村上龍JpanMailMedia 「民間に任せてよい事業とは?」について

Sbunaka2005-08-09

最近、インターネットの普及に伴い、個々の非常に優れた諸個人やその集合体が、社会的なコミュニケーション過程を活性化するようなホームページを運営するヴォランティア活動を行っていて、多くの人に刺激を与えてくれています。そうしたものに接することが出来るたびに、世の中には偉い人が随分たくさんいるものだ、と感心してしまいます。その中の一人、村上龍さんの編集する雑誌Japan Mail Media (http://ryumurakami.jmm.co.jp)は、私たちの今考えたい問題について、龍さんが質問を設定し、どなたかが解答を寄せて、龍さんがそれを編集して紹介する労を執るというもので、この質問に自分はどう答えることが出来るか、どこが分からないか、ということを検討させていただく絶好の勉強の場の一つとなっています。例えば、次のような質問について勉強させてもらいましたので、私の学習を紹介させて下さい。この文章は上記雑誌のQ:622を皆さんも読んで下さることを前提とします。
村上龍 Q:622
 民間にできることは民間に、というのは現政府のキャッチフレーズの1つですが、 民間にまかせてもいい事業と、そうではない事業をどうやって判別したらいいので しょうか。

 回答者のお一人、真壁昭夫さんは、 この質問に関する合理性の基準を、経営体の「経済合理性」にのみおいて論じているようです。問題はこの経営体の所有形態の変更についての合理性を質問しているのであって、この「合理化」は企業の経営としての合理化の問題にとどまるものではないでしょう。真壁氏も公的分野として経営体に「反対給付がない場合」を想定出来る、としてこうした分野は市場原理による淘汰などの経営体の「効率化」の原理に任すのは適当ではない、とは言っています。
自民党をぶっ壊す」という派手なことをいってみせる政治家もいるように、保守派も革新派も、なぜ政治家は絶えず「改革」を口にするのか?その一つの決定的に大きな動機付けは、特に「民営化」とか「国有化」というような所有権の改革=「構造改革」のような「改革」、情報や労働力やインフラを含む生産力体系の配置変更を目指す改革には、様々な人に大きな利権と犠牲が生ずるのであり、従って、「改革」の過程には政治家にとっての「権力資源の産出」、つまり、「このようにするならば、あるいは、しなければ、」「貴方にはこうしてやるが、貴方にはこうしてやらないぞ、」と言う大きな影響力を体系的に手に入れることが出来るからでしょう。こうして、その「改革」を提唱して権力を握る立場の政治家は、その他の様々な「政治的公約」・「様々なその政治基盤」への「公約、密約」を実現できることになります。国民は郵政事業の問題の大きさよりは、「小泉政権の政策全体が、これによって何を実行しようとしているかの方に注目し、「しらける」場合もあるのではないでしょうか? 公約の焦点にあるyu郵政問題に対して国民は余り関心を持っていない、といわれているようですが、国民の多くの部分は、 或いはむしろ、郵政改革問題を、自民党内部の利権構造の問題として注目するだけなのかもしれません。郵政の基金を農業地域の公共事業にばらまくとか、集票装置としての郵便局とある派閥との関係を解体するとかいうことは、なるほど非常に大きな政治変動を期待させますし、それが小泉氏に対する国民の人気の理由であることはよく理解できます。しかし、郵政の問題はそうした派閥構造の改革の問題だけでは済まない重要な問題を含んでいます。この重要な膨大な基金を一体どのような目的に転用しようとしているのだろうか?という政策の中心問題をなす議論が殆どされていないように思えます。 「改革」は、社会的な議論としては、単に経営体の合理的運営という問題に限定されるのがしばしばですが、その結果の影響するところは、そのような小さな問題にとどまらないのが普通です。例えば、利用者である国民、顧客の立場からは民営化や国営化は、どんな影響を持つのでしょう? 国民が持つ政策目標、社会的福祉の総体としての増大にこの「改革」はどのように関連しているのでしょうか? 政策体系の総体の中で、この構造改革の機能的効率を論じてみてくれる人が、私としては望まれます。「公有」の望ましい運営の問題というのも、もしかしたら、あるかもしれません。結局、郵便局制度は体制の中で今までどんな役割を持ってきていて、これを改革するのは有効なのかどうか、私の関心からは、真壁さんの議論には参考になるものは見あたりませんでした。

