ユダヤ教の特質についての記事を読んで。宗教の「現代化」の課題。

Sbunaka2005-08-26

今日は全く柄にもなく、宗教について考えてみました。
私が育った文化環境の中では経験しなかったスペイン・カトリシズムの宗教文化が、多くの人に非常に顕著な影響力を持っているスペインのようなところに住んで、人との交流を通じて日常的な生活の中でそれを見たり聞いたりしていると、良かれ悪しかれ、宗教にある種の関心を強く持たざるを得ないようになると思います。私はカトリシズムを勉強していませんので、いや、それどころか何の宗教も学んでいませんから、どの宗教がどうのこうのという気は全くありません。個人的には、多少学んだことのあるものは、幾つかの宗教が近代にはいってどのように適合的なものとして変容していったか、或いは、近代化に抵抗して変容していったか、というようなことに関してだけです。しかし、この町に住んでいると、宗教に関する話題が毎日のように新聞に見られますし、旧市内全体が沢山の教会の集合であるといえるほど、各教区の教会や、様々な教会がたくさんあって、毎週のミサのみならず、始終様々なミサがあちこちの教会で行われているので、嫌でも宗教に触れる機会が始終あります。
人の人生にとって、「何が究極の価値なのだろうか?」 「そのために何をすれば意味ある人生をおくったことになるのだろうか?」 こうした「神聖な価値として、人は何を信じて生きているのか? 」我々にとって疑うことのできない=「信じることができる意味とはなにか?」「生活の上でそれはどのように行動することを意味するか?」 例えば、こうした設問は、「神」=「究極の意味を付与するものがあると信じるか?」を問うことと同じように私には思われ、それは必ずどの宗教の教義にも含まれる議論であるだろうから、その意味では私も何らかの宗教を持つことになっているのかもしれない、と想像しています。或いは、個人的には、むしろ、勝手にいろいろな宗教・芸術・政治・経済を含めた、価値に関する議論を「歪曲して」、自分の納得する「意味」、揺らぎながらも信ずるところのものを表現しようとしているのかもしれない、と言い換える方が適切でしょう。
 偶々8月22日の新聞に、スペイン在住のユダヤ人コミュニティの代表を務めている技術者のJacobo Israelという人のインタビュー記事が載っていました。記者は、イスラエルさんに、「ユダヤ教とはどのような宗教と言えるか?」を聞いていました。ここでは、カトリックについてではなく、ユダヤ教が問題になっちるのでしたが、その解答の中に、宗教について考える上で、宗教に無知な私には大変参考になる意見がありましたので、それをメモしておきたいと思います。
 「宗教というのは日常生活と非常にうまく調和するものではない。だから新聞のインタビューとして適切な話題でもないし、また、ここで私の語ることはスペインのユダヤ人を代表しているものではなくて、全く個人的な考えに過ぎない、ということを厳密にお断りしたい」、とインタビューをはじめています。Q [ユダヤ主義は最も洗練された無神論だというひとがいますが?] A「そうかもしれません。自己をユダヤ人と定義しているすべての人は、ある種の宗教的世界観を共有している。それは多様で複雑ではあるが、そこには常にある世界観が存在する。第一に、宗教という言葉はラテン語で“結合する”という意味である。宗教的世界観を持つものは、超越世界higher worldと現世 our worldの間に結びつきを見いだしている。第2に、彼らはすべての人々は唯一の人間家族の部分を構成していることを確信している。つまり、人は他者との結びつき、聖なるものとの結びつきを同時にもっていることを確信している。そして、最後に、「人は神を無視することが出来ても、神は存在する」という確信をもっている。人間は神によって自由意志を与えられている、それは神の意志である。これは人間性の基盤であり、このこと無しに神を認識することは出来ない。人類を信頼する超越者の行為は、神自身の中に自由意志が含まれていることにある、ということのように私には思われます。」
 カトリック・スペインでは、多くの人々がカトリック信者であることによって、神を信じるものが人と人とのつながりを信じ、この世の生活を秩序あるものとして送り、救われることを願い、救われることを確信して生きているように思われます。しかし、カトリック信者であると人が考えるところのものは、常に全く誰においても同一なものであるとは限りません。大司教達の考え、公式の教会の見解として通達するものでさえ、ある政党やある地方のある人々によってもっぱら支持され、他の政党や他の地域の多くの人々によって反対されるという、要するにイデオロギーとして機能することは誰でも知っています。また、一方で、多くの人が奇蹟を信じ、奇蹟を見た人を聖者として認定するローマ教会の「厳密な」判定を信じて、どちらかというと神秘主義といわれる伝統的流れの中で、中世の庶民の無知が維持されているかのような印象を受けることがあります。しかし、同時にスペインの中に多くの違った考え方の人たち、すなわち、教会に出席しない、「無宗教」といわれることがあるが、しかし、カトリックの価値体系の枠組みの多くを共有し、そうした枠組みを絶えず洗練しようとしながら現実の教会と論争している人々、或いはそうした流れの中にいる多くの庶民を見ることも出来ます。
人間の世界は、多くの経験を経て、変動し、例えば、「近代」に入って宗教的信念は、その世界観を修正し、「宗教の近代化」を経て、その大きな機能を維持してきたとも言えるように思います。こうした世界の変動の中で、ある民族社会、国民社会などが、その民族・国家の「支配的な文化・宗教」の新たな解釈に失敗すると、すなわち、「伝統的文化」と新たな世界観との調和を達成することに失敗すると、その社会は「近代化」に著しい困難を抱えることになったことは、歴史的事実ではないかと思うのです。そうした観点から、このイスラエルさんのいわれることは「近代化」及び「現代化」の必要にどう対応しえているのでしょうか?
 私には上記の彼の言うユダヤ主義の3つの宗教的世界観の要件は、宗教が近代化する必要を感じた時点で、それぞれの近代化していった国や民族が、その文化体系を「宗教的なもの」として維持しつつ「近代化」していった時の共通の先行要件であったように思います。神は創造主として存在することを信じること。人の営みの可能な範囲を超えたところの世界があること。聖なる世界との調和において、人間は全体として一つの家族のように類であること、類として助け合い社会的生活gesellscaftliches Gattungswesen,或いは civil societyを営んでいくものである、と信じること、これを先行要件として文化を再創造することが、「宗教の近代化」を含む文化の近代化の課題であったように思います。
 ここで人間が自由意志を持つと認めることを神の意志だとすることは、決定的に重要な出発点でした。神の概念を前提するところでは、超越した存在と同じような意味で人間が自由意志を持たないことは明らかなことです。しかし、自由意志を持った人間は自らの行為において超越する存在の想像する世界に到達しなければなりません。そこに行けるかどうか、この世でそれは絶えず不可能であるにしても、ユートピアとしてのそれを目指して、人は自由意志により行為していくことになることを確信するところに信仰の意味が認められることになるでしょう。個々の人間は、「近代」の段階では民族・国民などを「全体」「人類」として認識し、「現代」ではこれを超えた「世界社会」を「人類」の具体相として認知しつつ、宗教的信念を持つ人は、神の想像した世界の究極の姿をこの世に実現するように努力することになるでしょう。
