、そこの幾つかの学校は彼の名前を付けています。文部大臣の名前を付けることは良くあるのだそうですが、しかし、このケースの場合は特殊で、彼は文部大臣としてこの地域の学校を戦利品として扱い、「敵国」の教員を多数教員のポストから追い出し、生徒もカトリック信者の家族、フランコ主義の運動のメンバーの家族と、前戦闘員の家族とを区別して分けると言うことをやったのでした。
しかし、市民戦争の勝利を祝うものとしての記念物の何と言っても極め付きは、1959年にマドリッド近郊につくられたValle de los Caidos「戦死者の谷」と名付けられている記念建造物でしょう。この建築工事は20年間「赤の捕虜と政治的囚人」を使って行われたといわれ、「英雄と十字軍の殉教者」の死を時間と記憶力に挑戦して讃えるための壮大な記念碑としたものです。先に冒頭で紹介したように、毎年、フランコ主義者達がここでミサをおこない、後、フランコが大群衆を集めて演説していたフランコゆかりのマドリッドのオリエント広場まで行進するというところです。この中には、先に述べたように「赤であり無信仰である」戦争中の戦死者たち、殺された人たちは記録されていません。まさにこれはスペインの靖国神社に他ならないのではと思われる方も多いのではないでしょうか? 「敵」の死者は道路にうち捨てられ、記録もされず、或いは無名の墓や公共墓地の壁の中に葬られたのであって、ある種の神父が取ったこうした措置については、いまなお責任を問われなければならない、という議論があるようです。こうして、市民戦争とその後の勝利者の軍政・独裁制と「敗戦国民」の間の亀裂は深く広く断裂を続けながら、自治州の国家への不統合が顕著であり続けている、ということになります。ある意味では、国内「戦後」はまだ続いているということです。しかし、それにもかかわらず、フランコの死後、一見すると、フランコ主義的独裁政治から、フランコ主義への大きな武力闘争も殆ど起こらずに議会制民主主義へ移行したかに見えるのは、こうした記事を読んでみると、一層不可思議なことのように思えます。1976年ともなれば、フランコ体制を引き継いだ人を含めて、ヨーロッパや世界の孤児を続けることの無意味さ、何らかの民主主義体制へと変貌しなければならないことは、フランコが死んでみれば、誰にも余りにも明らかだったことでしょう。
これを寄稿した著者は、その時代について、ある人は復活させたがるし、ある人は忘れたがっている。ある人はその独裁者と内戦の歴史の回顧にウンザリしているが、トラウマを遺した時代を生き残った人々に取って、過去は容易に文化的、政治的闘い、公開討論・審判の場の現在となり続けてきたと述べています。30年後の現在、それは思い出すのも不快な記憶でしかなくなりつつあるが、しかし、その社会的記憶というのは、歴史家が構成したものと衝突するような話にしばしば変容していく可能性があるものです。したがって、将来の世代に遺されていくものが何で、将来の世代の歴史家はフランコの遺産をどのように解釈していくことになるだろうかと、この歴史家は不安を述べています。そうしたことのためにもフランコ独裁制ミュージアムアーカイブを、「フランシスコ・フランコ ナショナル ファウンデーション」の内容を含めて、保持していくことは我々の責任だ、と述べ、フランコ主義の影響から次世代を守るべきだとするならば、次世代に、民主主義の価値観を浸透させなければならない、と述べています。
40年間フランコは権力を握っていたのであり、死後、未だ30年間でしかないのであって、我々はその遺産の多くをまだ担っているのだと言って、この論文を終わっています。
 終わりに、一言付け加えておきますが、毎週の連続ものの大変人気のあるテレビドラマがあります。私がスペイン語の力のないことを嘆いているものの一つです。番組の名は、Cuentame como pasó 「前はどうだったか話して!」というものです。まさにフランコの時はどうだったかをニュースの映像などもふんだんに使ってホームドラマとしているもので、、多くの人が見て、「アレは本当だった」「イヤもっとこうだった」と中高年の人が口角泡を飛ばして、話が尽きない風景をよく目にします。普段聞けないような発言、「家のお父さんは社会主義者だったガーーー」とか、「あんたはアナーキストだからーーー」とか言うようなことがポン・ポン飛び出してきたりして、日常的にはこの街には、保守派の人しかいないのかもしれないと思っていた私を驚かせたりしています。日本も、こうしたドラマを庶民の家族生活や、近隣のドラマとして、大事な記録映画の映像と共にやってくれば、私たちの歴史感覚もまた大いに違ったものになったかもしれません。NHKさん、どうですか? 今からでも遅くないでしょう。沢山残っているはずの映像を、ドラマ仕立てで、この際、編集公開なさる企画をお立てになりませんか? 因みに、この番組は、フランコ時代を逐年を追って長々とつづいて描いているものです。

労働市場と教育制度の制度関連としての「学歴社会」の現在

先日、10月30日に私がここで書いた記事に、反応してくださった方のページを読ませていただきました。インターネット音痴で「トラックバック」とやらいうことにどう反応すべきかよく分からないので、その方々に対するお礼の意味を込めて、今日の「ダイアリ」を書かせてもらいます。
私は定年後、スペインで年金で暮らしている男です。年金と僅かな預金だけで、何とか今のところ生活できますのは、日本の社会とスペインの社会のおかげだと感謝しています。7・8年ぐらい前、ある大學で数年教員をやっていた時、学生さんに「たとえ一時雇用で、あちこち職場を変えることになっても、キャリアを自分で作り、熟練を自分で形成するように職業を余り変えないようにしたら、」と苦しい個人的忠告をしたりしましたが、ばかにするな!と随分学生さんに恨まれたようでした。当然ですよね。しかし、日本型終身雇用の制度がなくなり、職業能力の形成とキャリア形成の制度が一般大多数の人にとってはなくなったのですから、それに代わる制度を作らない限り、自分でキャリアを形成することを、さしあたり自己防衛的に考えないわけに行かないでしょう。学校の制度を通して求人するという日本独特の労働市場制度はそのままの外観を保っているようですから、しかも、「格の低い」とされる多くの大學で、殆ど定職の求人がないことを知っていて、学校がいくら看板を職業に対応した教育をするかのように書き換えても、実態は前と変われるものではないことは、実は明らかなことですから、教員としても非常に苦しい立場に立たされることになるわけでした。日本の学歴社会は、学歴が重視されると言っても、企業によって大學の格が重視されると言うことで、医師、弁護士、教員というような公的な検定試験や、一律の採用試験を行う特定の職業を例外として、学歴資格は職業と対応するものとして社会的に意味をなすようには出来ていません。それは大學・高校の教育の仕方の問題というよりは、労働市場制度の問題であり、職業に対応した○○学士を求むとか、○○課程の単位取得と成績○○点以上をもとむ、というような意味での、「職業教育」をしていないのです。そのような職業資格を意味する学歴を与える制度とは、例えば、A大學からz大學までの同じ課程を出た学生の成績が、同じ基準による評価で行われていなければなりません。公的な一定の共通試験をしないとすれば、試験そのものの検査が行われなければなりません。国家による上からの検査と言うことになると問題は大変深刻な事態を起こしかねない懼れがありますから、イギリスなどで実際に行われているようですが、各学校の試験の検査をどう自主的に行うかという問題は大変難しい物があります。試験制度だけではなく、それ以前に、各大学の教育そのものが、一定の基準の資格を与える教育として基準をクリアーしているかどうか、毎年検査なければなりません。教育の自主監査制度を、日本も導入しようとしたようですが、日本的労働市場の元で、それが何を目指した物かは、積極的な意味不明なところがあり、有効な制度としては実現しなかったようです。いろいろな国には、違った型の労働市場と教育制度の連関の制度的構造があり、そのもとで、諸個人は、高学歴・良い職業・良い生活を追求しているわけでしょう。産業社会はどこでも「学歴社会」だといって良いでしょうが、その異なった2制度の連関の制度にはいろいろな差異があり、特徴もあることは、前回のスペインのそれを見ても、ある程度分かる気がしています。
 日本の従来の制度の前提のもとで、学校や大學での「職業教育」についての「常識的」理解は、極めて実用的な、ある会社における実務的なキャリアとか、手先の熟練とか言うことのように理解され、企業外の各種学校を出ても、殆ど定職に対応する教育として相手にされなかったのだと思いますし、そもそも学校教育や大學教育は、日本的な意味での職業教育をする場ではないと考えられていて、戦後は特に、「一般教育としての教養」と「ある専門的学問分野の入門」を身につける場所とされてきたのが実態だったといって良いでしょう。こうした労働市場と教育の制度の機能的関連の日本に於ける関連、「日本的学歴社会」という制度連関は、現在実態として解体していますので、これに代わる職業と教育の制度的連関を新たに構想しなければならないはずです。こうした構想は、全体社会のシステムの問題ですから、個人のミクロな視点からの努力の問題ではないでしょう。そうすると、英米型の自由主義労働市場になったのだから、それに対応したアメリカやイギリス型の大學制度と労働市場制度にすればよいのか、というと、日本人お得意の外国モデルを持ってきて日本的に換骨奪胎するという手は、しかし、グローバリゼーションの現代的環境のもとでは、事態をもっと深刻にしかねないようにも思えます。本当に、今までの枠組みでは考えつかないような発想をしてみなければならないように思うのですが、マクロな制度変革構想を生み出せる世論とそれを公共的な意志決定に結実する政治システムは、今のところ全体として枯渇していて、期待できそうもない気もします。そこで、さしあたっての自己防衛的な個人的な行動としては、「格の高い」大学に行くと同時に、今の労働市場において、高度の職業資格と見なされるような特殊な学校で「資格」を取ろうとするような学生さんが、いわゆる「勝ち組み」にはいるための行動として、最近は広く見られるようになった、ということのようですね。会話学校に行ったり、経営学校に行ったり、法律の大学院に行ったり、いずれにしても挫けてはお終いで、マクロにも、ミクロにも頑張ってみる以外ないですよね。そうした涙ぐましい結果として、例えば、現在の高学歴人材達が、新聞に見られるような、或いは多くの若い方々のホームページに見られるような生活と、社会の全体像の一部を作っているのですね。もっと沢山の、従来の「中の中」以下の庶民層の暮らしの個別的実例も、沢山掘り起こして、「とりあえず、みんなで知って、考えていくことが大事だ」、というお考えには全く賛成です。関連する諸制度で働く人たちが、少し全体像について考えてみながら、みんなで現実像を正確に描いてみたいものです。私も、今のところそうしたこと以外思いつかないのが正直なところです。

