桜の植樹ー在世を感謝して

Sbunaka2006-04-28

 今日は私の定期健康検査の日です。地方中心都市まで2ヶ月に1度、主治医の検査を仰ぎに行き、持病の薬などをいただいてきます。今月の検査結果は余り望ましいものではなく、今まで自信を持っていた血圧が、いつの間にか、高血圧になっていて、薬を服用するようにといわれました。ここ3年近く生ハム・チーズなどの塩分の多い保存食を毎日食べていましたので、高血圧になったのかもしれません。新しいことを記憶することが大変難しくなっていて、その日に見た情報を昔から身につけている枠組みで処理することは、それなりに出来るように思いますが、それを記憶のファイルに収納して、随時検索することが非常に困難になってきていることを感じます。また、目的を達成するように計画して継続的に行い、或るプロジェクトを達成するまで行う、ということが、数年前までの生活時間の枠組みの中で行いにくくなっていることも明らかです。これは軽い認知症といって良いかもしれない、とも思ったりしています。とにかく、これからどう自立し、最後はどのような形であれ、そこまで自立しながらも朽ちていけるか、ということがそろそろ気になり始めてきた、というのが正直なところです。
さて、朝日新聞生活欄に「ミドル+」という中高年の生活に関する欄があることに気付きました。そこに既成の制度的宗教の信仰をもたなかったり、商業化された儀式によらず「自分らしく眠る」ことを考える多くの人による、ある形式の墓の記事がありました。それは、東京都町田市にある「桜葬墓地」と銘打たれたもので、桜の木を墓碑に、遺骨を土に埋め、自然に帰すというものでした。実は、最近、私は京都のある寺の五重塔の傍に、桜の若木を植える事業に賛同させてもらい、「在世を感謝して」と題して、寄付者の札をたてさせてもらうことになったばかりでしたので、この記事に目が留まったわけです。これまで既にこのお寺の桜植樹事業に賛同されたいろいろな方が、それぞれの思いを込めて、結婚記念等、おめでたいことを記念する植樹を行っておられます。私たちは、秘かに、私達がこの世に生きていることを感謝して、ハイキングコースの多い京都を楽しむことを兼ねて、時々この木を見に来るつもりで植樹をお願いしました。20万円の寄付は私どもにとって決してどうでも良い金額ではありませんが、それでも賛同させてもらったのは、死後、この桜が生長していってくれることは、「生命体」として生まれ朽ちていくことを信条として、死を考えている我々にとって相応しい記念樹となるだろうと考えてのことです。私たちは、そこに骨を埋めるということは考えていませんので、いわゆる墓というものではありませんが、誰も気付かない、私たちの生きていたことの記念樹が、ひっそりとどこかにあることは、悪い気持ちではありません。私のハンドルネームもそこに記しておきましたので、気付いてくれる「見知らぬ」人も或いはいるかもしれません。(写真は実際は12月に行われた植樹祭の1場面です。)