楽天証券山崎元さんは、所有が官であれ、民であれ「「1)インセンティブの設計、(2)ルール(特に罰則)の設定、(3) モニタリング(監視)、を現実的なものに作り、かつ進化させることにもっと関心を 注ぐべきです。官か民かということではなく、個々の人間が適切に仕事をするような 社会運営が大切です。」とのべておられます。これは経営組織論としてはもっともな論点の一つだと思います。但し、インセンティヴという場合、郵政制度を構成する個々の行為を、私的企業経営の目標・価値を達成するような行為を調達するインセンティブ体系によって構想するか、或いは社会システムの公的目標である国民福祉価値を達成する行為を調達するものとして構想するかは、まさに民間がよいか公がよいかの判断が分かれる重要問題のひとつに他なりません。2,3についても、ここで提出されている問題そのものを解答としているようなもので、私には問題に解答された気がいたしません。郵政制度は一体何を達成すべき目的としている制度なのでしょうか? 郵便や貯金のサービスを行って利潤を挙げることを目的とする経済制度、企業組織でしかないのでしょうか? 教育も警察・軍隊も、映画も音楽も,家庭も病院も、すべてがそうしたものである次元を持っています。或いはそうした次元を目的にするシステムにすることが出来るでしょう。そうしたものとして「合理的に」組織化することが可能です。それらを利潤を目的とする企業として意味づけ、コストーメリットの効率の基準でのみ「合理性」を考えるという発想は、国民の意思を集約していくシステムとしての政治の議論としては、余りにも貧しいものではないでしょうか?

津田栄さんの議論には、先ず次の指摘があります。
「官が今行っている事業は、民間でほとんど行える 事業かもしれませんが、市場における競争にさらしたとき、国民に不利益をもたらすものであるならば、民間にまかせられないと思います。」津田さんの前二者と異なる見地は、私的所有化privatizationという手法を「官」である方が適切な制度に適用しようとすることが尤もらしく思える理由は、「本来は、競争して 国民に利益を与える組織にしたいのですがそうはいかないため、効率性や責任の明確化など民間手法を導入し、民間から人材を採用して現状を大きく変えるしかありませ ん。」と指摘している点でしょう。 したがって、「公平性・公正性を基本として強制力を行使する公権力を背景とする事 業は、民間にまかせられないものといえます。それ以外の経済的側面の強い事業、た とえば道路公団社会保険庁、金融公庫をはじめとする独立行政法人特殊法人の行 う事業、諸官庁の調査や管理・監督、企画(の一部)などの主な業務などは、強制力 を伴う公権力を必要としていないため、サービスとコストの観点のもとに効率的に運 営できる民間にまかせてもいい事業といえましょう。」と言う抽象的意見には一定の留保つきでわからないわけではありません。公共性の高い事業については、例えば、インフラ整備事業について、購入は税金であると言う場合、国民がこれを監視して「日本の経済文化」である談合の余地をなくすことが望まれるわけですが、まさにこれこそが「改革」の名に値する「各論」の一つでしょう。こうした経済文化の改革は、「文化革命」を支持する国民の合意に基づく強い規制が働かなければならないところでしょうが、それはどんな政治改革を意味するでしょうか? それはprivatizationというようなことによって可能な「構造改革」問題なのでしょうか?

