原爆投下60周年にあたって。 スペインの報道

1945年8月5日の広島原爆投下の60周年に当たる日を迎えて、スペイン・ジャーナリズムもかなり大きな取り扱いをして、金曜日夜は、ヒロシマでの被害者を証人として語らせる2時間近いドキュウメンタリ映画「ヒロシマ」がテレビ放送されましたし、代表的新聞はヒロシマの原爆投下記念日について1面で取り扱いました。
ここでは世界各地で売られているアメリカの新聞 Heraldo Tribuneの記事を紹介しましょう。60周年にあたり、日本人も世界の人々もこの一時、原爆投下を思い出すのだが、日本の近隣の国々が日本の軍国主義の過去をなんとか忘れようとしているのに、日本人は原爆投下の博物館を見て、その過去の日本人の被害を忘れることが出来ないようだ、と皮肉っぽくこの報告をはじめています。この記事は、日本人が原爆の犠牲になったという思いが、他国の人々に対するその戦争責任を受け入れることの拒否につながっているのではないかという学者もいるとして、その観点から報告をしています。「ヒロシマの戦争中の役割は、軍の司令部のあったところで、日本軍の残虐行為についても記憶を喚起するに相応しいところだが、それについては原爆記念館は何一つ記憶を喚起するものを持たない」、と指摘しています。私は、15年ほど前のことになりますが、毎年「原爆の日」の儀式などに参加し、原爆への批判を強く主張するヒロシマ出身の青年を含む中国地方の若者達と話をしたときに、かねてから気になっていたので、「日本国憲法の改訂、戦後の政治制度、経済制度、土地所有などを含む諸改革を占領軍による押しつけとくり返し批判し、敗戦以前の諸制度を日本の「伝統」として賛美してきた人々も、原爆の非人間的結果については強く抗議し、原子爆弾を使用することに反対する運動に参加し、毎年平和運動が主催する行事に参加することは出来るが、もう一つの平和活動、日本のかつての侵略行為・残虐行為についての記録と恒久的保存・展示、教育などは、逸脱的な平和活動として拒否しがちで、その面からの平和運動に参加することは非常に難しいようだが、それでよいだろうか?」と疑問を呈したことがあります。この問題提起は、日本の平和運動にケチをつける者として、酷く反発されたことを思い出します。私は正直に言ってこれらの若者達の態度に接し、背筋に寒気を覚え、やがてこの若者達に私のような人間は告発され、投獄される日が再び来るかもしれない、等と馬鹿げたことを思ったことでした。この新聞の批判は原爆投下の責任者アメリカ人の側からの反発と一笑に付することは私には難しく思えるのですが、どうでしょうか?この記事は、被害者の1人として語り部を勤めてきた方が、被害者の団体の1人として、中国にそれを語りに行ったときの体験を伝えています。原爆は如何に非人間的なものか、多くの市民が如何に一瞬のもとに虐殺されたか、1時間の予定で語ることを準備していたのだが、中国での日本の軍隊の市民虐殺の記録を見て、その反省を抜きにして日本の戦争被害のみを語ることが出来ないことを悟り、日本側はその話を10分に切りつめることにした、と言う話を紹介し、以後、この婦人は日本の戦争犯罪の公的な認知と反省の表明抜きに、原爆戦争反対の意見表明は出来ないと思っている、と語っていることを紹介していました。
このような記事は、最近の日本を代表する政府と支配政党の、日本のかつての軍国主義的侵略行為に伴う残虐行為の否定と過去の戦争の肯定に対する、世界の一つの意見、決して特異ではない見解を代表するものとして知っておく必要があるでしょう。ヒロシマの日本人の記憶の意義について、こうした皮肉っぽい記事が出るという変化は、我々日本人自身の態度変化によるものだということも、しっかりと認識しておきたいところです。