スペインでの「教育改革」反対大デモと「スペイン学歴社会」

短い秋の空、1週間後の今日は大雪

11月12日土曜日にマドリッドで行われた「教育改革法案」に反対するデモは、ザパテロ内閣になって最大のデモであり、政府筋の計算でも40万人、主催者の一つであるCONCAPAカトリック父兄国民連合の見積もりでは200万人の参加と発表されている大きなものでした。こんな大勢の人が参加したデモがあるとは、ただごとではありません。しかも、それは政府の「教育改革案」をめぐる反対の大デモです。スペイン社会の現状認識には、大変重要な「事件」であるに違いない、という見当で、このことに関するニュースを読んでみました。
 ついでに触れておけば、スペインでは、国民各層がその緊急問題を国民や政府にアッピールしようとして、最近でも幾つかのデモが行われています。それはあたかも、テレビ時代を意識した社会運動のスタイルであるかのようです。例えば、水飢饉や石油の価格上昇に伴う農・漁民のデモなどは、公共道路を閉鎖したり、野菜や魚をまき散らしたりした「実力行使」を含んでいました。また石炭産業の閉鎖計画に対する反対デモなどは、伝統的なミリタントの労働者のストライキの風景に酷似していていました。しかし、1960年代初頭に到る日本の石炭産業閉鎖に伴う警官と労働者デモとの流血対決と、組合側の決定的敗北に終わるというような風景は、勿論、今日のスペインでもあり得ない風景で、社会党政府はこうしたデモをしてくる関係者と話し合いに応ずるという形で、デモは終結しているようです。それは英語で言えば、組織された利害紛争当事者と何が公共利益か」を代表する政府の3者間で社会的合意を建設的に形成し、3者がその組織成員に対する統制を含めてその合意の履行を責任をもって行う、というトライパータイト方式というルールが合意された上での交渉方式であるかのような印象を受けています。そうしたルールが社会的に成立するのは、第3者である政府に対する各層の信頼がなければならないし、各組織がその契約の責任をとれる行為者としての組織力をもたなければなりません。そうした方式を主張しているのが、現代の「社会民主主義」政党だということもいえるのかもしれません。 その国で食物として飼育していない動物について「野蛮行為に反対する」デモのような、極少数派のデモは、デモのようなアッピールの仕方も特異な物となって、毛皮を剥がれた動物を模したのでしょうか、道路上で女性が身体に赤い色を塗ってヌードになるなどもありました。そうした最近の各層のデモと比べて、風景としてもこのデモは非常に際だった特徴を持っているように見えました。即ち、全国動員の主役PPの政治家と比較的目立たないように控えたとありますが、全国に動員をかけたカトリック教会の神父さんを先頭集団に交えて、デモ参加者は農漁民、鉱山労働者達のデモ参加者とは明らかに異なった社会層、上・中産階層の人たちの大衆行動であったことでした。
 教育問題は、国民にとって、生活の中心問題である就職問題との関連で、国民の最大の関心問題の一つであり、移民問題と共に、実生活の未来との関連づけでここのところとりわけ論争の中軸に来る論争点となっているものだろうと思います。日本でも、論理的に言って、このissuesは、そのような位置、社会的なディスコースの文脈を占めている筈だと思います。それは前回に書いた「中流社会の変容」でも書いたとおりです。しかし、いうまでもなく、日本とスペインの国民社会文化の相違は顕著で、主要なイデオロギー・政治文化の対抗のあり方は、非常に両国の政治システムの差異を顕著に示しています。
 ここスペインでは、初等・中等教育レベルから、恵まれた階層の人ほど私立の、カトリック系の学校に行くことを選択するといって良いでしょう。勿論、高等教育レベルでも、「伝統的に」カトリック系私立大学が、優れた高等教育を行う大學であり、その卒業生は社会のエリート層に入ることが出来ると信じられてきました。このような認識は今なお、中産階級・上層階層の人々の中に多く見ることが出来ます。この人々にとっては、よりよい家庭に生まれた人々は、優れたカトリック信者としての生活態度を自ずと身につけて、高等教育を学び、上層階層的職業につくことは、ごく「自然な」ことであって、そこで「教養」として教えられている文化は、また、その社会の上品な趣味の、道徳的な、リーダーが身につけるべき「真実の認識」であり、要するに「教養」文化に他ならない、と確信してきました。そして、スペインの国民的特徴は、あるべき教育システムをスペイン・カトリシズムとカトリック教会と結びつけて、殆ど同じ物として今なお多くの人々が見なしている点でしょう。多くの人々は、良い職業について、良い階層の生活を送るにはどうすればよいか、という「階層アスピレーション」を、カトリック教会の経営する私立学校に入学し、高等教育まで此の教育システムを上昇していくことの先に、この階層生活が待っていると確信し、その道を追求して行く機会が広く開けていると夢見てきたのだといって良いでしょう。こうした社会はやはり「スペイン的学歴社会」と言って良いだろうと思いますが、前回に紹介した1000ユーロ所得階層の問題は、こうしたスペイン学歴社会の変容問題だといってよいのではないでしょうか。正統な高学歴を進んできても、そうした中・上層の生活が達成出来ない、ということの責任をどこに追求すべきでしょうか? 
このような教育制度で身につけるべき「教養」を社会構造上の一定の社会的地位への人材配分制度という視点から、「文化資本」の所有という言語を用いて概念化して認識されることがありますことはみなさんもよくご承知のことと思います。こうした認識枠組みからすると、「高い階層の文化」を家庭内で育って自然に身につける恵まれた人たちは、学校教育では、その社会の学ぶべき「文化」として「高い文化」が教えられますから、この基準から高い社会的人材評価を受け、従って、この制度上での高い職業的位置に着くことが出来る、という次元が認識されることになります。ところで、多くの人口部分にとって、問題は、このカトリック教会経営の私立、或いはカトリック宗教教育を行う学校にはいることは大変困難である人も多くいるということでしょう。それは、「文化資本」の相続、ないし「教養」の学習を家庭内躾を通して容易に身につける経験を多くの人口部分は持てない、ということが一つの問題です。また、通常、かつて福沢諭吉が慶応大学を旧帝国大学並みのエリート大學にするために、非常に高い入学金や授業料を取る選抜方法をとったといわれているように、事実上経済的に余裕のある上層・中産階級層から選抜する制度がバリアとして働いていると言うこともあったでしょう。ですから、国民の多くの人口部分を育てる教育システムとして、国民普通教育制度というようなものが近代社会において発達してきたことは周知の通りです。そうしてこの2重の教育システムが階層構造上の地位に対する階層的人材配分の制度として機能してきたことも周知の通りです。
 ところで、このデモが反対する現在の政府の「教育制度改革案」とはどのようなもので、そのどの点に対して反対をしているのでしょうか?それは社会主義政党と名乗る現政権が、カトリック宗教教育を正規のカリキュラム科目として、成績評価することから外そうと言うことに対する批判です。つまり、国民全員の人材評価や職業資格に関わる評価として、このカトリック宗教の科目を正規科目から外し、誰でも「選択的に受けることが出来る科目」にしようと言うことに対する批判です。想像されるように、この批判を最も棘を持った言辞で批判しているのは、スペイン・カトリック教会の枢機卿や教会の公的機構の人、「熱心な信者」達です。この人達は、この「改革」が成績評価する正規科目から外すことによって、初等・中等教育から宗教教育の歴史的・社会的・道徳的意義を損なおうとしているのだ、と批判し、また、「改革」は、財政的な国家補助をもらって教会が学校行政を運営しているカトリック系私立学校から減額していくことにより父兄の負担を多くし、子どもに宗教教育の機会を与える親の能力を制御しようとしているのであり、またそうした学校を閉鎖に追い込もうとしている、と批判しています。こうしたカトリック教会の運営する学校は、全学校の26%もある、といわれています。
「教育改革」の裏にある現政府のイデオロギー的立場は、「ヨーロッパ憲法批准の国民投票の時にキャンペーンをした時の立場、即ち「基本的人権」路線とでも言うべき立場であろうと思いますが、日本国憲法やヨーロッパ社会思想史に成立した経過に見るような、「思想・信条の自由」を公民道徳の不可欠な項目にする立場であり、思想・信条の自由とは、国家が特定の宗教を国家制度の中で「正統な宗教として、個人や集団に強制してはならないこと、その他の思想・信条を異端として廃除してはならないこと」の社会的合意を意味していますが、その立場からの「改革」であり、政治的イデオロギーの闘争であると見て良いでしょう。このように、スペインの現時点での{保守−革新}の政治文化的対抗軸の1次元はカトリシズム対「人権」路線にあることは明らかです。もう一つの対抗する政治文化の軸は、保守−革新というような言い方では不適切で、異なったナショナリズム間の対抗であり、現政権党のように、それらのナショナリズムとも異なる国際共同体ないし国際社会主義の立場が3つどもえで対抗しているように思います。それは、異なった民族や国民間の多元的な緩やかな連帯と協同の関係を作り、しかし、平和と個人の人権を国際法規として制度化しながら、各国家が明確な責任をとれるような国際的合意事項を積み重ねて、ヨーロッパ共同体を形成し、更に国際社会に到ることを視野に入れたイデオロギーだといってよいでしょう。これに対して、PP(国民党)の取る立場は、国家による「異なったナショナリズム」の、ただ一つの国民への統合と統制を基本とする国民統合の立場、唯一のスペインの国民統合以外はあり得ない、という立場だと思います。言い換えれば、異なった民族の多次元主義的共存や統合などあり得ない、という立場を取ってきた、といっても良いのではないでしょうか。レコンキスタを国民的アイデンティティの中核に持ってきたスペイン人の伝統的なナショナリズムのあり方を此の政党は最も正統に受け継いでいるといえるかもしれません。
これらと異なる、ここでいう「ナショナリスト達」のナショナリズムとは、現行スペイン国家は、異なった民族=本来異なった国民ナシオンから構成されている国家であり、異なったナシオンはもっと自治権をそれぞれ持って政治経済・文化的な自立ないし独立を達成すべきだというイデオロギーを意味しています。これらのナショナリストの目から見ると、PPの立場は、マドリッドを首都とするリージョンのナショナリズムによる支配を目指すものと認識しているに違いありません。日本は植民地支配の際にも、日本人になるべきだという「同化主義」の立場を取ってきましたし、日本国家は一つの民族からなる一つの国家社会、国民国家だとするナショナリズムをもつてきました。従って、我々日本人は、「われわれの常識」として、PPの立場が最も正論だとおもわれるでしょう。力による統制も辞さないと言う昔のフランコ主義はまったく論外としても、ある意味では私も「国民社会は一つの民族にまで歴史的に融合していることが望ましい」と思いこんでいますが、しかし、ヨーロッパ大陸その他では、必ずしも、こうした「国民=民族」は「常識」として通用してきたとは言えません。国民統合の問題は複雑な様相を呈しています。
このデモを組織した政治的中心的勢力は、言うまでもなく政党であり、野党第1党のPP党、すなわち、ポピュラー党或いは大衆党ないしは国民党と名乗る保守党です。フランコ時代の政権をになってきた政治家、政治勢力を構成した人達が、フランコ死後、その流れを継承して「議会制民主主義」の時代へと移行を計った政党といわれています。此の政党はフランコ時代から、スペイン・カトリック教会と密接な、切っても切れない関係を持ってきたわけですが、今日でも、此の国の保守党のイデオロギーはスペイン・カトリシズムであり、非常に大きな影響力を行使しているイデオローグは、スペイン・カトリック司教会議であるといっても良いでしょう。この宗教組織と国民党は、組織的には勿論一体ではありませんが、PP党とカトリック教会・信徒の関係は、日本の公明党創価学会の関係に似ていると言えば、わかりはよいでしょうが、勿論、それは関係の形式の限りでの話です。しかし、カトリック文化の中で、それを自然に受容しながら生活を営む大多数のスペイン人全てが、この意味でのPP支持者であったり、教会参加型の市民であるとは言えないことは注意する必要もないでしょう。仏教文化国家神道の中に生きた現存日本人とその政党支持との関係と似た面があります。
現在、とりわけ、市民戦争で厳しく内乱を戦い、長いフランコの暗黒時代を通ってきたカタロニアとバスクに、リージョンの自治権を拡大し、スペイン合衆国となろうとか、独立してフランスの同じ民族と結合して、バスク国家を形成しようというような「ナショナリスト」政党が、現州政権をになってます。バスク議会が裁決し、国会に上程してきたバスク「独立」案とも言える内容の法案は、スペイン中央国会で否決されました。今回の国会では、カタロニア議会で採択され、中央国会に上程された自治法改革案を審議していますが、PPも一定の理解を示せるような妥協を含んだ重要な修正を行うことを条件に、現政府は通過を計ろうとしていると理解されています。したがって、PP党はそのデモの中で、その教育法批判の矛先をとりわけ、現在国会で中心的な議題として討議中の「カタローニア自治拡張法案」にみるような、各リージョンの民族主義者たちの地方自治拡大の要求への社会党の妥協的傾向に関係づけて向けており、地方自治政府の自治を拡大すれば、国家の各地域に現行とは異なった教育システムが創り出されることになり、それは道徳を崩壊させ、無秩序な社会を生むことになるだろうと教育の危機を訴え、批判しています。
これに対して、デモ以前には、そんな根拠のない未来の憶測に基づく批判には対応出来ないとしていましたが、この大規模なデモ動員には、政府としても真剣に対話をする以外はない、という意味で、デモは大きな成功をかち得たと言って良いでしょう。

