アイルランド通信 その2.上野格さんから

旧パーネルさん邸宅のサマースクール会

 上野様
楽しいmailありがとうございました。「H.C.パーネル」という人を記念するサマー・スクールに参加なさったとのこと、楽しい雰囲気が伝わってきて、イギリスでのこれに似た会合に参加した記憶がよみがえりました。 しかし、100年前のパーネルさんや植民地時代アイルランドナショナリズム運動について全く無知で、ちょっとした解説をしていただければ良かったのにと、残念なことでした。10年も続いて参加できる同好の士が集まる会合には、私は参加したことはありませんが、うんと若い頃、女房がまだ童話などを翻訳していた頃ですが、例の「ピーター・ラビット」の著者ベアトリックス・ポターの同好の士が世界から集まる「研究集会」に毎年出かけていたことがあり、そこで仲良しになったアメリカ人のお婆さんの家に、私も一月ほどお世話になったことがあります。ポターゆかりの場所を訪ねるツアーなど毎年あって、一つのテーマに徹底的にのめり込んで専門家もウンザリというほどの詳しい話しをする人たちの楽しい研究会があることを知りましたが、もしかしたら、そうした準学会・研究会の一つでしょうか? 労働者階級の昼飯は12時からですが、専門職、大學の教員や院生なども含めて、「知性や趣味のレベルの高い人たち」の昼食は2時−4時ぐらいで、時にお酒も入って、(スペインは、ゆっくりした昼食のあと、有名な昼寝の時間、5時頃から8時半頃まで密度の高い仕事の時間、終わってから人生を楽しむ時間が始まり、街が最も賑やかで人通りが多くなるのが夜8時半〜9時を過ぎてから、)学会など、夕方から夜の発表、パネル、ワーク・ショップなどの密度の濃さ、等、昔こうした時間配分を知らなかった頃の戸惑いを思い出しますが、余裕を持って楽しんでおられる様子がわかりました。
 私は、私の「文赤千兵衛の日記」というブロッグを時々書いていますが、もしご迷惑でなければ、こうしたメ−ルの文章を転載させていただけないでしょうか?署名はペンネームでも本名でもお好きなものを決めていただき、メールを署名入りで転載するという趣向です。実はこうした趣向のものは他の人にもあり、例えば、村上龍の編集した「雑誌」として毎日誰かが書いた紀行文、論文が一つ記載されて多くの人が読んだりしています。沢山の読者がつくというわけにはいきませんし、写真も枚数に制限がありますが、1枚だけはいつも載せることが出来ると思います。もし面白い寄稿者が増えれば、それだけ多くの人に喜ばれ、読んでもらうことが出来るでしょう。 勿論、ご自身のホームページをお持ちでしたら、そんなことをする必要はないでしょうが---。

文赤様

 早速のメールありがとうございました。毎朝例の変な広告メールを消しています。中に二つ三つ友達からのものがあって、うっかりすると一緒に消してしまうので、結構緊張して消します。そのせいか、一目でぱっと数行わかるようになった。現代に生きるための技術でしょうか。 転載していただけるとは名誉なことで、どうぞご自由にお使いください。

 パーネルHenry Charles Parnell(1846-1891)はアイルランドのプロテスタンド地主です。当時アイルランドは自前の議会を持たずウエストミンスターに議員を送るだけの選挙区に成り下がっていましたから、MPとして活躍し、グラッドストーンを手玉にとってアイルランド自治権(Home Rule)確立のために大奮闘しました。

今も各国の議会で行われる議事妨害filibusterは彼の率いるアイルランド党がウエストミンスターで行ったのがはじまりです。ちなみにこのアイルランド党は党員や支持者の拠出する会費?で運営する近代政党の始まりとされています。

 残念なことに、独身の彼は同志で同僚の議員の夫人と懇意になり、ブライトンに家を構えて同棲し、約十年の間に子供を3人もつくった。亭主がその間何も知らなかったとは考えられませんが、このラブ・アフェアが始まってから十年もたって、いきなり離婚訴訟を起こし、不義の相手としてパーネルの名を指名した。
 グラッドストーンは「驚愕」し、そんな不徳義漢と手を組んでいては政権が危うい、とアイルランド党からパーネルを追放しろと迫り、とうとうパーネルは失脚。そのすぐ後、亡くなりました。
 今年のパーネル・サマー・スクールでは、この女性の研究も発表されました。それによると、グラッドストーンはこの女性・キティーから手紙を貰い、会ってもいるらしい。しかし、彼は会ってもいなし、パーネルとのことなど何も知らなかったと言い張っていた。本当は、政治家が相手の弱点をうまく利用して、手ごわい相手を失脚させたのでしょう。

 いかにも表面だけ格好をつけるヴィクトリア時代の「えせ紳士淑女時代」を彷彿とさせる事件です。亭主が離婚訴訟をこれほどあとになってから起こしたのは、それまで妻に叔母の莫大な財産が遺贈されるという期待があったのに、結局だめになったからだといわれています。だから、亭主は今でもけちょんけちょんに馬鹿にされています。
 パーネルはダブリンの目抜き通りに大きな像になって立っており、お相手のキャサリン・オシェー、愛称「キティー」も愛されこそすれぜんぜん嫌われてはいません。キティーというパブまであって、それがまた絵葉書になって売られているほどです。
  日本では既に明治25年頃アイルランドの政治社会事情を紹介する本がでており、そこには、アイルランドには政治家がすくなく、せっかく実力のある政治家がでたのに、それが女に弱くて失敗した、とパーネルを紹介しています。これも、いかにも日本の政治家像。女がほしければ花柳界に行けば良いものを、なまじ素人女に手をだしたから失敗したのだ、という解釈。

 アイルランドで私はよくアイリッシュに、パーネル問題を質問します。大きな責任を負って仕事をしているのに、情におぼれて失敗したのは不注意ではないか、などと。男の返事には、そうだ・もっとしっかりすればよかったのに、とか、だから女には気をつけろ、などというのが多い。パーネルがもてたのを妬いている。女は違う。あれはプライベイトなことで問題にならない、と思っていたのだろう、とか、キティーへの愛情がそれほど大きかったのだ、とか。皆好意的。自分がキティになっている。

 面白いのはパーネルの離婚問題が騒ぎになった時の新聞。
これもレクチャーで言っていたのですが、街の殆どの人の意見が、「みんな間男をしているんだから、パーネルがやっていたってどうということはない」というものだった、と。まさかみんなではあるまい、というのが女性の奇妙な反論。
 だんだん話が落ちてきました。アイルランドにはParnell Societyという会があり、そこに集まる人をParnellite といいます。私もいまでは立派なParnelliteです。困ったことに、日本経済はどうなっているんだ、などと聞かれます。ぜんぜん知らない。そのたびに、統計要覧くらい持ってくれば良かったと後悔しています。

 今日は日曜日。図書館は休み。朝から散歩しようとしましたが、公園も10時にならないと開かない。午前中は皆ねているようです。

 ではまた。奥さんによろしく。

 上野 格