 宗教の近代化は、例えば、この世のすべての存在は神の意志の実現形態に他ならないとして、「罪ある」「私的欲望」によって「合理的に行為選択」する人間を素材とする行為連関として神の創造するユートピア市民社会自由社会、市場社会を認識する「新たな世界観を創造」しようとしました。「物資代謝する自然的な生命過程」として人間は捉えられ、社会は総体の人間が市民社会を形成して営む社会的生命過程として把握されます。こうした社会的生活過程は、この近代的宗教的世界観からすると、人間がものを欲求し、感じ、考える仕方を歴史的に洗練しながら、「世界」を産業化、市場化、都市化、西欧化して、「普遍主義的」に収斂していく過程を仮定し、それを押し進めることが世界を理性化するという世界観を持ち、資本主義、帝国主義覇権主義の時代へと収斂していくものと確信してきたのが、「近代化」に他ならなかったとも言えるでしょう。
しかし、こうした近代化の神話、幻想は幾つかの世界大戦を経験して、もろくも崩れていきますが、やがて、超大国覇権主義の一方が破綻し、他方も宗教的原理主義的無知を克服していく中で、市場社会=市民社会を乗りこえ、近代化を超えていくことを想定するようになるでしょう。
 こうした理性の達成することの出来る秩序を持った社会を、「民族社会」「国民社会」を更に超えた「世界社会」として目指そうとする段階が現実に来ていると私は考えています。宗教もそれを目指すべく新たな世界観を創造する課題を持つに違いありません。それこそが宗教的世界観の「現代化」の課題だと私は思うのですが、ちょっと飛躍しすぎました。話を戻しましょう。
 記者は聞きます。「人間は自由な意志を持つということは、神はその意志を実現するために、人の意志決定に応じて報酬、救済や罰、有罪宣告を与え、人はそれを宿命としてうけいれなければならない、とあなたは考えているのか---」、
 「イヤ、単に自由なのだ。神は全く人間を自由なものとしていて、神の観念にさえ結びつけていない。 間違うという可能性さえ、自由の条件なのだ。このことについて全面的に取り扱っているユダヤ神学の派が存在するが、いわゆる“Shoah”の神学がそれで、Martin Buberの神の失墜についての省察はこれに関連したものである。彼は神の失墜という時、神の人間創造は、神があきらめた結果だといいいたいのではなく、自由についていいたいのであって、神は選択する道徳能力を人間の意志によるものとして委ねたのである、といいたいのである。ホロコーストも我々の選択であり、日常的に見ることが出来る人々の善意と連帯の行動も我々次第なのである。
では、ユダヤ人の倫理の最も基本的なものは何なのか?それはキリスト教にも世俗的な人々にも影響を与えてきたと思う。その特徴の最も際だって異なっている点は、人間の犠牲・生け贄について反対する態度だろう。神の怒りをなだめるための生け贄に基づく偶像崇拝に反対するということが、ユダヤの倫理を根本的に他と区別する特徴だといてよい。キリスト教徒から見ると、ユダヤ人は如何に反英雄主義に転向したか示すものというだけのことかもしれない。しかし、ユダヤの神は人間が死ぬことを必要としない。この点はキリスト教とも、イスラムともユダヤ教は異なる点なのである。ユダヤ教は他宗教からの転向を暴力的に強制することはない。イスラムもまたそうだ、と言って良い。中世のあるイスラム地域、例えば、モロッコでは転向を強いられたものは、時間が経って後に、本来の宗教ヲ回復することが出来たのである。今日は、もう暴力的に転向を強いる時代ではなくなった 今日、宗教は他宗教から転向させてその信徒を増やす必要はない。宗教的競争は意味を失った。もし転向があったとしたら、それは自己意志による選択であるべきで、暴力や平和的な転向テクニックによるものでなされるべきものではない。宗教間の話し合いも充分ではないとさえ思う。今なされなければならないのは、異なった信条を持つとする人々が共通の価値を求めることである。
そういわれてみれば、キリスト教ならずとも、何かを神聖なものとしてシンボライズし、そのために自己を犠牲にするという行為を、聖なる行為として,総意を挙げて讃え、聖なるものに殉じたとして祀る儀式は、その宗教の最も本質的な教義の一部となっているようです。カトリック教のミサとは、神の子キリストが生け贄となって、復活の奇蹟を成し遂げたことを日常的にいつも再確認する儀式だといって良いように思います。多くの宗教は、教会や神社、その教義の言語を象徴するとする様々なシンボルを持つでしょう。例えば、靖国神社は、それ自体では、建物であり、祭司を取り扱う宮司達であり、そんなものを崇めたところで何の意味もないと言えないことはありません。しかし、それを信じ儀式に参列する信徒達にとっては、それは日本の神、天皇家の先祖神に命を犠牲にして捧げた人達、そのシンボルとしての天皇の意図の元に命を犠牲にした人たちを祀るのだと信じ、 徴兵された人たちのうち、戦死した人たちを宗教的な英雄とするのです。生きる意味とはそうした神のために身を捧げ、死ぬことと信じるのです。そうした宗教的な信徒からすると、戦争犯罪人として国際社会の裁判によって裁定された人間を、こうした英雄と意味づける宗教的行為は、日本の戦争中の国家宗教にとって本質的な観念であり、軍国主義思想の宗教観からすると譲れない思想であることになるでしょう。軍国主義の時代の国家主義教育の結果、このように多くの人は、その近代化の過程で創造されていった「日本的宗教」=国家神道を確信するようになった故に、異教徒と闘い、それを排除ないしは同化すべく、英雄となって自らを犠牲にしたのである。宗教の「近代化」に失敗した典型的な事例の一つであるこうした天皇制=国家神道=「日本」宗教観をも含む多くの宗教と、この点で一線を画するという点にユダヤ教の特徴を見ようと言うこのイスラエルさんの議論は、諸文明間・諸宗教間の衝突とする現代の戦争の根拠を究極のところで疑おうとするものでもありましょう。 また、彼はユダヤ教の中で、異宗教・異文明との間に合意される共通価値を形成しようと言う世界市民による「世界社会」形成の宗教的世界観を求めなければならないとする宗教「現代化」の課題を考えていることになるでしょう。何人も特定民族や国家の文化を、他者がそこに収斂するべき「神の意図」と考えるべきではなく、文化は多様なものとして自由に選択されて発展してきたものである、とする立場に立とうと言うことでしょう。況や、「民主主義」であれ、「キリスト教」であれ、絶対的理性とか神の名において、そこに武力によって転向を強制すべき根拠はない、とすることになります。そして、単に文明化の相互理解では不十分で、そこにとどまらず、共通の価値を形成していく努力をすべきだという考え方になります。
要するに、宗教者の現代に於ける現代化の課題という点で、私は彼の議論に大いに「理解」するところを見いだすことができました。この課題を考えること無しに、宗教者であることの要件である、「超越者の普遍的な世界創造を信じる」ことは既に出来なくなっているはずです。人間総体の理性を信じ、その実現を求めようとする人間主義的世界観の立場の私にとっても、その「世界社会」のユートピアを目指す世界の営みを考えることなしに、生きる現代的課題を考えることは難しくなっていると思っています。このglobalizationの時代に、仮にそれぞれの民族文化・国民文化、それぞれの地域文明、諸宗教が自己の絶対性、普遍性を主張し、その世界観が他地域・他文明・他社会体制に対して正義・道徳的基準として地球化すべきだと信じ、英雄的行為を鼓舞するとすれば、戦争は際限なく正当化され、神聖化されて終わることがなくなるでしょう。或いは自己の世界観の優位を信じて他との棲み分けを諮るとしても、豊かなもの、武器を独占するものが、独善的・利己的に共同を拒否するという結果に陥るだけでしょう。地球化の条件の下でこうした「原理主義」や「独善的孤立主義多元主義」は、現代社会への適合化に失敗した典型的事例になることでしょう。