カトリシズムのイデオローグ達の道徳教育にたいして、現政権党のイデオロギーは明らかに対抗的な性質を持っていると思います。教育システムの中で、どのような政治文化を正統なものとして教育し、その成績を問うべきか、「公民」教育か「カトリック宗教」教育か、実生活の関心から、まさにこのイデオロギーが国民の間で戦われていることが非常に明瞭な形で見られたのだ、という気が、私にはします。
デモ参加者達が要求するように、カトリック宗教教育の制度を維持し、個人の努力次第で、それを高学歴にまで努力して身につけたら、中・上層に到達出来ることが今後とも達成出来るでしょうか?「スペイン学歴社会」は維持できるのでしょうか? これからの若者達は、、従来の教育システムの維持によってこの就職危機から救うことが出来るのでしょうか? この膨大な人数のデモは、ppの政権復帰を願ってこの政治運動に参加しているわけですが、何をこの政治運動によって達成できるでしょうか? 民主主義や人権、生活福祉の保障は、このデモ参加者の願う政治的選択方向に向けて進めば、更に前進することが出来るのでしょうか? ではそれ以外の道とはどういう道であり得るのでしょうか? 
 他人事でない、地球上の共通問題のような気がいたします。

中流社会の変動。月収15万円・高学歴・不安定雇用層の構造化

日本をもう足かけ3年に亘って離れ、その間に数ヶ月帰日しただけで、日本の事情にひどく疎くなってしまいました。その他の国に長期滞在し、ちょっとだけ日本に帰るという事をしていた時期を入れると、もういつの間にか5年以上日本を留守にしていることになります。その間に、世界は新たな地球化の条件の下で、逆行不能な新たな構造化を達成して、日本の階層構造もすっかり様変わりしているはずだろうと想像しています。 1980年代末―90年代始めの時点で私が調べた結果では、中流と自己認知する大多数の人口のうち、「中の中」と自己認知する人たちと、「中の下」と自己認知する人の間に、客観的な指標で若干の階層的な境界が見いだされ、「中の下」層の「中流意識」にもかげりが観察されましたが、未だ「中流化」した階層構造は健在だと、広く信じられ、日本的社会システムの保守によって、「中流化」した階層構造は維持されるだろうと多くの人が期待していました。特に職業的に「労働者」階級に分類される人たちにおいてその傾向への変化が顕著に観察され、「中流意識」に一般的なかげりが見えてくるに従い、それだけ強くこの人達が積極的に保守政党を支持していく傾向を示し、その意味では、「中流化は保守化」という命題が妥当性を持ったし、その後のバブル崩壊から現在に到る、日本型経営の下降的停滞から崩壊にいたる20年間の間に、かつて戦後に階級政党といわれたり、『革新政党』といわれて彼らの意志を代表することに政党基盤を求めた諸政党は、議会制民主義の制度的担い手として、事実上消滅してしまった感があります。それだけではなく、その結果、保守一色となったとはいえ、保守政党もその戦後の政治システムを変動して、新たな構造変動への対応を計りつつ、暫くは混迷を続ける様相を呈しているようです。一方でそうした期待で政治を見つめながら、国民諸階層は、階層間亀裂を深めつつ、多くの若者が、従来のライフ・スタイルの生き方が、生活の安定と豊かさへと結果しない事が一般的になった事実を、漸く認めないわけに行かなくなっているように思います。:すなわち、高学歴・大企業就職を目標に、それを目指して家族は子どもを育て、努力して、安定生活を生涯にわたって獲得しようという生き方、そうした価値尺度において人が不平等な階層的地位に配分される事を、公正妥当なものとして受け入れていく生き方が、いまや「中流化階層構造」を結果しないで、ごく少数の「勝ち組み」と多くの「負け組み」を結果している事実に、漸く気づいてきたと思われます。
中流90%』といわれた時代の、最も『豊かな階層的カテゴリー』は、若年層を含む大学卒・男性・大企業勤務・新中間層的専門職・安定雇用の、1人が占める社会的地位の諸カテゴリーの集合として構造化されていました。所得階層として最も恵まれているこの層は、この中に年齢の異なる2層が区別されていましたが、それは生活給・年齢給を取っているためで、同一の階層のライフステージと見なされることが出来ました。所得階層として次ぎに来る階層は、高校など中等教育卒、大企業、男性、工場労働的職業、安定雇用(一定企業勤続年数上層)などの社会的地位の集合体として分析的に認知される社会階層でした。つまり、大企業で働く労働者層は、安定的な豊かな所得階層に属していたのでした。大部分の人は所得階層や消費水準で主として自己認知していたこの時期の階層的地位は、学歴、企業規模、が極めて重要な階層的地位配分に関わる要因と見なされていたし、それによる限り正当な公正な階層的地位配分と考えられて、『階級』的不平等は既に存在していない、と議論されていたように思われます。むしろ、その公正さを欠くものとしてこの階層構造の問題としてあげられたのが、gender要因であって、性別は不平等要因の最も顕著なものであることは明らかでありました。中等学歴・中小規模企業で働くことが、生涯の職業の安定度で低く、所得・消費階層のやや下の「中の中の下」「中の下」層と自己認知する人たちの客観的な地位要因でしたが、高学歴の人であっても、女性であれば、この社会層へと固着しているという構造があって、すなわち大企業は女性を採用しない、終身雇用制度から女性は排除されている、という構造がありました。しかし、必ずしも事実ではなかったのですが、個人は学歴によって階層的地位を自由に移動出来ると言う社会の開放性が『信じられている』かぎりは、男女ともにこの階層構造自体の不公正さを問題にすることはありませんでした。むしろ、Gender文化の批判が一般的に大きく問題にされる傾向があったようでした。その後、男女ともこぞって大学に入り、高い階層的地位、中流の消費生活を目指したが、しかし、その後の世界経済の展開は、これらの若者を殆ど無制限に大學に迎え入れることが出来る教育産業の興隆にもかかわらず、大卒の高学歴は、「中流の中」の職業への就職への配分機会を何ら保障しないものとなってしまいました。非常に多くの若者が属する多くの私立大学の、非常に多くの学生が卒業しても適当な安定的雇用を見いだすことは絶望的な時代に入ったといえます。今日本の階層的地位配分の制度構造はどのように変化していきつつあるのでしょうか? 或いは制度構造は変化しないでそのままでありながら、つまり、1番恵まれている消費―所得階層はやはり高学歴、男性、大企業、専門的管理的職業、なのかもしれないし、変化したのは、そこに属する人々の人口が極めて薄くなってしまい、『中―中』以上に対して『中−下』「下」層が極めて厚くなったことではないか、とも想像されます。大量に産出される大卒、修士号、博士号取得者も、極めて就職が難しい状況が想像され、戦後の学歴が持つ形式的な意味が失われている状況が観察出来るのではないか、と思われます。最近は、日本にそろそろ帰って、少しデータを読んで、しっかりとこうしたことも認識し直してみたいと思い始めています。
第一に、生産力の情報システム次元が徹底的に機械化され、オートメ化され、人力は無限に0に向かって「合理化」されてきたこと、第二に、人材・労働能力の経営管理システムは、徹底してjust in time systemに「合理化」され、つまり、必要な時間に必要な量だけ、必要な場所に一時雇用する、という方式が一般化されたこと、多くの労働人口は、こうして高学歴であっても、時間給で雇用される広範な不本意な職業に就いている人達といわざるを得ない人たちへと固定し、階層化せざるを得ない事となっている、と思います。こうして、今までの経済の歴史の中で歴史的な高度の生産性を上げる時代に入り、少数多国籍の大企業に世界の剰余の富は集中し、使いようもない富を集中しながら、他方で、年金・健康保険・環境維持の社会保障・福祉制度を維持出来ないというようないびつな制度が世界各国に生じています。昨今、、このいびつさの結果として大量の世界人口が貧しさに喘いで救いようのない状態にあることを、これ以上それが何故起こっているかを詳しく知っている人はいないだろうと思われる、今世界の剰余的富の広範な部分を独り占めしているビル・ゲイツさんが、その個人的富のごく一部を、アフリカの人の貧困病患者のために寄付しようとしている「美談」が報じられました。金額は、個人的には、一見巨額ですが、そんなことより、徹底してなくしてしまった雇用を元通りに近く維持するシステムでも開発してもらいたいものです。

