プラハ、ウイーン、ブタペストに行きました。

S氏撮影トルコの都市

S様
 写真を送って下さりありがとうございました。大晦日早朝に出発してチェコなどに旅をしてきましたので、写真のお礼が遅れました。「 S 写真集」というアルバムのホールダーを私のパソコン内に作りましたので、次の機会にもまた写真を送って下さい。(冒頭写真は、S氏撮影、トルコの都市風景)
 懐かしい風景を再び見させて戴いたものはエディンバラ、コッツウオルズ、ヴェニスでした。トルコは行ったことはありませんので、風土的にも始めての風景を見せて戴きました。スペインでも、地中海沿いの地域と内陸部や大西洋沿いの地域は、全く異なった、それぞれ非常に豊かな風土や奥の深い文化を持っていますので、トルコ、イタリア南部などには、ギリシャなどを含めて一度は是非行ってみたいものと願っています。アフリカ大陸の地中海寄りには、体力の自信がないのでやや腰が引けてしまいます。イタリアはローマから北しかいったことがありません。フィレンツェの友人の近くのホテルに1週間いたことを含めて、イタリアはイタリア語が出来るならば、住んでじっくり見てみたいところという強い印象をもちました。ヴェニスも美しい都市でしたね。
当地に来てスペイン国内の非常に安いツアーに参加して、4回ほど旅をしたことがありますが、「折角ヨーロッパにいるのだから1回ぐらい旅をして帰ろうよ」、ということで、滞在の終わりに衝動的に偶々買える商品を買ってプラハ、ウィーン、ブタペストを回ってきました。こんなことは年金生活者として何回も出来るものではありませんが、日本から来ることから考えれば、私たちにもなんとか可能な範囲のことでした。ヨーロッパでは通常よくある形式のツアーで、旅行会社が提供できる幾つかの地域を選択してまわるものです。旅の飛行機、汽車、バスの切符と駅までのお迎えとホテルまでの送迎、付いた先の土地の1日目の半日ガイド付きツアー、朝食付きホテル、というだけのもので、後は滞在日数に応じて自由行動時間が決まるというものです。ホテルのランクもこちらが選んで決めることが出来ます。行き先の自由行動時間には、お金さえあればレンタカーも良いし、勿論行き先でオプショナルなツアーを買うことも出来ますので、楽に観光が出来るでしょう。体力に自信のある方は、徒歩で細かく楽しめると言うことになって、懐と相談しながら、自分に適した旅を、同じツアー会社の商品を買う形で出来るというものです。私はもっぱら徒歩旅行を「得意」としています。オプションのツアーも、基本的にはスペインで買った商品ですから、スペイン語のガイドが用意されています。しかし、行き先で自分の好きな言語のガイドの方に代えることが出来ますから、これも大変便利でした。ツアーを売っている会社にもよりますが、ウィーンなどのように、日本語のガイドを提供できるところもあるようです。私がスペイン語会話に弱いので、一緒に行ったパートナーも英語の方に付き合ってくれて、プラハではユダヤ人街区の英語のツアーに参加しましたし、ウィーンでは個人的な友人とともに英語で街を歩き、プラハでは、その日のスペインからの半日ツアー参加者が我々2人ということもあって、スペイン語のガイドさんが、急遽英語混じりのスペイン語でガイドをしてくれました。プラハ、ブタペストを回って、少数民族ユダヤ人や、絶えず他国・多民族に占領されてきた歴史を持つ人々が、民族意識国民意識などのアイデンティティを失わずにきたことの証でもある歴史遺産を観光して、改めて人間の不思議さ・社会の不思議さ、己自身の不思議さを感じて帰りました。これら3国では、日本人観光者に対する犯罪の心配もしなくて済み、自由時間も殆ど周辺を気にせずに済みました。特にチェコハンガリーの街の人たちが親切で、世話を焼きたがる人も多く経験し、バス内でバスの降りる先を聞こうものなら、到着したときに注意してくれるボランティアが殺到するというような感じで教えてくれるのには、感謝すると同時に思わず笑ってしまいました。本当にこんな触れ合いは、忘れられない好感を、その国の人々に持たせるものですよね。この旅は雪が多く、耳まで帽子で覆っての旅でしたが、ハンガリーのガイドさんは、私達を、予定外のサービスで街の中の山に案内し、何もない原っぱに降ろして、「スペインからきた人には雪は珍しいだろう、(サラマンカでは雨も降らない)、雪合戦をしようか、雪だるまをつくらないか」というのですから、これも驚きました。おかげで2時間も勤務時間オーバーして、英語混じりの面倒くさいガイドをしてくれたのですから、本当に有り難く思いました。マドリッドでは親切にしてくれる人にはとりわけ用心しなければならないとされているのですが(勿論、その他の地域ではそんな心配は全く要らない!)、これらの国の都市ではそう言うことはないように思いました。ウィーンでは観光会社の職員の行動の周到な合理的な親切さ、優しさなどを感じ、全体のあらゆることの水準の高さ、洗練のされ方の高さを感じましたが、難点が一つありまして、それは物価が極めて高いということでした。