アイルランド通信 その2.上野格さんから

旧パーネルさん邸宅のサマースクール会

 上野様
楽しいmailありがとうございました。「H.C.パーネル」という人を記念するサマー・スクールに参加なさったとのこと、楽しい雰囲気が伝わってきて、イギリスでのこれに似た会合に参加した記憶がよみがえりました。 しかし、100年前のパーネルさんや植民地時代アイルランドナショナリズム運動について全く無知で、ちょっとした解説をしていただければ良かったのにと、残念なことでした。10年も続いて参加できる同好の士が集まる会合には、私は参加したことはありませんが、うんと若い頃、女房がまだ童話などを翻訳していた頃ですが、例の「ピーター・ラビット」の著者ベアトリックス・ポターの同好の士が世界から集まる「研究集会」に毎年出かけていたことがあり、そこで仲良しになったアメリカ人のお婆さんの家に、私も一月ほどお世話になったことがあります。ポターゆかりの場所を訪ねるツアーなど毎年あって、一つのテーマに徹底的にのめり込んで専門家もウンザリというほどの詳しい話しをする人たちの楽しい研究会があることを知りましたが、もしかしたら、そうした準学会・研究会の一つでしょうか? 労働者階級の昼飯は12時からですが、専門職、大學の教員や院生なども含めて、「知性や趣味のレベルの高い人たち」の昼食は2時−4時ぐらいで、時にお酒も入って、(スペインは、ゆっくりした昼食のあと、有名な昼寝の時間、5時頃から8時半頃まで密度の高い仕事の時間、終わってから人生を楽しむ時間が始まり、街が最も賑やかで人通りが多くなるのが夜8時半〜9時を過ぎてから、)学会など、夕方から夜の発表、パネル、ワーク・ショップなどの密度の濃さ、等、昔こうした時間配分を知らなかった頃の戸惑いを思い出しますが、余裕を持って楽しんでおられる様子がわかりました。
 私は、私の「文赤千兵衛の日記」というブロッグを時々書いていますが、もしご迷惑でなければ、こうしたメ−ルの文章を転載させていただけないでしょうか?署名はペンネームでも本名でもお好きなものを決めていただき、メールを署名入りで転載するという趣向です。実はこうした趣向のものは他の人にもあり、例えば、村上龍の編集した「雑誌」として毎日誰かが書いた紀行文、論文が一つ記載されて多くの人が読んだりしています。沢山の読者がつくというわけにはいきませんし、写真も枚数に制限がありますが、1枚だけはいつも載せることが出来ると思います。もし面白い寄稿者が増えれば、それだけ多くの人に喜ばれ、読んでもらうことが出来るでしょう。 勿論、ご自身のホームページをお持ちでしたら、そんなことをする必要はないでしょうが---。

文赤様

 早速のメールありがとうございました。毎朝例の変な広告メールを消しています。中に二つ三つ友達からのものがあって、うっかりすると一緒に消してしまうので、結構緊張して消します。そのせいか、一目でぱっと数行わかるようになった。現代に生きるための技術でしょうか。 転載していただけるとは名誉なことで、どうぞご自由にお使いください。

 パーネルHenry Charles Parnell(1846-1891)はアイルランドのプロテスタンド地主です。当時アイルランドは自前の議会を持たずウエストミンスターに議員を送るだけの選挙区に成り下がっていましたから、MPとして活躍し、グラッドストーンを手玉にとってアイルランド自治権(Home Rule)確立のために大奮闘しました。

今も各国の議会で行われる議事妨害filibusterは彼の率いるアイルランド党がウエストミンスターで行ったのがはじまりです。ちなみにこのアイルランド党は党員や支持者の拠出する会費?で運営する近代政党の始まりとされています。

 残念なことに、独身の彼は同志で同僚の議員の夫人と懇意になり、ブライトンに家を構えて同棲し、約十年の間に子供を3人もつくった。亭主がその間何も知らなかったとは考えられませんが、このラブ・アフェアが始まってから十年もたって、いきなり離婚訴訟を起こし、不義の相手としてパーネルの名を指名した。
 グラッドストーンは「驚愕」し、そんな不徳義漢と手を組んでいては政権が危うい、とアイルランド党からパーネルを追放しろと迫り、とうとうパーネルは失脚。そのすぐ後、亡くなりました。
 今年のパーネル・サマー・スクールでは、この女性の研究も発表されました。それによると、グラッドストーンはこの女性・キティーから手紙を貰い、会ってもいるらしい。しかし、彼は会ってもいなし、パーネルとのことなど何も知らなかったと言い張っていた。本当は、政治家が相手の弱点をうまく利用して、手ごわい相手を失脚させたのでしょう。

 いかにも表面だけ格好をつけるヴィクトリア時代の「えせ紳士淑女時代」を彷彿とさせる事件です。亭主が離婚訴訟をこれほどあとになってから起こしたのは、それまで妻に叔母の莫大な財産が遺贈されるという期待があったのに、結局だめになったからだといわれています。だから、亭主は今でもけちょんけちょんに馬鹿にされています。
 パーネルはダブリンの目抜き通りに大きな像になって立っており、お相手のキャサリン・オシェー、愛称「キティー」も愛されこそすれぜんぜん嫌われてはいません。キティーというパブまであって、それがまた絵葉書になって売られているほどです。
  日本では既に明治25年頃アイルランドの政治社会事情を紹介する本がでており、そこには、アイルランドには政治家がすくなく、せっかく実力のある政治家がでたのに、それが女に弱くて失敗した、とパーネルを紹介しています。これも、いかにも日本の政治家像。女がほしければ花柳界に行けば良いものを、なまじ素人女に手をだしたから失敗したのだ、という解釈。

 アイルランドで私はよくアイリッシュに、パーネル問題を質問します。大きな責任を負って仕事をしているのに、情におぼれて失敗したのは不注意ではないか、などと。男の返事には、そうだ・もっとしっかりすればよかったのに、とか、だから女には気をつけろ、などというのが多い。パーネルがもてたのを妬いている。女は違う。あれはプライベイトなことで問題にならない、と思っていたのだろう、とか、キティーへの愛情がそれほど大きかったのだ、とか。皆好意的。自分がキティになっている。

 面白いのはパーネルの離婚問題が騒ぎになった時の新聞。
これもレクチャーで言っていたのですが、街の殆どの人の意見が、「みんな間男をしているんだから、パーネルがやっていたってどうということはない」というものだった、と。まさかみんなではあるまい、というのが女性の奇妙な反論。
 だんだん話が落ちてきました。アイルランドにはParnell Societyという会があり、そこに集まる人をParnellite といいます。私もいまでは立派なParnelliteです。困ったことに、日本経済はどうなっているんだ、などと聞かれます。ぜんぜん知らない。そのたびに、統計要覧くらい持ってくれば良かったと後悔しています。

 今日は日曜日。図書館は休み。朝から散歩しようとしましたが、公園も10時にならないと開かない。午前中は皆ねているようです。

 ではまた。奥さんによろしく。

 上野 格

アイルランド通信 上野格さんから

パーネル・サマースクールの風景

文赤 千兵衛様
 メールをありがとうございました。日本では殆ど使わないノートパソコンを持ってきていますので、アドレスがはいってなくて、困っていました。w君に問い合わせたのですが、何か失敗したらしく、届かないらしい。メールをいただけて肩の荷が下りました。どうしよう・どうしようと気をもんでいましたから。

 昨晩、ウイックロウというきれいな田舎の森から帰ってきました。アイルランドの「無冠の帝王」といわれるナショナリズム運動のリーダー「H.C.パーネル」を記念して1991年(没後百年)にはじまったパーネル・サマー・スクールというのに参加していました。人里はなれたいいところだけれど、インターネットは使えず、新聞も一時間以上歩かないと入手できない。絶海の孤島に一週間いるのとあまり変わらない。

一週間、パーネルの生れ育ったEstateで暮らし、朝9.30からレクチャーとパネル・ディスカッションなどを楽しみます。最近本を出した人が講師に選ばれますので、議論が新鮮で私には大変有難い。アイリッシュにとってもそうです。90分でひとつ終わるとお茶。そこまで歩く間に、「今のレクチャーはどうだった、お前の仕事には役に立つか」などとひっきりなしに話が続きます。

 日本では男のおしゃべりは軽蔑されるけれど、ここではひっきりなしにしゃべっている。静かなのは講師がしゃべっているときと、寝ているときだけです。食事や酒飲みの時などは、あまりうるさいので、他人の声が聞こえない。だから、相手の話と関係ないことを皆勝手にしゃべっている。聞こえないから、相手がいうと何にでも賛成するけれど、実は反対のことをしゃべっていたりする。

 男でもそうですから、中年女性がいると大変。朝食は大体女性軍と一緒になるのですが(男は酔いつぶれている)、そのかしましいこと。中年のおばさんたちがまるで女子中学生のように大声で話し、笑い、時には気勢をあげます。いつかは、遺産相続の話になって(朝から!)日本ではどうかというので、女房半分、残りは子供が均分相続ときまっている、といったら皆大賛成でした。ここでは、スペインでもそうでしょうが、遺言書が大きな役割を果たすから、女房族には不利なことが良く起こる。誰か知り合いにそういう人がいたのでしょう。小さい国だから、大体誰かが誰jかの親戚で、必ず情報通がいる。国をあげて「村」です。