 それはともかくとして、ここスペインではどうでしょうか? 周辺の友人達の家族の話を聞いても、日本とかなり似たような状況が観察されるように想像しています。
10月24日、El Pais 国際版 Society欄で、マスター以上の高学歴の30代が、低賃金で高い生活レベルを実現しようとして苦労している最近の実態がレポートされていて、極めて興味ある記事となっています。例によって、この記事をそのまま、ご紹介しておきましょう。
 新聞に、新社会階級Mileurista月収1000ユーロ階級がうまれている、という趣旨の投書があったと言うことで、それを検証する形で、インタビューにより、このレポート記事が書かれていました。それによると、「ミルユーロイスタとは、若く、大卒、外国語を話し、学士・修士号を持ち、----しかし、月収1000ユーロ(1ユーロ=140円換算で、約14万円)以上稼ぐことがない。彼らは都市を好むので、その収入の1/3以上を家賃に使う。預金はゼロ、その日暮らしに終始している。たまには楽しいが、非常に疲労している。」というような定義になります。
この2ページのテーマ記事は、こうした定義があてはまるだろう事例について、インタビューを行っているものです。
投稿者カロリーナは27才、女性、作家、バルセロナ下町に住んでいます。広告会社勤務。ドイツに数日旅行してドイツで働く友人の生活と比較した結果、怒りと羨望の感情を抱いたといいます。彼女自身は他の3人の20代後半の女性と住居をシェアーしていますが、彼らのうち、誰1人アパートの家賃全てを1人で払える人はなく、月360ユーロ(約5万円)ずつ出して一つのアパートに同居しているが、3人とも1年前には全く見ず知らずのもの同志で、奇妙な、しかし堅く結びついた家族生活をしています。彼女の知っている友人は皆同じような生活をしていて、例えば、「マドリの出版社で働く友人は月収1000ユーロ、アンダルシアの弟は技術者でやはり同じような生活をしているし、その妻も環境学の学位を持つが、同じようなものです。だから、我々は同じ階級にいるといえるように思います。他の人と比べると、我々は威信の高い層に属し、我々の生活がひどく悪いというものではありませんが、しかし、我々自身が期待している生活とは全く言えません。」といいます。
この事例は最近の欧州連盟、the Eurydiceのレポートとも大体合致しています。それによると、スペインでは大卒の40%しかその学歴に対応する職業に就いておらず、25−34才の学部卒の失業率は11.5%で、平均6.5%のヨーロッパの中でも最も高い失業率の国の1つである、ということです。
にもかかわらず、上記の事例は広くヨーロッパに見ることの出来る傾向である、ともいえましょう。この記事によると、フランスの社会学者Louis Chauvelは Le Nouvel Observateurでいっていますが、19世紀や20世紀初頭の貧困者は未熟練労働者、農民、高齢者などだったが、こうした人のいた社会は消滅しつつあり、「現在の新貧困者は若者である」といっています。
スペインのここで問題にする世代は1965-80年に生まれた世代で、一方の極にあって、20代末の「若者」を卒業しつつある投稿者のような年齢層の人であり、他方の極に、40代に入る、権力を握りつつある世代である。これらの世代は黄金時代の子供時代を過ごし、満帆に追い風を背負った発展時代を通じて、近代的・楽観的時代を過ごした、自己犠牲と責任感のある親に育てられた人たちである。彼らは1974,1992の二度の経済危機を経ているが、その時期、このスペイン史上最も高度の学歴を持ったこのベビーブーム世代が、それ以前の世代よりも良い生活が出来ないだろうなどと、誰も過去を振り返って疑うものはなかった。しかし、実際にはそうならなかったのであり、これが問題の根底にある、と社会学者Enrique Gil Carvoはいっています 。彼は、
「この若い世代にはある期待が創り出されていた。それ以前の世代、つまり1936年に生まれた私や私の兄弟の世代は、好景気の時代を過ごしてきた。わたしたちはあらゆる点で「父親殺しの夢」を実現出来た。父世代よりも良い家屋、良い職業等々。しかし、教育機会の点で、私達世代よりもっと良い状況の中にあるこの新1000ユーロ所得階層の未来は、皮肉にも、彼らが期待するような輝かしいものではなかった。」と述べています。
上記カロリーナは、スペインのサラリーマンの通常の習慣のように、二時間の昼食をとっています。よくレストランに行き、七ユーロの定食を注文しますが、毎日払えるというわけには行きません。彼女はプロデューサーのような映画の仕事に就きたかったが、「早い時期にそれは無理だと考えるようになりました。しかし、良くあることなので大して落胆したわけではありませんでした。しかし、最悪なことは、どんな職業に就くのか分からなかったことです。両親のように家族を持つことが私の目的になることは出来なかったし、何が目的になるのか分からなかった。」 彼女はそれを失敗と感じているわけではないが、しかし、「多くの知人・友人をみてその態度を定義しようとするとき、ある種の一般的絶望感を感じるのです。というのも、この新所得層は年をとるにつれ、その生活はだんだんと厳しくなっていくからです」
他の事例を見てみよう。ベレンは37才、マドリッドに住んでいるが、あらゆる点でボートに乗り遅れたと感じています。彼女は心理学を学んだが、家庭心理士resident psychologistの公式資格試験の最初の機会を見送りました。そしてその試験を受けようと決心できたときには既にもうその職業の空きはなかったのでした。それ以後、14年間、仕事から仕事に渡り歩いたが、彼女の教育歴に相応しい仕事に就くことは出来ませんでした。また総月収1000ユーロを超えることは1度もありませんでした。昨年から、administarative assistant事務員としての正規職員の契約をもったので、それ以後、やはり30代のカレッジ卒、月収1000ユーロ層のボーイフレンドと、借家のアパートに同居しています。自分の家や子どもを持つことは不可能だと思っています。生活のための労働時間を考えると、犬を飼うとも不可能です。」といいます。インタビューの結論として彼女は「私は自分の人生を誰かに盗まれたような気がする」と述べていました。
ベレンの友人の1人は生物学分野の応用情報科学を専攻し、マスターを持っていますが、この一年間電話交換手をしています。「大学卒でこうした仕事をしているのは私だけではなく、この仕事は学位を持ち、言語と専門領域を持っていて、必要ならば、ドイツ語で応募するような過剰高学歴の人で一杯だ」といっています。
社会学者Luis Garridoは、この若者達の未来への希望喪失感の一つの鍵となっているものは大学卒の過剰人口だといっています。「私は1956年生まれだが、私の小・中学校の時に、大学生は若者同世代の10%でしかなかった。その殆どが男性であった。そしてこの10%ほどの男性がその世代のよい職業を独占していたことは明らかであった。私の同世代の人はそれを知っているので、大學学部に行くことによって更に先に進めるので、子ども達にそう教えているのである。1980年代に始まり、大学生は今日30%にまでふくれあがったし、女性が群れをなして大學に参入してきた。この結果、教育システムは他のヨーロッパの国と比較にならないほどの劇的な変化をした。そしてまた、良い職業はこの卒業生の全部に行きわたらないこととなった。どんなに努力してもそれは出来ないこととなった。これが何年勉強の期間を延ばしても、どれほど諦めずに努力しても、充分に収入を上げることのできない無数の欲求不満の若者を創り出してきたのである。」
この社会学者の話は、「学歴インフレ」の限りで、私には日本の1960年末から始まり、70年代はじめまでくすぶっていた「大学紛争」の時期の頃を思い起こさせます。当時、労働能力の広い層に亘る一般的水準の向上を急速にはかった結果、駅弁大學といわれた新制国立大学の「粗製濫造」や既成私立大学の大型化は、学生定員だけ急膨張させながら、容れ物さえ不十分で、大講義室に500人クラスの講義など珍しくない、という時代を生みました。それは学歴に対応する職業の関係の変化にも対応しています。大量に必要となった管理部門や営業部門の労働は、戦前の一般事務労働=女子中等教育卒、経営管理部門事務労働=大卒サラリーマンの対応を高度化し、いわゆる「学歴インフレ」を起こして、昔ながらの高学歴の中産階級への上昇を期待して大学に入った多くの庶民の夢を裏切ったのでした。それが、「一般学生の大學反乱」という社会現象の物質的基盤としてあったように思います。しかし、当時は、たとえ旧中産階級の仲間入りは出来ないとしても、戦前・戦中には小学校しか行けなかった大部分の日本の家族のみんなが、ともかく、終生の安定を確保出来る、何らかの職業に就くことが出来たのでした。それは歴史上初めての希有な時代でしたし、世界でも少数の産業社会のみが達成出来た、日本で言う「中流社会」という革命の必要がない「議会制民主主義」の重要な要件を達成出来たのだと言うことを、誰もが何らかの形で納得することになったのでした。
しかし、現在の「学歴インフレ」は、こんな生やさしい基盤の上に成り立っている物ではありません。60年代の私が学生だった頃、社会科学を勉強していた友人間の話題の一つに、オートメーションのことがありました。当時サイバネティックスなどという学問が耳新しく、情報科学といわれる学際的学問が形成されつつあった時期だったのですが、今日のように、工場の生産過程や事務のような情報処理過程にコンピューターが利用されることもなかった時代でしたが、当時賢げに提唱された未来学なるものと比較して、幼稚な議論のように思われたかもしれませんが、近未来に情報システムが発達して、大量の工員や、事務員がいなくなってしまった無人の工場や、無人事務機構になったとき、人はどうやって生活費を稼ぐことが出来るのだろう、ということがひどく真剣に話題にされたものでした。議論として、私たちにはその解答は全く見当もつかない物でした。今、私達の時代は、殆どそうした時代だと言っても良いでしょう。個人が皆同じように構造化されたパターンの生き方に従って一生懸命努力すれば、同様にみんなが食えるような、その意味で納得できるような社会構造の正解は未だ見つかっていないように思います。
スペインの話に戻りましょう。ベレンやその友人達のように、学部を卒業した時によい職業を見つけることが出来なかった人たちは、他の多くの若者と同様、もっと人よりも傑出しようとして勉強を続け、修士課程に進み、博士課程に進み、或いはより多くの専門課程コースを学習しなどして、だんだん年齢が高まり、それだけより専門的で高い報酬を得る仕事へのニーズと欲求も高まるが、それは決して可能とはならないように思われ始めています。今までの構造的パターンないしはルールに従って最後の出口を求めて走り回るこうした若者達は、丁度、実験室のネズミが迷路の中で決して見つからない出口を探してうろつき回るような、悪循環に似た過程がそこにみられるように思われ始めてきました。
ごく最近の若者達にとっても明かりの見える人生の登竜門をみつけることはやはり容易なことではないようです。29才のセヴィーリャ出身のダニエルはその完璧な見本でしょう。「私は建築士で、3つの外国語を話し、建築事務所との契約のない仕事をしながら、月収1000ユーロ以下の報酬を得ている。私は今まで契約した仕事をしたことがないし、給与付きのヴァカシオネスをとったこともないし、そうした勤務条件を得たことはない。15年中古車に乗り、今月は30ユーロも払えなくて新聞も買っていない。ガールフレンドとアパ−トをシェアーしているが、法外な金を取られているとは思わないが、それは我々を芥溜めに放り込んでいるようなものだ。」
しかし、そうはいっても、それ以前については言うに及ばず、1950-60年代の大部分の若者と比較して、今日の若者の生活状況はずっと良くなっている、ということも事実だと歴史家は言うでしょう。
カロライナは毎週火・木曜日にフラメンコの練習に通っています。1ヶ月50ユーロ一日1時間の練習というもので、初歩的なものでしかありませんが、一応満足しています。というのもこれでリラックス出来るからです。 しかし、高学歴層であって、他社会層よりも恵まれている1000ユーロ収入層の友人と同じように、フラメンコを選択すればプールに泳ぎに行くことは諦めねばならない、ということになります。夜遅くバスで帰宅する頃には、他のルームメイトは大抵帰宅して居間で座っています。ローラは29才、マーケッティング専攻のエコノミストだが、2つ目の修士号をとるための学費を作ろうと倹約中です。同じく同居中のアイナラは24才、法学士で多国籍企業の会計部門で働いています。ベレンは29才、芸術史を学び、文化センターで働き、それで生計を立てています。彼らは毎日をどんな風に過ごしているかを語り合い、たんなるルームメート以上にお互いを必要とする友達です。彼らは住居だけでなく生活をshareしています。ローラは最年長者で、最もはっきりと自分がおかれている生活状況を批判的に見ています。「私は住宅資金を借りようと銀行に行ったのですが、その資格要件を満たしていないので見下されました。私は19年間勉強を続けましたが、あと何年続ければ彼らの資格要件を満たすことが出来るのか全く見通しが立ちません。」
 この4人はともかく現在の所、皆、雇用契約を持っている。1995年1200万人が働いていたが、今現在、1900万人が雇用されている。最近の好景気のために、彼らは有利な条件を利用することが出来ました。しかし、この世代から以後の若者には、一時雇用や時間制の雇用など、襲っている雇用の不安定さの犠牲者となっています。2004年の30才代の雇用契約の52%は臨時雇用であるが、これは目新しいことではもはやない。1995年にはそれは62%だった。
何よりも一月1000ユーロというのは、親からの家を出て自立できたとしても、ルームメートの友人達と頼り合いながらでなければなりません。住宅費はアッという間に高騰し、1993年に自治州首都平均、ピソ(アパート式住宅)100平米あたりの価格は9万1000ユーロだったが、現在は22万8000ユーロになっている。10年前に住宅を購入した人たちは、かれらの生涯の投資をしたものだが、購入出来なかった人は、その生涯、アパートをシェアーする運命におかれるか、30年、40年、にわたって住宅の借金を返し続けることになり、定年後に漸く住宅購入が完了することになります。このような全生涯に亘って取り囲まれる不安定な生活様式を打破する必要性を持つ世代の不確定な性質を、社会学者は認知しています。ここで問題にしている世代の人たちは、ベビーブームの時代に生まれています。:1960−70年代は、65万人の子供が生まれています。1977年には36万6000人しか生まれていない。つまり、この月収1000ユーロ層は小中等学年の時は1学級45人であり、大學では、もう定員満員で多くの若者は登録出来なかったし、第1希望の専門を修学することが出来なかった。卒業しても資格に相応しい職業に就けなかったし、65才過ぎても働かなければ老後生活は難しく、年金システムは崩壊してしまっているだろうと予測されています。
彼らの両親世代は非常に早くから親から独立してきました。カロリナやローラの年齢には既に住宅を購入しているか、ほぼ購入していた、ということです。カロリナは折り畳み机とベッドを一つ、それに本を入れてある衣装戸棚一つを持っているだけです。両親世代では、女性1人あたり3人の出産率だが、その子どものこの世代の時代になって、1990年代末には1.1人となっています。彼らは子どもが欲しくないのではなくて、専門家の意見によれば、生活の周期性、規則性を司る体内時計が再生産に必要な状態に達していないからなのである、といいます。
バルセロナのアパートで4人のこれらの女性が問題を討論しましたが、カロリナは「その日暮らしは、どことも結びつきがないから、誰にもチェックされることもなく、何の拘束をも受けないので、ルーティンを破って、その時々に好きなことをすることが出来る自由なものであるというのは本当だが、しかし、私は保障がないのが残念です。」
Gil Calvoは、この世代は「昔の小説のように主人公が底辺から努力し成功して終わるというようなお話はこれからはないのだということを、もう時間をタップリ使って知っている」といっています。