全てはスペインの倍ほどではないかと思うくらいでした。例えば、極端な例を挙げますと、食料品専門の高級百貨店という感じの、おそらく世界的に有名な店だろうと思うのですが、そこのバーのおつまみ料理の小型伊勢エビの半身と葡萄酒の小瓶で30ユーロ(約4200円)という具合です。勿論、こんな所に入る人は所得上層の人だけでしょうが、会社勤めの立派な背広族の人たちで満員の人が入っているという風景は、ヨーロッパの何処の国でも見られるというものではないように思いました。 私たちが、間違ってしてしまった極めて例外的な体験でしたが、「それは美しくて、美味しかった」といわざるをえないものでした。高級レストランで、二人で軽い昼食に1万円弱を払うということは、或いは日本の皆さんには驚くにあたらないことと受けとられるのかもしれません。しかし、日常生活、特に食生活では一般的に、日本よりもかなり豊富でレベルの高い生活を、非常に安くしてきたスペインでの日常生活感覚から言うと、この久し振りの贅沢に、思わず悲鳴を上げました。
 旅から帰って、早速帰日のための荷造りを始めました。運賃の高さは、どんな送り方を工夫しても、結局かなり高くつきますから、土産物とか普段着や下着など、非常に高いものにつきますので出来るだけ重くならないようにしようとか、捨てようと思って荷造りを始めたのですが、これを捨てて日本で買い直すとどちらが安いだろうなどと思い始めると、だんだん捨てるものが少なくなって、結局、経済観念の乏しい私は、つまらないものまでもって帰る羽目になりそうです。そこでふと思ったのですが、特に食料費など思っただけでも憂鬱になる日本の物価の高さはなぜだろう、ということですが、農業・漁業、とりわけ牧畜業などが殆ど自立できない惨憺たる産業となっている現在、食料の大半に、この高い運賃が加算されていて、非常に高い肉・魚・乳製品を、ほんの僅かばかりずつ毎日の食卓に乗せているのだということではないのか、と思いました。高度成長以来、定着した流通の仕組みは、基本的には、たとえば、中国地方や九州地方の県の高原で生産した大根や、日本海で捕ってきた魚を、一度流通業者が大阪に運び、そこで卸したものをその同じ生産県の市場に運びなおして、その県の大都市市民の口に入ることになるとか言うような、国民の生活と言うことを目的にしてマクロに見れば、「不合理なシステム」が発達してきたのだと思います。無論、様々な流通コストの合理化という試みも行われているとは思います。こうした流通過程の媒介項の中に、工場で生産する半加工の食品産業が入り、マクドナルド方式とよばれたりするjust in timeの方式で小売業者に到達し、結局、その過程で何度も袋詰めされては詰め替えられ、大半は、結局消費者の目に触れるときは生鮮食品そのものの土の付いたものや、頭や尻尾の付いたものではなくて、加工され、袋に入った物になっているということで、大半の食料が小口の袋詰めになって店頭に並んでいることになります。ところがこうした事態は今や、ネギ、キュウリなどの類に到るまで大半の食料が世界の各地から特定の大都市の卸し市場に入ってきて消費者の手元に届くまでになっていると言うことになりますと、その運賃の「国民としての無駄遣い」は相当なものではないかと想像します。今や、世界から食料を買い集めているでしょうから、様々なものを日本で口にすることが出来ます。私の住居がある地方の郡部でさえ、ちょっと都市部に出れば、チーズも生ハムもオリーブ油も、通常の肉や魚も食べられないものは何もないと思うのですが、こうしたものは明日からは、今までのような日常的な感覚で消費することは基本的に諦めなければならいと覚悟を決めて帰ろうと思います。勿論、日本の伝統的な野菜中心の食材の生活に戻れば、私達にはそれなりに問題はありません。しかし、外国で生まれた子ども達が日本に帰ってくるときは、最初はどうなるだろうかと、すこしばかり気になります。(今年、私の2重国籍の孫達は、別なイベリア文化圏から日本に帰ってくることになっています。)その物価の高さ=そうしたものに大きな金を使える我々が「豊か」であることには疑いありませんが、それを誇っていいものやらどうやら、躊躇いを感じます。しかし、スペインもやがてこのままではそういう方向になっていくことは、現在進行している現象から見ても明らかでしょう。観光する外国人には素晴らしく見える都市中心部の自営業の廃業の進行は顕著になっています。都市の中の住民が活発に参加して行っている多様な文化活動も、やがて急速な郊外化が進行していく中で、徐々に消滅していき、大規模娯楽産業や、「遊んで楽しいだけの情報」産業にとって代わられるでしょう。この世界遺産とされる歴史的町並みに住む個々の人々は、自分の取るミクロな「合理的」行動としては、明らかに、そちらの方向を歓迎しているようにもみえます。
 写真をお見せできればよいのですが、私の方の容量不足でこの文中に挿入できません。折に触れて、許される1枚だけの写真を時々挿入させてもらうことにして、今日の所はお許し下さい。