パーネルで撮った写真を少し送ります。(残念ながら、この写真、fotolifeの容量一杯で遅れませんでした。ー文赤)パーネルは中くらいの地主で、あまり大きな屋敷は持たず、庭園の広さも並だったそうですが、それでも3枚目にあるように芝生がいやになるほど広く、遠くまで開けていて、 ゴルフコースがいくつもできそう。大きな木が数に生えている林がその周りに広がっていて、いつか日本の若い女性とその中を歩いたら、静かなのと、どう歩いてもいつまでも林からでられないので、とうとう怖がって、出たい、出ましょうと言い出した。
 一枚目にある大天幕はmarqueeといわれる大テントです。外からはあまり大きく見えませんが、中には二枚目のようにかなりたくさん入れます。午餐を待つ参加者たちです。日本人のように見える若い女性は台湾人でアメリカの大学を終えて、ダブリン大学で院生をしている。東洋人はこの子と私の二人だけなので、いつも一緒にいて、アイリッシュに「父子か」とからかわれていました。一緒のおじさんは元英国海軍原子力潜水艦の司令官。日本にも、長崎、佐世保、神戸などにきたそうです。毎年会うたびに、「神戸牛は世界一うまい」と懐かしがります。

 つまらない話で長くなりました。テレビのニューズでスペインやポルトガルの山火事を盛んに報道していましたが、今日は見ませんでした。そろそろ終わったのでしょうか。
 奥さんによろしく。またメールします。

 上野 格

 昼間は、2時間を越すランチ(正餐)をはさんで3回、講義とパネルがあり、夜は近くのホテルで8時半から講義、ということになっているのですが、夜はぜんぜん時間を守らない。9時過ぎてようやく皆がホールに集まる。それまでは皆のんでいる。私もそれまでにはギネスなどを2パイントはのんでいて、新しい1パイントを買って講義にでる。一晩はトラディショナル・ミュージックの日で、なんとアカデミック・ディレクターで準備や会期中大忙しの男が(若手でかなり有望な大学の教員ですが)凄くうまく笛を吹いてみせる。
「私も負けずに声張り上げて、歌うよ「庭の千草」を日本語で」と「南国土佐を後にして」みたいにがんばります。このスクールにくるようになって、もう10数年になります。家内がなくなった年の夏から毎年。一昨年には連続十年皆勤で表彰されました。