青年研究所の統計によると、30−35才の年齢層のスペイン人の30%は未だ親と同居していると言われています。25−29才では63%に及び、18−25才では95%同居している、という統計になっています。彼らの研究によると、北欧や合衆国などと比較すると、スペインでは自立して暮らす青年が非常に少ないことがわかります。
ハビエル・ルイス・カスティーヨ経済学教授は、この現象を「通常、安易な子ども時代、寛容な両親、大家族の傾向にある南部ヨーロッパの文化などを用いて説明しているが、私の研究の結論はそういうことよりも別な要因の方が重要だ、すなわち、失業が少なく、よりやすい住居を求めることが出来る都市の若者は、より早く親元を離れている。教授はかつて、1990年代始めに、人口のどんな部分が一番良い生活をしているか調査したことがある。それによると、30才以下、子ども1人の勤め人が平均100のスコアを与えられるとすると、より年齢が上で有資格で、独身の勤め人は186でtopとなり、親元に住む大学生は154となっていました。つまり、「こうした親元の若者は丘の上の王様であって、そこから出ていくことは多くを失うことを意味しているのだ。」
 同様に社会学エンリケ・カルボは、「同居する両親と多少とも比肩出来る社会的地位を持って独立出来ない場合、別居しないことを選択するのは合理的である。それは純粋に家族の社会上昇の戦略であって、金持ちの家族にとっても貧乏人の家族にとっても、右にとっても左にとっても同じことだ」 33才の1000ユーロ所得層Juanの場合、その典型例だといえる。「私は9年間、セールスマンとして働いてきました。月収税込みで1100ユーロです。一度目は妹と一緒に、2度目は友達と一緒に住んで、2度親元から別居しようとしましたが、そのたびに失敗して親元に戻りました。それが出来ないと言うわけではなかったのですが、しかし私のサラリーでは、600ユーロを家賃に払い、仕事にどうしても必要な車の月賦を毎月200ユーロ払って、残り200ユーロを食費に回すと、1セントも残らないのです。」といっている。日本の大学を卒業した多くの青年達も、今同じ状況にあるでしょう。 最近では、「勝ち組み」「負け組み」などということばで、この新たな階層構造化を言語化しているようですね。

公務員は税金の無駄遣いでしかないか?「行政改革」とは?