土居丈朗さんの議論になって、漸く政府の機能として、資源配分機能、所得
再分配機能、経済安定機能があり、これらと不可分な構造問題、「民主主義による意思決定と国家主権に基づく合法的な私有財産権の制限について言及」する問題が正面に出てきました。これらの機能の一般的説明の後に、
「 具体的に言えば、司法、外交、警察、消防、義務教育、最低限の福祉(所得再分配 も含む)といったナショナル・ミニマムに該当する事業の制度設計や運営の根幹部分 と、その財政運営は、政府が行う事業といえ、それ以外は、民間でもきちんとやれば できることといえます(ただし、現状での日本の民間の主体がきちんとできるかどう かは別次元の問題)。」非常に常識的ですが、常識とすべき指摘だと思います。しかし、郵政事業の問題は上記のどれに、どれほど関係するのでしょう? 国民生活には関係しないのでしょうか? 問題の分かり難さは、「最低限の福祉」と言う表現です。私は国家や政府の目標は、国民が社会を組織し意志決定機関を持ち、社会生活システムとして実際の社会を統合し機能させることだと考えます。それ以外に固有な機能はないでしょう。そのために有効な制度を持つべきだ、と考えます。そうした視点から、例えば、郵政事業のうちの重要な事業である郵便貯金社会保険を考えたいと思います。そうした視点からみると、私が今いるスペインのように、次ぎのような異なった価値視角から事業を位置づけている国もあり、柔軟で広い視角で検討する必要があるように思います。所有形態は、私的・公的のどちらでも可能でしょうが、子どもの教育であれ、老後のためであれ、国民が生活のために日々の消費・生活資金のうち遊休させている部分、タンスを通過して滞留している部分を、人はあり得る経済変動にもかかわらず最も安全だと考えられる国家ないし私的な企業の預金制度に預けてきました。日本では郵便局を末端とする国家機関が行ってきましたし、信頼される大銀行は有利にこの事業を行ってきました。何らかの「公的な保障」があると人が考える金融機関への預金を取り扱う機関は、私が現在いるスペインでは、営利事業をおこなうのでなく、地方のパブリックな非営利事業を担当する機関として、文化・福祉事業を行わなければならない。そうした事業をむしろ主目的とし、そのための経済事業団体として活動しなければならない、と制度化されています。貯金とその資金の運用の目的は、全く公的なものです。今まで官が運営する郵便貯金による膨大な公的基金は、私企業の活動を補助したり、国家の財政政策に利用されているという意味では、国民の意思決定機関の承認の元で運営されてきました。目的が公的であることが必要とされていたわけです。privatizationというのは所有形態を私的所有にして、その基金を公的な性格から解放することでしょう。預貯金という社会的資金の大量な流れを国民の意思決定過程から解放しようとする「改革」は、「民活」の一つのあり方でしょう。私的目的にそれを利用しようとするとい今まで公的な所有形態をとっていた大量の貨幣量を私的目的に自由に資本として利用できるようにすることを意味するのではないでしょうか? これは非常に大きな利権構造の変動を意味するでしょう。確かに、現状の派閥の利権を奪うことになるかもしれませんが、これを本当に国民は望んで、小泉政権を支持しているのでしょうか? 郵便局との結びつきを基盤とする古い体質の自民党派閥を解体することには、国民の支持は集まるかもしれませんが、この膨大な資金の流れは適切な公的目的に使われることまでも手放そうとするのでしょうか? 私たちの生活の収入とその消費のために循環しているこの膨大な貨幣量の利用については、いろいろなことが工夫されえますが、その手段を全く放棄してよいものでしょうか? 例えば、この預貯金事業については、地域社会の信用公庫の事業とし、地方自治体議会の意志決定に基づき、その事業を行うことが出来るとしたら、どんな「構造改革」になるでしょうか? 私は政治家ではないので、そんな構造改革がどんな血みどろな紛争を巻き起こすかなどはここでは考慮していません。それだけ夢想家の議論と呼ばれるかもしれませんが、ここでは理論的な想定としてお付き合い下さい。
 例えば、私の住むサラマンカ市は毎年夏になると、さまざまな文化行事を催しています。都市にある公的広場、公園、教会、大學、街角の広場など野外で、毎日のように音楽会や演劇、サーカス、子どもの遊技場などが催され、大半が無料、どんなに有名な人気歌手のコンサートのようなものでも上限が12ユーロ(1500円程度)で、せいぜい5〜9ユーロです。こんな事が何故可能なのか、不思議に思えますが、資金は上記の市民の貯金をになう金融機関や、大変豊かな財源を持ち活発な投資活動なども行っているカトリック団体、地方自治体政府が供給していると思います。特に、預貯金を扱う地方信用金庫の主要目的は地域の文化活動の振興で、私的な利潤を目的とす事業を最終目的として行ってはならないので、地方信用金庫は福祉目的団体と定義してよく、こうした特定な公的目的を持ったものとして貯金担当機関が制度化されている国もあるのですから、「民活」による合理化という手法だけを、「制度改革」の問題とするのは視野が狭すぎるし、目的自体を検討しない議論だと思うのです。長年こうした事業を続けてきた結果、各地方自治体、地域社会に文化的なインフラが蓄積されていて、様々な文化活動がこうした無料ないし僅かな費用で施設を利用して活動することが出来ますし、日常的にボランティアで活動する文化集団がたくさん育っています。
 国民が投票者=公的意志決定者のアトムをなしていることを自覚してこうした問題の解答を考えてみるとき、私たちは、私たちの意志を代表して、公的な意志に統合・吸収できる政党を支持しなければならないでしょう。政党に私たちの願いを理解させ、公的意志にそれを統合する政治システムのリーダーシップを発揮させなければなりません。その意味で、ここで私はもっと議論を広げたいと思います。何時までも、政治経済制度の視点からのみ問題を見るのでなく、文化的・社会的局面から、また様々な制度の関連からも「制度」問題を見ていきたいものだと思います。そうした諸制度、諸機関を国民の幸せの総体を増進する社会制度として、検討する目を持ちたいし、そうした視角から知識を体系化する諸科学の発達を期待したいものとも思います。 写真は、この夏、非常にたくさん行われた野外のジャズ演奏の催しの一つです。場所はサン・エステバン教会の正門前の広場です。勿論、無料です。こうした多くの催しは、観光資源としても大いに活用されていることはいうまでもありません。