スペインのある村祭りを訪ねて

Sbunaka2005-08-15

U様
早いもので、8月も既に半ば近くなってしまいました。ダブリンの生活はいかがですか?今日は「マリア様が昇天召された日」、つまり私のような罰当たりが日本風に言えば、「マリアさんの命日」でスペインは国民単位の休日です。カトリックの国アイルランドも休日なのではないでしょうか?スペイン・サラマンカは夏に入って市民サービスの仕事をしてきた人たちも既に休暇を取った人々と交替で休暇に入ったかのようで、新聞売りの売店や中華料理のレストランや、夏物大安売りをやっていたいろいろな中小商店も、あちこち歯が欠けたように、「ヴァカシオネスにつき休店します」の貼り紙を出して休みに入りました。この月曜にかけて先週末から連休(こちらはpuente橋という言い方をしているようです。)なので、休暇に出かける人も多いシーズンなのだそうです。7月から毎日のように、様々な公共的な場所、教会前広場や、プラサ・マイヨール、歴史遺産の中庭などで行われていた、ジャズ・フェスティバル、クラシック音楽、芝居、踊り、サーカス、様々な行事もほぼ一段落して、これらの催しはめっきり消えたようになくなり、教会のミサも合唱団はいませんし、週末には相変わらずたくさんある結婚式のミサも、オルガン弾きの人が結婚行進曲をひいてお終いという具合で、時に出逢う豪華な合唱団つきミサを見ることもなくなった感じです。私が属している合唱団の仕事も7月末から8月末まで練習も無し、9月の始めにミサがあり仕事始めとなります。日本からの観光客は、お盆のこの8月半ばが多くなり、折角来ても実は見るものが非常に少なくて気の毒な感じがします。各国、各地からの観光客は、しかし、この時期に特に減るということはないようです。むしろ非常に賑わって、昨夜の夜中の12時頃の中央広場plaza mayorの大混雑ぶりには、驚くほどでした。日本の短期留学生もこの時期にぐっと増えますし、働き盛りの年代の日本人家族旅行の観光のお客さんの顔もぐっと増えるようです。(最近は日本人を顔や身体的特徴で他の東アジア人と識別することは非常に困難になってきましたが、昔からの特徴で分かることは日除けのために帽子を被っていることでしょうか。これは先ず間違いなく日本人です。昨日まであった陸上世界選手権でも、帽子を被ってマラソンを走ったのは、ほぼ日本人だけでした。日除け帽子は日本の国民文化ですね。もう一つは、ごく最近の変化ですが、よく知られている日本人とカメラという取り合わせが、今では小さなvideoと電子辞書を持っていること、それを取り出すときの自信に満ち満ちた表情でしょうか。一見してどこの国の人にも負けず知識欲盛んで、土産物店などで何か書いてあるとサッとこれを取り出します。かくいう私も電子辞書を持って歩きますが、多少長期で滞在している立場上、いつまでたってもスペイン語が出来ないことを暴露しているようなもので、すぐそれなりに話せるようになる他国の人を知っているスペイン人に対して恥ずかしいという気の方が先に立つのですが、多くのかたは逆のようです。)
さて、今日は先日招かれていった村祭りについてお話しいたしましょう。招いてくれたのは市場の魚屋さんで、私たちもよくその店で買っていたのですが、年金滞在者の私共とは違い、上得意さんの1人である私どもの友人のお供という形で、招いていただいたのだと思います。友人の車に乗せていただき、それぞれサラマンカから2時間、レオンから1時間ほどの小さな過疎の村でした。現在村には3家族だけ住んでいるということです。魚屋さんもかつてはこの村で百姓をしていた家族に育ったのですが、現在その家は誰も住んでいなくて、サラマンカから時々週末に帰ってくる別荘ということのようです。 (魚屋さんの村の家)しかし、この村の人である奥さんの親家族が未だここに住んでいて、そのためもあるのでしょう、比較的頻繁にこの村に帰ってくる家族の一つということのようで、村との繋がりもまだ非常に強くあるようです。スペインの家族は大家族主義の家族文化を持っていて、成人してそれぞれ一家を構える親子兄弟姉妹の家族間の日常的つながりは強く、またそのつながりはそれぞれの核家族の双系に亘って緊密ですから、社交に優れた核家族は、非常に拡大された親族・姻族の範囲で多くの親族と行動をともにしており、そうした社交資源は各個人の核家族によって大きな差異があると言えるでしょう。招いてくれた魚屋さんは次男ですが、長男の方が非社交的であるのに反し、非常に社交的で開放的で、しかも他者への配慮の行き届いた人ですので、社交的な母親とともに、この親族の中で最も重要なリーダー的位置を占めているように思いました。 実際相続した村にある家産、大きな牧草地や何軒かの留守になっている親族の家の管理も、母親家族と次男が、村の自分たちの親族、特に魚屋さんにとっての自分の父親の親族を代表して行っているように思われました。貴重な水資源に恵まれ、湿地帯を含む広大な家産の牧草地は、牧草の刈り入れと販売だけで、もう自分自身の農業は行っていませんので、「土地の管理が悪いといわれて、地域の評判はよくない」といいながら、自分の畑の湿地帯に泥浴びに来るイノシシや、兎や鳥などの狩猟を趣味にして、持っている一〇数匹の狩猟犬を自慢にしています。その村にある従兄弟や姻族の幾つかの核家族の家は、皆もう都市で働いていて、家庭菜園も荒れたままになっていましたが、この祭りには一族・姻族が帰ってきていて、この魚屋さんの一族はこの村の人口の中での大きな欠くことの出来ない部分であることが分かりました。村には総数で18世帯だというのは、祭りに帰ってくる人たちの住居が18軒あるということのようでしたが、核家族はもっとずっと多くありましたので、住居を持っている核家族や3世代以上同居家族などいろいろあって、食住を共にする世帯が単位で家族が勘定されているのではないことは明らかなようですが、どんな単位で家族が勘定されているのか大いに興味あるところでしたが、質問は控えておきました。魚屋さんの親族で村に帰ってきた核家族は、住宅以上にかなり沢山でした。都市に住む人を含めて、すべての人には故郷があるという点では、日本人には分かり易い民族的性格を持っています。近代史に入って、フランコの時代が挿入されていますが、フランコ主義の文化は、スペインはどこにもない優れた独自な民族的文化を持ち民族的性格を持った民族なのだと強調することを通して、ナショナリズムを強調する文化でした。そのナショナル・アイデンティティの中核はスペイン史の物語で、スペインをレコンキストとカトリック王とカトリック女王の結婚による国民統一、スペインカトリシズムによる精神的統合の歴史という点で説明し、大帝国時代の建築物などの歴史遺産をスペイン人の象徴として重視していました。また、スペイン国民は村と大家族主義の生活慣習をもち、カトリックの厚い信仰を持つものと説明され、教育が行われ、それ以外のアイデンティティの持ち方は、厳しく統制されていたようです。とりわけ、啓蒙主義自由主義、民主主義の価値を強く反カトリック的なものとして統制の対象とした時代を持ったのでした。近代史を否定する歴史物語、その象徴によって自己了解していたフランコの独裁時代・軍国主義時代のナショナリズムの精神的痕跡は消えがたく今日まであると思いますます。それはスペイン人のナショナルアイデンティティを語るときに特に現れてくるようです。そしてそうした国民統合のあり方に対する地方の「ナショナリズム」、「ナショナル・アイデンティティ」の克服されがたい葛藤は、スペインの最大の泣き所として、各地方ナショナリズム独立運動として尾を引いていることは周知のことでしょう。しかし、現在、少なくも、フランコ主義の否定は大多数の国民的合意になっていますし、それは既に過去の悪夢となっています。テロを伴う頑固なナショナリズム独立運動は、国民的には同感されないものとなっていると思いますが、この地域のナショナリズムは地域保守思想として根強く存在し続けていると言えるのではないでしょうか。
 日本史を「万世一系天皇家の歴史」の物語とし、天皇家の先祖神信仰の宗教を中核とするイエ社会文化を日本の民族的アイデンティティの中核において、すなわち天皇制によって「日本人」の固有な国民的性格を定義し、日本の固有性の民族的優秀性を強調するナショナリズムを、あるべき普遍文化として位置づけ、それ以外の近代思想を反日本(人)思想であり、鬼畜米英思想であるとして厳しく統制した時代を持った、という点は、何かしら帝国主義時代に「遅れて出発した近代化」に「劣等感」を感じ、暗黒に反転した時代を持った共通性を感じたりします。60年以上前のナショナリズムによる国民アイデンティティのトラウマの克服は日本でも容易ではありませんが、何とかしたいものだと思います。それはともかくとして、村落共同体のつき合いの親密さ・全員平等の原則などの「陽の側面」なども、日本の村祭りの時の村落と似ている感じがして、大変懐かしい想いがいたしましたが、伝統的に個々の核家族にとっては血縁と姻縁は共に同等な重要性を与えられていますから、双系家族である点だけ、日本の村の直系血縁の親族関係、村社会の構造と異なっていたかもしれません。
さて、祭りのはなしに戻りましょう。祭りは、すべての村に守護聖人が決まっていまして、その守護聖人の日がその村の祭りということのようです。皆さんご存じのように、ヨーロッパのどの国もキリスト教国はすべての地域単位に守護聖人の日を持っていて、その日が地域の祭りだと言っても良いでしょう。だから、スペインの場合、各地域に住む住民は、国の祭り、地方の祭り、市町村の祭り、と少なくも3回は祭りの公休日があります。今や全くの空き家となっている観のある多くの家も、しかし、この祭りの日だけは必ず1族揃って帰ってくるようです。この村のような、今は過疎となっている、もともと小さな村では、教会はあっても神父さんはいないので、祭りのミサには出張してきてもらうのですが、教会の廻りには何のためか知りませんが何かの木の枝が切ってあって廻りの壁に立てかけてあり、時間になると、教会の鐘がうち鳴らされ、一斉に村人達が教会に入りました。先ず簡単な開始の挨拶があって、教会にあるマリア様の像をこの村では女性達が担いで、 笛と太鼓を1人で奏でる1人の男を先頭に村を一周し、教会に帰ってきます。
(行列の風景)それからおきまりのミサを約1時間近く行いましたが、伝統的な村の民謡と踊りの伴奏を勤めるこの伝統的楽器で、1人の人が教会やマリヤ様の行列で吹いていたのは、何とアレルヤであったり、サンクトス、ベネディクトスなどのミサの賛美歌であったりして、大都市のカテドラルだったら、パイプオルガンや教会つき合唱団が歌う代わりを勤めているのだということが、聞いて行くうちに分かりました。(ミサ)神父さんもお説教を早めに切り上げて、再び笛と太鼓のこの人を先頭に、今度は賑やかな伝統的な地付きの民謡と踊りの曲を演奏しながら各家々を順に回っていきます。その家の人は、家の玄関前に皿に盛った料理を運び、葡萄酒、コーラ、ジュース、等を運んで振る舞います。元の住居に帰ってきて掃除し、料理をつくる家もあるようですし、村に未だ住んでいる親族と共同で作ったものを、分けてもらって同じ物を自分の家に回ってきた人々に振る舞う家もあるようでした。魚屋さんは商売柄、豪勢な魚料理をたくさん用意していて、親族の若い夫婦は自分の家の前でこの同じ魚料理、例えば、ガリシア風オリーブ油をタップリ使った蛸のジャガイモ料理などを分けてもらって振る舞ったりしていました。親族の子ども達はこの共通の親族のいずれの家でもお客さんのサービスのお手伝いしていましたので、どれが親族関係かは大体分かりました。
どの家の人も、縁もゆかりもない私たちに対して全く既知の地域の人間であるかのように挨拶してくれ、振る舞ってくれました。ややあって踊りが始まり、2/3曲がすむと、それが合図であるかのように次の家に回ります。こうして18軒回るのですから、振る舞いは3時間近く続き、酔う人も出てきますし、みんなご機嫌になって、最後の家のケーキとコーヒーの振る舞いが終わると、今は閉鎖になった村の小学校にパブの用意がしてあって、そこで解散、好きなだけ歓談しなさいとなりました。遠くから来た勤め人はここでみんなとお別れの挨拶をしあい、帰っていきました。教会のない村はないと同時にパブのない村はない、といってもよいのですが、生憎と過疎でパブの店はありません。週末になると、廃校になった小学校を再利用して、臨時にこのパブが開かれ、残った村人が自前でこのパブを運営して集まるのだそうです。因みに、この祭りを組織する人は、各家持ち回りなのかと聞いてみましたら、そんなことはない、ボランティアでやるのだと言うことでした。ここでも日本の村との違いを感じます。ボランティアと事実上有力者が重なっていることを感じますが、合唱団などのアソシエーションなども完全ボランティア主義というか、毎週出ていかなければならないいろいろな教会で依頼されるミサの合唱など、そのための練習と拘束時間など大変ですが、合唱団員であることと、こうした義務は何の関係もないし、何の見返りもないということは驚くことの一つです。同時にこうした市民活動が行われるための必要不可欠な経費が、地元貯蓄銀行や市役所によって支えられていることも、日本の我々が発想できる範囲を超えていることでした。
こうした各戸を回る祭りの仕方をしている村は、カスティーリャ・イ・レオンでは珍しいそうです。どこでも同じ形式の祭りをやっているわけではないようですが、しかし、スペインの人は自分の民族的性格を村人の共同社会の人間を原形にしたようなものと考えているらしいことは明らかで、親族と村の関係をしくじっては生活が出来なかった戦前の日本の「村落社会」と非常に似たところがあると思いました。それぞれの社会は結局みんなで支え合って行く仕組みとその道徳を核に成り立っていると思いますが、現代化の状況の中で、それに適合的な社会と・文化を絶えず私たちは創造していかなければならないと思います。伝統はその時重要な要素として作り替えられていくでしょう。変にナショナリストになったり、頑固に保守になったり、無政府的主義的になったり、消費市場主義的、快楽主義的になったりしないで、思いやりの深い社会と道徳を維持したいものと思うのです。これは誰かに任せておけるほど容易なことではないですね。