 この夏、忙しい仕事の合間を縫って、私の所に、かつて少年の頃、生活を共にしたこともあるが、長いこと違った道を歩んできたかつての親しい友達が、訪ねてきてくれました。この人は、国際社会の中で、官僚としてながい間仕事をしてきた人だけあって、1人でブラッと日本からスペインまで、小さな荷物をぶら下げて、直接私の家の玄関まで訪ねてきてくれたのでした。久し振りに会うのは楽しかったし、大変懐かしかったです。そこには、昔通り、とびきり優しい気質のX氏がいて、話していても、それは終始変わらず嬉しいことでした。しかし、会話の中で、言わなくても良いきついことを言ったりしましたが、非常に重要な仕事をしていることを聞きながら、つまらない待遇の中におかれている日本の官僚の実態を知っているだけに、そのことについて愚痴が出るのが悔しかったのであって、それ以上のものではありませんが、「悟りきって」頑張ってくれ、と思ったものです。
 この夏、偶々独りで暮らしていた年金生活者の私は、この土地の「定食menu」に人気のある庶民の店につれて行きました。 そこで、彼は地方料理・郷土料理に旨いものはない、と言う意見を言って、その例をいろいろとあげて、わたしの意見と食い違ったのでしたが、要するに今まで外国に行ってその地の安い観光者用のfast foodを食べて、まずいといっているに過ぎないので、旨いものを食べようと言うのならそれなりの金をださなければ食べられないだろうと言うと、そんなもの公務員の出張費で食えるか、と言うことでした。正直に言って、私もいろいろと外国をまわってきましたが、同じ公務員としての給与で仕事をしてきたわたしですから、私も同じように庶民の安い店でしか外食したことはなく、大体、安いホテルでその日暮らしの自炊をして,しかし、どこの国に行っても、「旨い」と思って暮らしてきたのです。
 要するに、公務員の給料は会社員のそれよりもかなり悪いので、同じグループで仕事をする会社の人間と、彼ら以上の努力を払って国際的な会社関係の政府側のまとめ役として苦労してきたが、交通費、宿泊・出張費など桁が違うので、世話をしてやる会社員から非常に憐れまれ、馬鹿らしい思いをしてきた、と言いたいようでした。今年、彼は公職を完全引退するにあたって、企業から「天下ら」ないかという誘いがあり、乗り気になっているが、公務員は天下れて良いな、と言われて憤慨しているというのですが、自分についての体験から、そんな羨ましがられるような良い待遇など受けたことはない、と言うのです。その言い分は、楽に労働から引退出来ないことを含めて、どれだけ個人の怨念の含まれているものかは分かっていますが、そしてそれは十分理解することが出来る現実だと思うのですが、職業である限り、そんなケチなことをいっていることに同意を与えることは出来ないので、もっと毅然としろと言いたくなりました。しかし、こんな非常に優れた仕事を国際的な要の場でやってきた男の口から、こんな愚痴が出てくるとは思いもかけないことでありました。その愚痴の背景にあったのは、公務労働を税金の無駄遣いとしてしか評価しない最近の風潮に対する怒りでもあったようです。
 しかし、公務労働を税金で食っている奴という点から認識して、資本で食っている奴よりも、国民にとって、税金を使わされるだけ無駄遣いと見るのは、余りにも単純な愚かな視点だと言わざるを得ません。社会的視点から見て、同じ業務を私企業で行う方が、コスト-メリットの計算では非常に効率的であるかのような印象を強調する、populist小泉さんの議論は、何かしら移民をスケープ・ゴートにして現実から目を背けさせる右翼「民族主義」者の暴論にも似て、のせられている選挙民の愚を指摘しておく必要があるのではないか、とさえ思います。以下、私のとる視点は、主権者である国民の体制管理者としての視点からの「合理性」であって、企業のミクロな視点からの「合理性」ではないかもしれません。無論、私企業の合理性は有害だ等という、ものではありません。各行為者はミクロな合理的な行動を選択する必要があります。それを理解することは、国民の視点からも重要です。しかし、国家に税を払い、公共の意志によってその構成員=国民の福祉を充足していく活動としての国家の経済的効率を見るという視点は、ミクロな視点の合理性と区別されなければならないでしょう。国家行政の主権者としての私たち国民の視点には、この社会システム視点からの判断の合理性がなくてはならない、と思います。国家の機能を、個々の行為者の視点から、自らの利害の充足の効率化の観点から論ずることも議論として可能ですが、ここではその視点からは論じません。
 この今X氏としておく人の公務員の仕事は、無論、「民活化」の対象にすることが出来るものでしょう。大きな社会的必要・需要があるのだから、その仕事を企業化することが出来る。つまり私企業の仕事として利潤を生む事が出来るものです。私企業の視点から言うとそのサービスを市場化して、私企業の利潤生産の部門に編入することが出来るでしょう。場合によっては、その仕事を、私企業が資本を利用して利潤を生む部門に作り替え、コストに対して出来るだけ大きな利潤率を上げるようにする「効率化」が可能であるでしょう。公務労働部門では、こうした「効率化」は必要ではないし、むしろしてはならない「悪」とされますから、組織の効率は違った基準で評価されます。需用者側からすると、税金を払い、その税金を公的組織の資本として使わせ、その労働者の賃金を負担している。それによって仕事をする被雇用者は、私企業の方が厳しく「合理化する」ことが出来るのだから、民間企業に任せれば、賃金基金部分をもっと最小化することが出来るはずだ、だから「社会的にはコスト節約することが出来る、現に民間企業はどんどん正規従業員を一時雇用に置き換えるなりして、コスト節約をやっているではないか、」と言う論理は、「公務労働の賃金を安くする、公務労働の人数を減らしていく」ことは税金を少なくすることに繋がって行く、或いは、そのサービスを公務部門から外して民活化すれば、税金をもっと他の目的に使えるはずだ、だから効率的だと言う理解になるのでしょう。私企業化すれば、公務労働として行ってきた同じ質の同じサービス供給量のコスト部分を少なくして、同じ質量だけ市場へ供給出来るという論理は、実に理解しにくい論理ですが、仮に承認するとしても、それはサービスの価格を無償から有料化する事になろうし、国民の負担を軽くするとは限らない。むしろ、そのことによって利潤をより大きくするだけの「効率化」であり、直ちに税金負担者の生活コスト低減化になるわけではない、と考えておいた方が正しいのではないでしょうか?
 国家の仕事、国家の仕事の実際の担い手,公務労働の管理者を含め、公務労働者はすくなくも利潤を生みだしてはならないとされています。事務労働の手数料を仮に取ったとしても、原則はそれによって利潤を次年度のために蓄積してはならないのであって、その場合には手数料を下げるのが原則でしょう。利潤が目的の労働ではなく、その生産物であるサービスは、その公共的性格として、出来るだけ無償であるべきだとされているように思います。行政事務の対価として要求されるのは高々「実費」であって、サービス自体は無償で提供されなければならない。そうした利潤を含まない労働の所産の提供は、市場経済に馴染まないものとして公共部門として区別されていますが、このような公務労働サービスは実際の国民生活の再生産過程の中での福祉総量の重要な一構成部分となっているのです。今、「民活化」され、私企業部門に移されて、私企業となったとして、こうした私企業の生産過程に投入される資本量は、かつての国家財政の支出量と等しいと乱暴に単純化すると、それがどれだけの利潤を形成出来るものかが問われて、私企業としての資本の効率化が図られ、かつてのコスト-利潤を効率基準としない官僚組織よりも、この基準で見る限り、効率化されることになるでしょう。これは明かで、間違いのない原理的なことです。 国家の官僚組織の場合は、年間に予算をその目的のために使い切れば良い訳ですから、その結果、それを使用した一般的結果として、次年度の国家収入、国民の税金として、つまり需要者の支払う一般的費用として回収されれば、単純再生産は可能となる、と言うに過ぎません。健全財政としては、この回収される税と支出されるサービス生産量の費用とが等しくなればよい、と言うことになるでしょう。利潤を生んではいけない公務労働は、この利潤部分をゼロにして出来るだけ無償で供給したり、公正を確保するというような原則によって効率を評価するわけです。
 しかし、言うまでもなく、このサービスの拡大再生産を計るということになると、全ての条件を不変とすると、その年度に全額投資され消費され単純再生産として回収される部分を超えた、ここで理論的仮定される税収以外の基金を投入しなければならない事になるでしょう。例えば、公共事業を増やして景気対策を行うという政策サービスをすると、そこから国債とか、利潤をあげる国有企業の設立、というようなこともとり得る選択肢としてはあり得る訳だが、話をややこしくしないためにこの問題は無視することにしましょう。ただ一つ、社会保障のための積み立てや私的生活保障のための預金部分を「投資」によって「資本化」し社会福祉の拡大再生産を行うことは問題にしても良いでしょう。この選挙の焦点ともなった「郵政改革」は、まさにこの問題にかかわっているからです。国民は社会的に生活福祉量をその生涯にわたって安定的に確保しようとして、そのための基金を積み立てています。その良い一例は郵便貯金であり、日本ではこの個人預金の郵便制度のもとでの社会的基金量は世界でも有数の量を誇っていましたし、日本経済の特質を語る時、日本に於ける例外的な個人の預金量に触れない人はなかったものです。だから、国家が自由に使うことの出来る税金収入ではない、しかし、国家が借金の利子率さえ勝手に決めて自由に借りることの出来る金融基金として、これを利用し、補助金政策として重要な政府の政策を行うことが出来たわけです。問題はこうした補助金政策などが[○○族」と言われる政治家集団を通じて、公共部門が膨大な経済的な無駄遣いとして批判されるまでになってきたことであり、自民党員が本当に自民党をぶっ壊すわけがないのは自明のことですが、「自民党をぶっ壊す」というラディカルな言辞が受ける理由ともなっているわけでしょう。従って、郵便制度の「改革」は、預貯金の金融基金としての国民にとっての効率的利用が問題となっているのであって、この金融基金を私的金融機関の自由な裁量による金融基金に変換する事は、一つのありうべき選択肢かもしれないが、それは唯一の選択肢であるかのように思うとすると、非常に後悔する結果に到るかもしれません。日本の競争力の一大基盤として、日本人の預貯金行動は語られてきたものですが、これをアメリカが望む制度に、国際的な自由金融制度の中に組み込んで、国際金融資本も自由に参加する金融市場の中に「自由化」するという政策は、この金融基金をどうしたら国民の視点から管理して、効率的に使うかという問題を殆ど視野の外においた提案であって、これを日本国民が選択するのは狂気の沙汰だ、と私は素人ながら思うのです。
 この預金貨幣は、国民の貯蓄行動からすると、生活福祉の安定的確保を目的にするものだから、その利用はもっぱら社会的生活福祉のためだけに公共的に利用しようという発想はおおいにありえるし、説得的なものであるはずです。そこで預金制度を福祉目的の公共部門として、利潤部分を含まない公務労働による公務部門、市場外の金融資金供給制度のもとでの供給を計る仕組みにしておく、と言う発想は、ある意味で根拠のある発想でしょう。 その最も原始的な発想の一つは、個人の預貯金を取り扱う預貯金公庫を作り、この公庫は文化・福祉事業のためにのみ、その経済活動の成果を用いることが出来、預貯金の安全な運用を図る機関とする、と言うような制度です。 或いは、預金部門の貨幣が、金融市場で自由に私企業によって利用されるとしても、その利子は、税収と考えて、公共予算に入らなければならない。それだけでなく、その用途も国民の福祉の特定目的に直接的にリンクされてなければならない。郵政法を改善しようというのなら、この目的に添って効率化、を決定しなければならないのではないでしょうか? 単に自由市場化し、将来、国際金融資本と合併した日本の多国籍銀行が、この膨大な「日本型原始蓄積国民基金」を自由に使っていく、と言うありうべきシナリオは、日本にとっては最悪な選択ではないか、と憂える人が出ても不思議はないのではないでしょうか?
 さて、話を「「民活化」すれば税金の無駄遣いはなくなる」と言う乱暴な議論の検討に移しましょう。公務員が、それだけで税金泥棒のように言われるのは、人気取り政治家(populist)小泉さんになってから特にひどくなっていて、公務員は何もしないで無駄遣いばかりしていると言わんばかりの、詐欺師まがいのことを言って「改革」を売り物にしていると思います。公務員が担っているある特定の部局の仕事を、縮小したり、廃止したり、私企業部門に委譲したりするとは、原則的に言って何をすることを意味するのでしょうか? 私企業経営の視点に立つのでなく、国民の体制経営の立場の視点からすると、その特定の部局が担ってきた仕事が社会的に需要の大きいサービスである時、、それを、税金によらず会社の資本を用いて利潤を生むための労働によって生産し、それを私企業からのサービスとして購入するか、税金として投資するが利潤配当はなく、公務労働という利潤を含まないサービスとして、非常に多くの場合無償で利用するか、どちらが国民の体制経営として有用・効率的かを判断する問題なのではないでしょうか? 公務労働を廃止して「民活化」した方がよいかどうかは、大変慎重に判断しないと、補助金の垂れ流し、そこに巣くう政治家達と手を組む天下りの高級官僚を打倒するというラディカルなスローガンは結構だが、いわば、それによって必要な公務部門自体を破壊して私企業の手に渡してしまうと言うのは、産湯を捨てて赤子まで流す式の方式ではないでしょうか?個々のケースについて具体的に考えなければ、一般的に議論するのでは誤解を生ずるだけですが、赤子を流してはいけないという事を、最近の新聞が報道していた「大量破棄される運命の薬が、援助のために送ることが初めて可能となった」というニュースから例を挙げて考えてみましょう。 
 例えば、薬を生産し供給することは社会的需要の非常に高い労働部門でしょう。私企業は資本を投下し利潤を生産するために新薬を絶えず開発生産するでしょう。(例えば、利潤を生むことが少ない薬の生産については、資本はその生産を中止し、今まで生産していた現物をすべて廃棄し、そのための雇用もなくして、儲かる新薬の生産に向けるでしょう。これは私企業の視点からすると絶対に必要な目的合理化です。)いわば、より高い利潤をあげるにはどうしたらよいかを原則として、効率性合理性を追求するでしょう。すなわち、、市場競争原理のもとで、常に絶えざる効率性を追求する動機が高いので、様々なこの意味での合理化を図ることになるでしょう。しかし、その合理性の追求を市場原則にのみ委ねると、例えば効かない薬や副作用の害の大きい薬の生産なども生産販売される可能性があり、公共性を損なうおそれが強いので、国民を守るために国民の立場から、その弊害を防ぐための社会的規範を薬品製造業界の自己規制だけに任せず、薬事法を公共意志の決定=社会的合意として形成し、これによって効率性は正義のもとに規制されるべきだと言うことになるわけです。つまり、薬品産業を国民の社会的ニーズに結びつけて正常に繁栄させるためには、そうした公共労働による仕事は欠かすことが出来ない。このため、利潤を生まない、一見「効率的」ではない公務労働が、それ故に、「正義を社会的に契約させて、それを守らせ、違反を統制する」労働として必要とされ、国民は税金を投じてこうした「効率性」から中立的な公務員の労働を使用することになります。公務員の労働とは、本来こうした市場経済的合理性」と無縁であるべき規範的性質が要求されているのです。無論企業側からすれば、投資して利潤を形成出来る部門、しかもそこで守るべき規範を私的に決定して、公的意志によって統制されることがない「公共的労働」を私企業団体として行えるにもかかわらず、それを公務とされることは「非効率」「無駄遣い」「排除と差別」だと言うことになるかもしれません。しかし、新聞報道による最近の話題の一つは、企業の目的合理的な効率の追求は、国民の社会体制経営の観点からすると、非常に大きな無駄をしばしば結果するのだと言うことを教えました。新薬を絶えず開発することは、確かに、国民にとっても重大な関心事です。新薬かどうかは、薬品会社にとっても決定的な革新的関心事と言えるようです。しかし、その理由は国民の関心事と次のような点でずれています。会社にとっては、新薬かどうかは特許権の問題となります。特許権をとって特許に基づく独占権を持ち、それによって大きな利潤をえることが出来るからです。無論、特許権を持つだけで誰も利用しない、製品が売れないのでは意味がありません。新薬は今まで以上に効かなければなりませんし、今までと同じ程度に利くものであっても、副作用が少ないとか新しい何らかのメリットがなければならないでしょう。それらにおいて多少劣っていても、経済的な合理性、コストを大きく切り下げることが出来る、と言うようなことがあれば新薬の特許は大いに有効でしょう。これらの点で適性であることを科学的論拠に基づいて証明出来なければ、新薬として市場に出ていくことは出来ません。仮に上記のメリットがなくても、私的企業の視点からすれば、特許権さへ認定されれば、それだけで目的はかなり達成されたことになります。特許とは何をもって新しい有用な薬と判断するか、その判断の充分な根拠の条件は何か、たとえば、実験結果のデータ的科学的根拠はどう判断されるか、など想像しただけでも、曖昧な境界的な領域が広くあり、政治的判断などの余地も残されているだろうと思います。
 新薬の特許を得ると言うことは、ある意味でもっと、それ以上に重要な結果を意味するだろうと想像されます。今、古い特許権の期限が切れたとすると、これを生産し販売する事による利潤率は非常に落ちます。どの会社も皆特許と無関係に量産し、安い効き目のある薬が大量にでまわると言うことになると、その良く売れる薬を生産することはかえって業界にとっての非効率を結果するからです。こうして今までに売られていたこの効き目のある薬は市場から引き上げられ、大量に廃棄されます。丁度、シーズンが終わると、成功し大量に生産された今年の流行衣料が、シーズンはずれに安売りされ、それでも残った商品は、過去の流行商品として市場からひきあげられ、廃棄処分され、ゴミとなるのと同じです。新聞のニュースは、このように大量に廃棄される日本の優れた薬品を、WHOと言う国際社会のコミュニケーション機構を通じて、国際薬品会社の合意をえて、援助物資として利用することができた、というものでした。これは会社としても日本国民の税金を使って、援助物資として売ることが出来るということでもあり、こうした過去になかった方式が、今年初めて可能になったわけです。これは日本の国家が行った、すなわち、私企業の利害を国際的に調整する国際政策の立案とその実現の成果の具体例といって良いでしょう。勿論、具体的な国際社会のコミュニケーション過程における合意形成は、国内に於けるよりももっと、結果として満足出来ない要素をいろいろと含むでしょう。
 国際的に薬というものは随分国によっては異なったものなのだということを最近体験いたしました。喉と鼻の奥が痛くなる日本では寝冷え型と考えられる風邪をひきました。こうしたこともあろうと日本から自分には今まで大変効いた風邪薬を症状に合わせて何種類か持ってきていましたので、早速利用しましたが、何故か結果は思わしくありません。こちらの友人達はそれを聞いて2種類の薬を奨めてくれました。今まで見たこともないタイプのもので、一つは「のど飴」方式のトローチタイプであり、もう一つはもっと奇妙に思えたのですが、熱湯に入れて、その蒸気を吸うと言う方式のものでした。後者の原料はユーカリの樹液だと言うことです。ところがこれが非常に良く利いて2日でどうやら歌が歌えるような状態にまで戻りました。薬屋さんの間では、薬は土地のものを使え、と言われているのだそうで、これは新しい知識となりました。この経験は、この上記のニュースを見た時、グローバリゼーションの薬品市場での国際的な新薬特許権の問題は、非常に複雑で、自国の基準で特許を得ても、他国には効かない薬があり得るのではないか、と思いました。もしそうだとすると、国際的多国籍企業が他国市場を支配した時、特許権問題は重大な結果をその国に及ぼすことがあり得ると感じたのです。国際的薬事法を持つことは企業にとっても国民にとっても非常に重要な問題でしょう。国際社会の制度構造が成熟していき、国際的な製薬産業が一つの国際法規をもって生産・販売していくことの必要性が理解されるように思います。勿論、そうした国際法規体系は既にもたれているだろうし、その法規をめぐって企業の国際競争、国民の安全についての闘いが行われているだろう事は言うまでもないでしょう。グローバリゼーションの新たな環境の元で、日本の国民は、その社会システムをどう管理していけばよいかは、今日、この薬の問題に見るように、あらゆることが国際的な関係づくりの政策形成能力と大きな関係を持つようになったと思います。国際市場や国際政治システム、その他あらゆる事で、国際的な政策形成能力が今求められていますが、この点で広く国民の間にこの能力が未だ充分ではないことが、日本の危機の打開方向が見えないことと大きな関連をもっていると思います。今までの日本の政治の担い手は、奇妙に国際関係について何の発言もしない人が多すぎます。対外的には、特に発言・交渉する能力に欠けているからでしょう。これはこれから是非とも何とかしなければならない国民的課題なのではないでしょうか。今回の総選挙についても、国民のこうした能力の欠如からの判断の誤りを感ぜずにはいられません。
 上記に報道された事例は、薬品に関わる公務労働部門の優れた効用性の発揮のひとつの例でもありました。 つまり、私の言いたいのは、サービス市場に無償で提供される公務労働は、国民の税金によって行われることによってはじめて可能ですし、またそうした公務労働によって、市場原理に任せておいては実現出来ない公正さ、効率性、社会的節約を初めて確保し得るのだと言うことであって、「民活化」することによっては失われてしまう重大な国民の福祉に関わる問題がある、と言うことです。現実の官僚の非効率の問題とは、多くの場合、こうした官僚機構の存在それ自体が弊害なのではなく、官僚機構が創り出すことが出来る創造性、具体的には政策の科学的根拠に基づいた行動が充分にとれていない問題であったり、とりわけ国際的コミュニケーション能力の著しい欠如による非効率が真の問題点であったりしている、と思われるのです。そこにまた、官僚機構内部の専門性に基づくリーダーシップの欠如、野蛮な政治家の介入を許したり、それらによって鼻面を引き回されることを甘受するもの達の横行、という事態があるのかもしれません。
 教育、医療、社会的福祉、相互扶助、公共的コミュニケーション,司法と裁判、文化事業などなど、多くの部門がかなりの部分を公務労働によって無償に提供されるべきだとされてきたのでした。そうした公務産業に国民が税として投資することは、配当がなくとも、その方が充分に有利な見返りがあると判断してきたからなのでした。これらは現在ヨーロッパで言うところの「第三の道」「社会主義的」政権のもとでかなり支持されてきた考え方だと言うことも言えましょう。新自由主義国家神道主義的右派の小泉さんのリーダーシップの元で、こうした近代社会のもとで作り上げられてきた社会制度構造は切り崩されてきましたし、日本国民は、国民経済の建て直し・健全化の緊急避難的必要が、膨大な赤字国債の問題であることを忘れ、何か公務労働を私企業制度の労働に置き換えれば「効率化」であるかのようなごまかしにすっかりのって、総選挙の投票行動により、自民守旧派をやっつけて英雄気取りになっているかに思えます。(アー、これでまた私はこのホームエージを読んで呉れる人を失うだろうな。)また、こうした公務労働の縮小、雇用の廃絶、賃金部分の縮小を行うことと、改革の中核と言うところの郵政改革とは何の直接関連もないでしょう。日本経済の改革と言われる郵政改革をおこなったからといって、すなわち、国民の持つ公共的資本財源としての巨大な郵便貯金資金を利用して公共的意志決定の元で公共的に利用していく制度を放棄し、私的金融機関からの私企業への自由な貸し出しに委ねたからと言って、つまり、公務労働部門を一方で縮小し取り上げ、そのサービスを私企業の賃金労働部門に置き換えたからといって、資本がこの公共性の強い部門を効率化し、税金が減り、雇用が増大するなどと言うことに直結することには必ずしもならないと思います。もう一つ、今まで公務部門が担ってきた公共的仕事がどのように確保され、より効率的になるかの政策提案がない以上、言われているような何らかの肯定的見通しを持つことは出来ないのではないでしょうか? この点で、一体、誰が新たな選択肢としての政策提案をこの選挙で出来たのでしょうか? 選択肢のなかった選挙、既に別な選択肢が出てくるかもしれない可能性、外堀・内堀を国民自ら埋めてしまった選挙のあと、何があるのでしょうか? 「改革」は行われ、確かに何かが変わるでしょう。それは補助金支配の自民党政治の改革であるのでしょうか? その結果がどうなるのか、誰からも明示されないまま、タイトルだけの「マニフェスト」を与えられて行った選挙、「改革」の対象とされ追い出された守旧派を受け入れるとした主要「野党」によって対抗軸も見失われた選挙、そうした中で、国民が明確に目的を意識出来ない選択をした以上、その先も見通すことは出来ないように思えます。