村上龍JpanMailMedia 「民間に任せてよい事業とは?」について

Sbunaka2005-08-09

最近、インターネットの普及に伴い、個々の非常に優れた諸個人やその集合体が、社会的なコミュニケーション過程を活性化するようなホームページを運営するヴォランティア活動を行っていて、多くの人に刺激を与えてくれています。そうしたものに接することが出来るたびに、世の中には偉い人が随分たくさんいるものだ、と感心してしまいます。その中の一人、村上龍さんの編集する雑誌Japan Mail Media (http://ryumurakami.jmm.co.jp)は、私たちの今考えたい問題について、龍さんが質問を設定し、どなたかが解答を寄せて、龍さんがそれを編集して紹介する労を執るというもので、この質問に自分はどう答えることが出来るか、どこが分からないか、ということを検討させていただく絶好の勉強の場の一つとなっています。例えば、次のような質問について勉強させてもらいましたので、私の学習を紹介させて下さい。この文章は上記雑誌のQ:622を皆さんも読んで下さることを前提とします。
村上龍 Q:622
 民間にできることは民間に、というのは現政府のキャッチフレーズの1つですが、 民間にまかせてもいい事業と、そうではない事業をどうやって判別したらいいので しょうか。

 回答者のお一人、真壁昭夫さんは、 この質問に関する合理性の基準を、経営体の「経済合理性」にのみおいて論じているようです。問題はこの経営体の所有形態の変更についての合理性を質問しているのであって、この「合理化」は企業の経営としての合理化の問題にとどまるものではないでしょう。真壁氏も公的分野として経営体に「反対給付がない場合」を想定出来る、としてこうした分野は市場原理による淘汰などの経営体の「効率化」の原理に任すのは適当ではない、とは言っています。
自民党をぶっ壊す」という派手なことをいってみせる政治家もいるように、保守派も革新派も、なぜ政治家は絶えず「改革」を口にするのか?その一つの決定的に大きな動機付けは、特に「民営化」とか「国有化」というような所有権の改革=「構造改革」のような「改革」、情報や労働力やインフラを含む生産力体系の配置変更を目指す改革には、様々な人に大きな利権と犠牲が生ずるのであり、従って、「改革」の過程には政治家にとっての「権力資源の産出」、つまり、「このようにするならば、あるいは、しなければ、」「貴方にはこうしてやるが、貴方にはこうしてやらないぞ、」と言う大きな影響力を体系的に手に入れることが出来るからでしょう。こうして、その「改革」を提唱して権力を握る立場の政治家は、その他の様々な「政治的公約」・「様々なその政治基盤」への「公約、密約」を実現できることになります。国民は郵政事業の問題の大きさよりは、「小泉政権の政策全体が、これによって何を実行しようとしているかの方に注目し、「しらける」場合もあるのではないでしょうか? 公約の焦点にあるyu郵政問題に対して国民は余り関心を持っていない、といわれているようですが、国民の多くの部分は、 或いはむしろ、郵政改革問題を、自民党内部の利権構造の問題として注目するだけなのかもしれません。郵政の基金を農業地域の公共事業にばらまくとか、集票装置としての郵便局とある派閥との関係を解体するとかいうことは、なるほど非常に大きな政治変動を期待させますし、それが小泉氏に対する国民の人気の理由であることはよく理解できます。しかし、郵政の問題はそうした派閥構造の改革の問題だけでは済まない重要な問題を含んでいます。この重要な膨大な基金を一体どのような目的に転用しようとしているのだろうか?という政策の中心問題をなす議論が殆どされていないように思えます。 「改革」は、社会的な議論としては、単に経営体の合理的運営という問題に限定されるのがしばしばですが、その結果の影響するところは、そのような小さな問題にとどまらないのが普通です。例えば、利用者である国民、顧客の立場からは民営化や国営化は、どんな影響を持つのでしょう? 国民が持つ政策目標、社会的福祉の総体としての増大にこの「改革」はどのように関連しているのでしょうか? 政策体系の総体の中で、この構造改革の機能的効率を論じてみてくれる人が、私としては望まれます。「公有」の望ましい運営の問題というのも、もしかしたら、あるかもしれません。結局、郵便局制度は体制の中で今までどんな役割を持ってきていて、これを改革するのは有効なのかどうか、私の関心からは、真壁さんの議論には参考になるものは見あたりませんでした。

楽天証券山崎元さんは、所有が官であれ、民であれ「「1)インセンティブの設計、(2)ルール(特に罰則)の設定、(3) モニタリング(監視)、を現実的なものに作り、かつ進化させることにもっと関心を 注ぐべきです。官か民かということではなく、個々の人間が適切に仕事をするような 社会運営が大切です。」とのべておられます。これは経営組織論としてはもっともな論点の一つだと思います。但し、インセンティヴという場合、郵政制度を構成する個々の行為を、私的企業経営の目標・価値を達成するような行為を調達するインセンティブ体系によって構想するか、或いは社会システムの公的目標である国民福祉価値を達成する行為を調達するものとして構想するかは、まさに民間がよいか公がよいかの判断が分かれる重要問題のひとつに他なりません。2,3についても、ここで提出されている問題そのものを解答としているようなもので、私には問題に解答された気がいたしません。郵政制度は一体何を達成すべき目的としている制度なのでしょうか? 郵便や貯金のサービスを行って利潤を挙げることを目的とする経済制度、企業組織でしかないのでしょうか? 教育も警察・軍隊も、映画も音楽も,家庭も病院も、すべてがそうしたものである次元を持っています。或いはそうした次元を目的にするシステムにすることが出来るでしょう。そうしたものとして「合理的に」組織化することが可能です。それらを利潤を目的とする企業として意味づけ、コストーメリットの効率の基準でのみ「合理性」を考えるという発想は、国民の意思を集約していくシステムとしての政治の議論としては、余りにも貧しいものではないでしょうか?

津田栄さんの議論には、先ず次の指摘があります。
「官が今行っている事業は、民間でほとんど行える 事業かもしれませんが、市場における競争にさらしたとき、国民に不利益をもたらすものであるならば、民間にまかせられないと思います。」津田さんの前二者と異なる見地は、私的所有化privatizationという手法を「官」である方が適切な制度に適用しようとすることが尤もらしく思える理由は、「本来は、競争して 国民に利益を与える組織にしたいのですがそうはいかないため、効率性や責任の明確化など民間手法を導入し、民間から人材を採用して現状を大きく変えるしかありませ ん。」と指摘している点でしょう。 したがって、「公平性・公正性を基本として強制力を行使する公権力を背景とする事 業は、民間にまかせられないものといえます。それ以外の経済的側面の強い事業、た とえば道路公団社会保険庁、金融公庫をはじめとする独立行政法人特殊法人の行 う事業、諸官庁の調査や管理・監督、企画(の一部)などの主な業務などは、強制力 を伴う公権力を必要としていないため、サービスとコストの観点のもとに効率的に運 営できる民間にまかせてもいい事業といえましょう。」と言う抽象的意見には一定の留保つきでわからないわけではありません。公共性の高い事業については、例えば、インフラ整備事業について、購入は税金であると言う場合、国民がこれを監視して「日本の経済文化」である談合の余地をなくすことが望まれるわけですが、まさにこれこそが「改革」の名に値する「各論」の一つでしょう。こうした経済文化の改革は、「文化革命」を支持する国民の合意に基づく強い規制が働かなければならないところでしょうが、それはどんな政治改革を意味するでしょうか? それはprivatizationというようなことによって可能な「構造改革」問題なのでしょうか?

土居丈朗さんの議論になって、漸く政府の機能として、資源配分機能、所得
再分配機能、経済安定機能があり、これらと不可分な構造問題、「民主主義による意思決定と国家主権に基づく合法的な私有財産権の制限について言及」する問題が正面に出てきました。これらの機能の一般的説明の後に、
「 具体的に言えば、司法、外交、警察、消防、義務教育、最低限の福祉(所得再分配 も含む)といったナショナル・ミニマムに該当する事業の制度設計や運営の根幹部分 と、その財政運営は、政府が行う事業といえ、それ以外は、民間でもきちんとやれば できることといえます(ただし、現状での日本の民間の主体がきちんとできるかどう かは別次元の問題)。」非常に常識的ですが、常識とすべき指摘だと思います。しかし、郵政事業の問題は上記のどれに、どれほど関係するのでしょう? 国民生活には関係しないのでしょうか? 問題の分かり難さは、「最低限の福祉」と言う表現です。私は国家や政府の目標は、国民が社会を組織し意志決定機関を持ち、社会生活システムとして実際の社会を統合し機能させることだと考えます。それ以外に固有な機能はないでしょう。そのために有効な制度を持つべきだ、と考えます。そうした視点から、例えば、郵政事業のうちの重要な事業である郵便貯金社会保険を考えたいと思います。そうした視点からみると、私が今いるスペインのように、次ぎのような異なった価値視角から事業を位置づけている国もあり、柔軟で広い視角で検討する必要があるように思います。所有形態は、私的・公的のどちらでも可能でしょうが、子どもの教育であれ、老後のためであれ、国民が生活のために日々の消費・生活資金のうち遊休させている部分、タンスを通過して滞留している部分を、人はあり得る経済変動にもかかわらず最も安全だと考えられる国家ないし私的な企業の預金制度に預けてきました。日本では郵便局を末端とする国家機関が行ってきましたし、信頼される大銀行は有利にこの事業を行ってきました。何らかの「公的な保障」があると人が考える金融機関への預金を取り扱う機関は、私が現在いるスペインでは、営利事業をおこなうのでなく、地方のパブリックな非営利事業を担当する機関として、文化・福祉事業を行わなければならない。そうした事業をむしろ主目的とし、そのための経済事業団体として活動しなければならない、と制度化されています。貯金とその資金の運用の目的は、全く公的なものです。今まで官が運営する郵便貯金による膨大な公的基金は、私企業の活動を補助したり、国家の財政政策に利用されているという意味では、国民の意思決定機関の承認の元で運営されてきました。目的が公的であることが必要とされていたわけです。privatizationというのは所有形態を私的所有にして、その基金を公的な性格から解放することでしょう。預貯金という社会的資金の大量な流れを国民の意思決定過程から解放しようとする「改革」は、「民活」の一つのあり方でしょう。私的目的にそれを利用しようとするとい今まで公的な所有形態をとっていた大量の貨幣量を私的目的に自由に資本として利用できるようにすることを意味するのではないでしょうか? これは非常に大きな利権構造の変動を意味するでしょう。確かに、現状の派閥の利権を奪うことになるかもしれませんが、これを本当に国民は望んで、小泉政権を支持しているのでしょうか? 郵便局との結びつきを基盤とする古い体質の自民党派閥を解体することには、国民の支持は集まるかもしれませんが、この膨大な資金の流れは適切な公的目的に使われることまでも手放そうとするのでしょうか? 私たちの生活の収入とその消費のために循環しているこの膨大な貨幣量の利用については、いろいろなことが工夫されえますが、その手段を全く放棄してよいものでしょうか? 例えば、この預貯金事業については、地域社会の信用公庫の事業とし、地方自治体議会の意志決定に基づき、その事業を行うことが出来るとしたら、どんな「構造改革」になるでしょうか? 私は政治家ではないので、そんな構造改革がどんな血みどろな紛争を巻き起こすかなどはここでは考慮していません。それだけ夢想家の議論と呼ばれるかもしれませんが、ここでは理論的な想定としてお付き合い下さい。
 例えば、私の住むサラマンカ市は毎年夏になると、さまざまな文化行事を催しています。都市にある公的広場、公園、教会、大學、街角の広場など野外で、毎日のように音楽会や演劇、サーカス、子どもの遊技場などが催され、大半が無料、どんなに有名な人気歌手のコンサートのようなものでも上限が12ユーロ(1500円程度)で、せいぜい5〜9ユーロです。こんな事が何故可能なのか、不思議に思えますが、資金は上記の市民の貯金をになう金融機関や、大変豊かな財源を持ち活発な投資活動なども行っているカトリック団体、地方自治体政府が供給していると思います。特に、預貯金を扱う地方信用金庫の主要目的は地域の文化活動の振興で、私的な利潤を目的とす事業を最終目的として行ってはならないので、地方信用金庫は福祉目的団体と定義してよく、こうした特定な公的目的を持ったものとして貯金担当機関が制度化されている国もあるのですから、「民活」による合理化という手法だけを、「制度改革」の問題とするのは視野が狭すぎるし、目的自体を検討しない議論だと思うのです。長年こうした事業を続けてきた結果、各地方自治体、地域社会に文化的なインフラが蓄積されていて、様々な文化活動がこうした無料ないし僅かな費用で施設を利用して活動することが出来ますし、日常的にボランティアで活動する文化集団がたくさん育っています。
 国民が投票者=公的意志決定者のアトムをなしていることを自覚してこうした問題の解答を考えてみるとき、私たちは、私たちの意志を代表して、公的な意志に統合・吸収できる政党を支持しなければならないでしょう。政党に私たちの願いを理解させ、公的意志にそれを統合する政治システムのリーダーシップを発揮させなければなりません。その意味で、ここで私はもっと議論を広げたいと思います。何時までも、政治経済制度の視点からのみ問題を見るのでなく、文化的・社会的局面から、また様々な制度の関連からも「制度」問題を見ていきたいものだと思います。そうした諸制度、諸機関を国民の幸せの総体を増進する社会制度として、検討する目を持ちたいし、そうした視角から知識を体系化する諸科学の発達を期待したいものとも思います。 写真は、この夏、非常にたくさん行われた野外のジャズ演奏の催しの一つです。場所はサン・エステバン教会の正門前の広場です。勿論、無料です。こうした多くの催しは、観光資源としても大いに活用されていることはいうまでもありません。

原爆投下60周年にあたって。 スペインの報道

1945年8月5日の広島原爆投下の60周年に当たる日を迎えて、スペイン・ジャーナリズムもかなり大きな取り扱いをして、金曜日夜は、ヒロシマでの被害者を証人として語らせる2時間近いドキュウメンタリ映画「ヒロシマ」がテレビ放送されましたし、代表的新聞はヒロシマの原爆投下記念日について1面で取り扱いました。
ここでは世界各地で売られているアメリカの新聞 Heraldo Tribuneの記事を紹介しましょう。60周年にあたり、日本人も世界の人々もこの一時、原爆投下を思い出すのだが、日本の近隣の国々が日本の軍国主義の過去をなんとか忘れようとしているのに、日本人は原爆投下の博物館を見て、その過去の日本人の被害を忘れることが出来ないようだ、と皮肉っぽくこの報告をはじめています。この記事は、日本人が原爆の犠牲になったという思いが、他国の人々に対するその戦争責任を受け入れることの拒否につながっているのではないかという学者もいるとして、その観点から報告をしています。「ヒロシマの戦争中の役割は、軍の司令部のあったところで、日本軍の残虐行為についても記憶を喚起するに相応しいところだが、それについては原爆記念館は何一つ記憶を喚起するものを持たない」、と指摘しています。私は、15年ほど前のことになりますが、毎年「原爆の日」の儀式などに参加し、原爆への批判を強く主張するヒロシマ出身の青年を含む中国地方の若者達と話をしたときに、かねてから気になっていたので、「日本国憲法の改訂、戦後の政治制度、経済制度、土地所有などを含む諸改革を占領軍による押しつけとくり返し批判し、敗戦以前の諸制度を日本の「伝統」として賛美してきた人々も、原爆の非人間的結果については強く抗議し、原子爆弾を使用することに反対する運動に参加し、毎年平和運動が主催する行事に参加することは出来るが、もう一つの平和活動、日本のかつての侵略行為・残虐行為についての記録と恒久的保存・展示、教育などは、逸脱的な平和活動として拒否しがちで、その面からの平和運動に参加することは非常に難しいようだが、それでよいだろうか?」と疑問を呈したことがあります。この問題提起は、日本の平和運動にケチをつける者として、酷く反発されたことを思い出します。私は正直に言ってこれらの若者達の態度に接し、背筋に寒気を覚え、やがてこの若者達に私のような人間は告発され、投獄される日が再び来るかもしれない、等と馬鹿げたことを思ったことでした。この新聞の批判は原爆投下の責任者アメリカ人の側からの反発と一笑に付することは私には難しく思えるのですが、どうでしょうか?この記事は、被害者の1人として語り部を勤めてきた方が、被害者の団体の1人として、中国にそれを語りに行ったときの体験を伝えています。原爆は如何に非人間的なものか、多くの市民が如何に一瞬のもとに虐殺されたか、1時間の予定で語ることを準備していたのだが、中国での日本の軍隊の市民虐殺の記録を見て、その反省を抜きにして日本の戦争被害のみを語ることが出来ないことを悟り、日本側はその話を10分に切りつめることにした、と言う話を紹介し、以後、この婦人は日本の戦争犯罪の公的な認知と反省の表明抜きに、原爆戦争反対の意見表明は出来ないと思っている、と語っていることを紹介していました。
このような記事は、最近の日本を代表する政府と支配政党の、日本のかつての軍国主義的侵略行為に伴う残虐行為の否定と過去の戦争の肯定に対する、世界の一つの意見、決して特異ではない見解を代表するものとして知っておく必要があるでしょう。ヒロシマの日本人の記憶の意義について、こうした皮肉っぽい記事が出るという変化は、我々日本人自身の態度変化によるものだということも、しっかりと認識しておきたいところです。