国民科学教育論争と政治教育ーアメリカの事例

 スペイン、ポルトガルの大干ばつと大渇水、毎日のように起こっている山火事、地球の北半球に次々に起こる大洪水による災害、信じがたい惨事が世界に次々と起こっているような気のするこの頃だ。
 今日のニュースから。(Internatinal Herald Tribune,9月1日)
イラクシーク派の巡礼群衆が、スンニ反乱軍の迫撃砲、ロケット発砲の音が聞こえたあと、自殺爆弾がいるという噂が流され、モスクへの行進中の群衆とモスク側にすでにいた群衆がパニックに陥り, チグリス川の橋の上で群衆同士が一つの出口を求めてぶつかり合い、驚いた動物が総崩れとなるように見境なくなって、川に落ちたり押し潰しあったりして、女性・子どもの多くを含む850人以上の死者と多数の負傷者が出たという。テレビの映像に出た橋の上に残されていた無数の群衆の履いていた履き物の残骸の山のような列は、息をのむようなシーンであった。米国軍侵入以来最大の1日での死者量となった。この場所はサダム支持のスンニ派の地域に近く、攻撃が予測されていたため、モスクへの道の両側を自動車が突っ込めないようにコンクリートブロックで固め、橋の前後は事実上、狭い道の一方向にしか大群衆が通れないようにしてあったという。丁度、憲法草案が国会に上程され、スンニの怒りが頂点に達していた時期で、これに対する反対デモも行われていた。しかし、この巡礼のパニックはスンニ派反乱軍の攻撃によるものではない。群集心理的な大事故だと言うことのようだ。宗教が動機の基盤にあって群衆行動が動員され、あたかも自然災害のような惨事を政治が生み出していく。

 米国の世論調査(7月7日から17日にかけてthe Pew Forum on Religion and Public Life and the Pew Research Center for the People and the Press が進化論について、2000人のサンプリング調査を行ったもの。)の結果として次のようなことがNY Timesに報じられている。
米国ではCreationism創造主説がevoutionism進化論と同等以上に支持されている事が分かった、と言うもの。つまり進化論「論争」というのがあって、人間は歴史の初めから人間として神によって創造されたままであって、決してチンパンジーのようなものから進化したのではない、と言う宗教の議論と、少なくも何らかの進化過程を論証出来る事実として確認する生物学との間の論争なのだそうだ。この世論調査によると、回答者の42%が厳密に創造主説を支持していて「時間の初めからずっと、生きとし生けるものは、現在の形態のままで存在し続けてきた」という説に賛成している。これに対し48%は時間をかけて生物は進化したと信じていると言うことである。しかし、その進化論支持者のうち、18%は、進化は超越的な存在によって方向付けられたものだ、と信じている。ダーウィンのように自然淘汰の過程の結果だと答えたのは26%にすぎなかった。
そして、全体の64%が、学校教育のなかで、自然淘汰説的進化論に「偏らないで」進化論と共に創造主説をも教育し、両方の説を教育すべきだと答えている、のだそうだ。進化論ではなく、神の創造説を教えるべきだとするのは38%にも達していた、と報告している。
 調査者によると、「驚くべき事には」学校教育で両者を教えるべきだとする人は、創造説を支持する保守的キリスト教信者だけではなく、大多数は非信者、自由主義的民主主義者、自然淘汰説を受け入れる人だったことだ。これを説明して「アメリカ・プラグマチズム」の反映とのべている。つまり「ある人は自然淘汰と言い、他の人は創造主のなせることとしているのだから、両方教えて、あとは生徒の判断に任せればよい、と言っているかのようだ」、しかし、こうした決着の付け方は科学者と宗教家の両方を怒らせることになるだろう、と。科学教育国民センター所長は、「こうした結果は充分予測出来ることで、「アメリカ人は論争の両者に対して極めて積極的にフェアーであろうとするのだ」「創造主主義者はその科学がお粗末なので、進化論を攻撃しようとするというのが大事な点だが、アメリカ文化がその強い味方についている」といっている。今年、科学教育国民センターは26の州で進化論に対する新しい70の論争が、学校区の中で、或いは州の立法の中で行われていることを追跡発見している。
 ブッシュ大統領は、この8月2日に「進化論」と「知的企画の理論」の論争が、どんな論争であるか知らしめるために、両者が学校の科学教育で教えられるべきだと述べてこの論争に介入した。「知的企画の理論」とは、創造主説の子孫で、「生命とは非常に複雑なものだから、超越者のみがそれを企画することが出来る」と言う信念をさしている。
 以上の記事において、アメリカの国民教育論争に保守的キリスト教原理主義者が、極右的保守政治家と共に介入する様が浮き彫りにされている。それはこうした政治的勢力が、その支持者を養成するにはどんな「教養」が必要だと考えているかを端的に示していて、興味深いし、どんな政権がどんな教育を目指すかの選択は、長期の政権支持者を養育する点で、必ず一定の効果を持つものだと言うことも明らかにしているように思われる。スペインでも、国民公教育にカトリック主義の宗教教育をおいてきた昨年までの伝統に対して、新たな政権が人権主義的公民教育によってそれを置き換えようとする動きをおこし、激しい敵対的衝突を起こしはじめている。日本では日の丸と君が代を礼拝ないし歌わせることを含む儀式を義務的に行い、それを踏み絵として教員に強制しようとしたり、大東亜戦争を正当化する歴史教育をもって道徳教育の根幹に据えようとする政治家の企図が、昨今非常に目立ってきているが、その成果は目に見えて大きくなり始めているようにも、思える。それぞれの国において、「伝統的国民文化」と言われてきたモノはことなっているが、その文化を、一時、既に克服されたかのように思われてきた時期を経て、今日「復古」し始めてきたかのように見える現象が目に付く。それはまた、それぞれの国内の政治状況を固有に反映しながら、現時点の世界史の基本的対抗関係の流れをも示しているように思える。