「9条の会」に賛同します。

今日初めて「9条の会」というものがあることを知りました。私同様、うっかりと未だ知らなかった人がいれば、ホームページ「9条の会オフィシャルサイト」があるので、詳しくはそれを参照してください。検索しにくかったら、呼びかけ人の「大江健三郎」や「加藤周一」を検索して見ると辿り着くことが出来ます。私がこのホームページで拙い文章を書いてきた意図の一つには、今、日本が、かつてない本当の危機に陥っているという想いがあり、早く多くの人に気がついてもらいたい、そして個人として極めて微力であっても、同じ思いを周辺の人と語りあいたいという願いがあってのことでもあるのです。しかし、正直に言って、私の内部にどこか絶望的な想いも漂っていて、筆も湿りがちであったことも確かです。今、日本に、我々国民の平和な生活を護る思想と行動をまとめ上げ、結集力を持つ政治勢力、そうした立場を代表する政党はあるのだろうか? 私には残念ながら思いつくことは出来ません。例えば、現在の民主党は、自民党と交替しても、この危機を押し進めはすれ、国際社会の中で日本の国民の立場を護る明確な志向をもたないし、知恵も持たないように私にはみえます。 人を感動させる文章も、確信させる確証を手際よく要約する文章も書ける才はありませんが、止むに止まない気持ちは強いということだけで、幾つかの文章をここに書いてきました。しかし、もしかすると、私の議論は、日本の多くの人には例外的な少数者の、国籍不明な根無し草の議論でしかあり得ないように見えているのかもしれない、と弱気になったりします。このまま日本は「大国」に依存して方針を持ち得ないまま「2番目」の位置にあるという錯覚にしがみつき翻弄され、憲法を改正し、中東戦争に参加し、大国の東アジア防衛戦の最前衛の役割をとり、その過程の中で「国際社会に於ける戦争責任」を放棄して右翼化する日本は、国際的孤立を深化していくのかもしれません。やがて、依存する大国が、東アジアにおける自国の権益を優先する方針を立て直すに連れ、大国の観点からして東アジアのトラブルメイカーになると判断して、「梯子」をはずす時期が必ずくる、少なくも、ブッシュ政権の方針を変更する可能性は、アメリカ社会の制度の中に未だ残されているだろう、その時、日本は世界の中の自己の位置を見失っていたことに漸く気づくのではないか? こんな絶望観をどこかに感ぜざるを得ない気持ちが、私の中に克服しにくい形で発生しています。 
 しかし、最近私は、そうした想いを少なくも共通にしている人たちが居ることが「9条の会」の立ち上げによって起こった現象から知ることが出来ました。 「9条の会」が立ち上げられると、各地で待っていましたと呼応する声、この立ち上げ人に感謝する声が相次いでいることを知りました。今のところ知識人だけの賛同者が目立ちますが、知識人だけに終わらせず、多くの若者や生活者が参加していければ、目に見えないが、支持できる政党がないと長いこといわれてきた現状において、多少ともそれに替わるものとして機能するものをもてるのではないかと期待がふくらみます。私のような右翼化を阻止したい人たちの声をも代表し、国際社会の一員として、様々な提案をくみ上げて「骨太」の国民生活の福祉を目的関数にする政策体系を方向付けるように機能する社会的コミュニケーションシステムを復活させることが可能なのではないかと、大きな期待を持ちたくなります。
 ご存じのように、今世界で流行しているものの一つに「腕輪」があります。スペインでもアッという間の燎原の火のように、子ども達や若者の手首に、価格的には100円もしない色つきのヒモのようなものが巻かれるようになりました。たとえば、「世界から貧困をなくそう」という趣旨に賛同することを示す白い輪を多くの人がつけていることは、情報に素早い日本の若者は誰でも知って居るに違いない、と私は想像しています。「9条の会」に賛同し「世界から戦争をなくそう」、そうした世界世論の8割が示している想いを、戦争を起こす「大国」や、「地域戦争」をしている関係各国に国際社会機構を通して強制し、統制していく方向に参加しようという意志を、例えば、「9条の会」の運動として、日本の色、「紺」の細い布を巻いて、示してみたらどうでしょう。日本中の国民がこの「紺」の腕輪を巻いて歩く風景というのは、想像しただけでも楽しいことではないでしょうか?「9条の会に賛同します。」という意志を示すことは非常に大きな政治的効果を期待できます。「戦争をなくそう」「戦後憲法を守ろう」という運動は、今日、かつてのような、単に日本の自民党の保守政治に対する社会党共産党などの「革新」政治の対抗というような運動の意味を超えてしまって、もっと日本の社会体制全般の将来を構想していく問題になっていると私は思っています。いつの間にか質的に全く新しい状況の中にある国際社会の中で、日本はどう生きていくのかを構想し、ニホン社会体制の政策体系を立て直していかなければならない、そうした問題の核心の一つに、現代、戦争を独善的に行う戦争大国の利害行為をどう統制するか、文字通り国家・国民の存亡を賭けて争う現状に於かれている地域、民族間の紛争という「戦争」の問題に、日本がどのような立場をとっていくかがある、といえると思います。「9条を護る」という問題は、戦後の日本の革新政治を護るというような、それ自体が「つまらない」政治問題だ、と考えてはならない。簡単に、また「戦後革新派の残党の世迷い言」「蒸し返し」などと反応してはならないでしょう。共産主義か資本主義かというような問題があって、自由主義・民主主義を護り、権威主義共産主義テロリズムを武力や警察力を持ってでも打倒しなければならないなどと現代の問題の焦点を設定する人もいるでしょうが、あたかもそうした問題の図柄が根本的だと思っているのは、現代では、ある種の極右政治家の幻想を共有する方だとわたくしはおもいます。少なくもそうした「分かり易い」単純な問題の建て方を私は共有するものではありません。
 「9条の会」の提案者の意図も、私には同じような危機感からのもののように思えます。グローバリゼーションという新たな世界環境のなかで、現代日本の社会システムが、長い戦後の経過の中で改善を怠ってきた結果、経済・教育・外交・社会福祉の構造的腐敗と機能連関障害を起し、システムの全体的危機にあるにもかかわらず、社会の諸社会層が、問題解決のディスカッションを熾烈に行い、建設的で効果的な社会的合意に到り、それを執行していくという政治システムが崩壊してしまったということこそが、今の日本の危機なのではないでしょうか?
 「9条の会」の趣旨は、健全な社会的コミュニケーション過程をみんなで再建しようよ、と呼びかけているものだと思います。私はこの「はてな」の日記を、「勝手に」この会に賛同するものという立場から続けていくことを宣言したいと思います。
 次の文章を改めて見てください。現代世界で、これほど新鮮で、多くの世界の人々に共感と感動を呼ぶ新鮮な文章はないのではないでしょうか? これを日本国憲法だけではなく、世界議会が採択する「世界憲法」の「9条」にできるまで、人間の歴史はきっと頑張り続けることになるでしょう。

日本国憲法

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」