ユダヤ教についての記事を読んで。続き。

記事の紹介を前日の日記のまま、ここで終わってしまうことはあまりに中途半端で、ユダヤ教を信仰するイスラエルさんの真意に反するところがあるかもしれません。彼はユダヤ教を説明しようとしているのですから、私にとっては、本質的ではないという理由であとの議論を切ってしまうことは、その「理解」を放棄することになるでしょう。
議論は続きます。
Q「神を信ずるものと信じないものの間の分化の方が、宗教間の分化よりも大きな問題ではないのでしょうか? 神は存在するか、しないかという考え方の違いのほうがより根底的な違いとは思わないのか?」A「価値の視点から見れば、神とともに生きるか神無しにいきるかは同じことだ。神は交流であって、強制ではない。私は、神は私達を分け隔てするものではないと思う。私にとっては私の両親みたいなものだ。私は両親を愛しているが、肉体的には彼らは私とは異なった存在です。しかし精神的には彼らは私と共にある。私にとって、神が私と共にあるとは、そういう風な感じだ。神聖な倫理がそこから導きだされるなんて性質のものではない。」
Q「天国に行けると確信して自爆攻撃する極端主義者を例に挙げることもないが、死後の人生を信ずるか否かは、人間の行動の基礎を非常に異なったものにするのではないですか?」
A「私は21世紀の人間です。死後にこの現世を生きるため復活できるなどとは信じない。死後の永遠の命というのはあり得るだろう、しかし、それは私達が今あり、或いは過去に生きたものと同じであるはずはない。」Q「ユダヤ人の多くはそんな風に超越していないのではないか?最初から神の超絶性を排除する宗教的経験を考えるなんて、奇妙なのではないだろうか?」
A「私は最初に断ったように正統派を代表するものではない。信仰についての断片的なvisionをもっているにすぎません。しかし、私は宗教的人間だ。現世は我々の唯一のものでありそれしかないとしても生きる意味のあるものだという観念と、宗教は両立しないものとは思わない。私は宗教を生きるが、宗教に依存して生きるのではない。これは重要な区別だと思う。私は私の信仰にコミットするが、厳密にわたしの信仰にのみである。Q「貴方の信仰は神学、世界のある意味を含んでいるのでしょう?」A「勿論です。人生の図柄は神が創造するものとは思わないが、神は人生の図柄です。そして人生の意味は現にここに生きている人類の究極的な調和・平和です。」「ではその死は? 死の意味は?」「人は死に至る瞬間まで貢献していくでしょう。そうした瞬間というのが、私が理解するところの救世主Messiahの再臨です。メシアの再臨(キリストの降臨)とは父親の顔をまた見るだろうということではない。聖書はいいます。“そして狼は再び子羊を食べるだろう”と。これはメシアの降臨の非常に深い意味するところです。しかし、なかんずく、人生の深い意味です。この調和に向けて働くこと。この観点からすると、世界を改良するために働くことは必然であり、義務である。このことは、私は、既に見たように、外見的に対立する倫理の結節点です。対立する宗教宗派間についてのみではなく、宗教を信ずるものと信じないものの間の対立についても言えることです。人生をよりよいものにするというのが、人生の意味であり、我々は誰でもそうした信念にコミットしている。この点については、宗教が語らせられる慣習的な訴えを必要とさえしない、自明なことであることは明らかです。だから、人類の道徳は進歩する可能性がある。人類は前進し、或いは後退するが、しかし、進歩しつつある。」「貴方のいう究極の調和とは現在の世界の混乱状況を指すのではないでしょうか?」「そうです。人類の基本的役割はおそらく調和を再建することです。」「本来の調和を再建するのに、こんな回り道をしているとはおかしなことですね?」「有限な世界が無限でありたいという欲求から創り出されたというのは本当です。ユダヤ人の神話的伝統では、世界の創造には無限であらんとする内的、構造的な必要があると暗に行っているのです。」「形而上学的な議論に合理主義的な言語が用いられというのは奇妙な感じがしますね。」「ユダヤ人には奇妙に思えないのです。ユダヤ主義には強い合理主義的傾向の伝統があります。その伝統が私の議論には反映しています。」「信仰と科学は対立するものではない。なぜなら科学は、ある意味で神の観点の解釈であるからです。例えば、ダーウィンは神と両立します。彼自身も進化は創造主の存在と両立すると考えていました。科学の前で動揺する信仰は、役に立たないと思います。宗教は科学を受け入れるべきです。そうしないことは宗教は無知蒙昧の一形式だと主張しているようなものです。」「宗教の歴史はそうした歴史だったように思いますが---」「私の宗教的見地は純粋に知識に対する欲求に依拠しています。私の宗教的視点は何らかの他の精神現象学とよりも、より以上に合理的知識と結びついものです。何故そう信ずるかというと、私は究極的には知らないからだ。科学は究極の疑問に答えることは出来ない。その疑問は人類の疑問で、数世紀に亘って問い続けてきたである。人間性の自覚、単純にその存在についての自覚は、この究極的疑問と不可分である。しかし明らかにこれらの疑問は科学が既に創り出しつつある部分的解答と完全に両立できるものだろう。科学は神のために働くのだと考えている。科学に反することを言うことは、“科学は嘘をついている”というようなものだ。同じことだが逆に“神は嘘ついている”と言うのと同じです。どちらかが嘘をついているというような仮説は私には証明不可能である。」「しかし、科学と宗教は歴史の中で異なった道を歩んできたことをどう説明するのか?」「宗教の歴史と聖職者の歴史は区別しなければならない。また宗教的感情と聖職者の感情は区別しなければならない。宗教の権力と聖職者の権力は区別しなければならない。宗教は、他のいかなる人間的事柄とも同様に、権力に対して、緊張と権力の乱用に対して、免疫力を持つと言うことはできない。宗教の歴史は多くの仕方で恣意的な行動と悲劇に満ちている。宗教は憎しみと死をまき散らし、不幸なことに現在でもそうし続けている。しかし、そうした曲解を宗教のせいにするのはおかしい。丁度ヒロシマガス室を科学のせいにするのがおかしいのと同じだ。原子が解明されたから原爆が投下されたりしたのではない。人類が進めた一歩は大きな後退の可能性を秘めている。原爆生産や投下は政治的決定の領域の問題である。神の名において行う虐殺も、神の問題ではなくその名前を使用した問題だ。」
 「殆どあらゆる宗教は神を家父長のようにイメージするアナロジーを用いていますが、---」「そうです。それは有用な類推だとおもいます。神は我々に我々の本質を与えてきました。神は私たちを見守り、肉体的には別ですが、いつも精神的に我々の側に立っています。神は我々がなりたいものになろうとすることを許すのだ。父は息子を育てるが、絶対的、全体的にその生涯を決定づけたりしない。息子は父を拒否したり否定したりしがちである。そうしたことも可能だし、自己破壊的な行為をも選択可能である。そうだとすると、世界破壊の自由と人間の普遍的調和がどう両立することと説明するのでしょうか?それは神の観念と両立可能です。究極的な人間性の調和は永遠に来ないかもしれない。有限の世界は開放的に目的づけられている。それがこの世のあり方なのです。「そうすると、神は現世がそうした開放的なあり方をしていても無関心なのでしょうか?」「そうかもしれません。自由とはゲームではなく、それほど厳粛なものでしょう。自由は行使され、神はそれに同意を与えます。私の宗教的世界観からすれば、こうしたことに慈悲から介入することもおそらくないと思います。単に人間はその結果、酷いことを経験すると言うことでしょう。」「それはまた随分と厳しい超越のvisionですね。」「むしろ合理的な超越と呼びたいところです。」
 インタビューはこれで終わっています。
私の人間主義的立場からすると、神についての何らの仮説も持つ必要はないから、つまり神の存在については、神は人類の観念的創造物であるという見地をとっているから、神の存在を前提にして議論を一貫させようとする必要はない。私の哲学的立場からすると、さまざまな宗教的世界観を含めて、重要だと思われる哲学的問題は次のことである。すなわち、人類が実在し、その全体が一つの社会を形成して、人類の平和と福祉を増進するために協調する様々な合意を持つことが可能である。人類は全体としてこうした理性を持つことが可能であり、そうした方向に発達するに違いない。こうした精神現象学を私は、いわば確証なく信仰している。その意味でのみ、わたしは宗教的世界観と似た意識構造を持っていると言って良いかもしれない。或いはそういった宗教の近代化の論理を共有していると言っても良い。そしてまた、そこに多くの宗教を「私なりに理解」出来る基盤があるのではないか。そして異なった宗教は異なった文化と共通理解と共通合意を持つことが可能ではないかと思う。私にとっての異宗教問題・異文化問題は、この信念の一貫した論証である。言い換えれば、異なった風土の環境の中で生活し、異なった食住衣の体系を作り上げ、異なった世界観を物語り、様々な特徴的な役割構造を持つcommunityを作ってきた人々は、しかし、究極的に類として「理性」を持ち、それを実現しようと努力していること、その可能性とその実現を論証し、提唱していかなければならない、と言うことである。その意味で文明は不可避的に衝突するものではない、と論証できるのではないか。 この問題は、未知の未来の構想を含む「形而上学的」必要を避けることが出来ないと言うに過ぎない。「我々」が生きている「現在において」は、歴史上、常に実現不可能であった、と言えるであろうし、「この私」の未来についてもそうであるかもしれない。そして、歴史的に実在する諸宗教についていえば、その中に、この目的に向かっての様々な試みを発見し、その営みの積極性を発見していくこと、つまり、宗教は不可避的に衝突するのでなく、合意に向かって進むことが可能であることを論証できればよいと思う。その具体的な進展を見いだせれば、私たちは、文明は衝突するとか、異なる宗教は両立できないなどと主張し、闘争に勝つことを、そのために生き、そのために生け贄になり死んで聖霊として生き返ることを、私たちの人生の聖なる目標にする必要もなくなるし、闘争に勝つことを社会や文明や世界の目標にすることはないのである。
 そうした関心から、イスラエルさんの説くユダヤ教の神学には、一定の積極性を見いだすことが出来るのではないか、とおもったのであるが、現実のイスラエルパレスチナイスラム原理主義アメリキリスト教原理主義の絡みを見る時、なかなか敵意が敵意を煽り、殺戮が殺戮を正当化し英雄化する繰り返しの過程の解決の合意は見いだしがたいかのように見えてくる。しかし、この決定的解決は求められなければならない。