仏・和蘭でヨーロッパ憲法国民投票にNO.

最近、円とユーロの為替は、2年前と比べると、円安方向への変化で安定している傾向が続き、スペインに在住して暮らしている日本人定年者にとってやや失望の毎日でありました。それがここ数日、1ユーロ130円を割るかの期待を抱かされる日が続いて、もう過度の期待を持ってはいけないから、130円を割ったらそれぞれの最大限の量だけユーロを買っておこうかということで身構えているのは、私だけではないようでした。こちらの日本の年金による定年生活者の間で、最近こうした話題に花が咲いたのですが、正直なところ、この円高への変化はいつまで、どこまで続くだろうかは私共にはよく分かりませんでした。当てずっぽうで、極めて短期的なものであるかもしれない、と私は思うことにして、130円になったら、3ヶ月分の生活費を一気に替えておこうかと心に決めています。多分そうは成らないでしょうが----。そこは旅行者の気軽さですが、日本の年金で当地に定着して定年後の生活を送っている人たちには、これはもっと真剣で深刻な問題です。
 私の当てずっぽうの理由は、ヨーロッパ憲法国民投票がフランス、オランダと続いてNOとなったことの経済への反応、図らずもヨーロッパ先進諸国がヨーロッパ憲法を持つことによって、より大国になっていく方向性は破綻したのかもしれないという不安気分が増えたのではないか、という反応として為替が変動しているのではないか、つまり、ヨーロッパ憲法否定の投票者が多数者となった政治システムは、ヨーロッパ社会統合に向かって不安定要素を助長していくことになるかもしれないと言う一般的不安によって、ヨーロッパ株式市場や為替取引筋が振れた結果ではないか、という理解です。もう一つの定年組の素人談義には、最近の日本経済の危機脱出が好感されているのではないか、というものでありました。つまり、円側の事情の反映と言うことです。円も同様に不安一杯でしたら、ユーロ不安だけで円高になるわけもないでしょうから、円側の安定条件も必要でしょう。しかし、為替相場には心理的要素がどの程度働くのか私は知らないが、もし主たる要因が後者なら、その事情が1週間程度ですぐ変動するわけではないから、円安はある程度安定するとも予想され、慌ててすぐユーロ買いに走る必要はない、ということになるでしょう。私の勘でいけば、円高になった主たる事情の変化は、このところのフランス、オランダのヨーロッパ憲法否定、シュレーダー政権の州議会選挙敗北ということによって生じた政情不安によると思うのですが、政権交代したわけでもないし、ヨーロッパ統合の方向が直ちに変動するわけではない。ナショナリストファシスト達の政党が大きな影響力を持ちつつあると言うことが実証されたわけですが、直ちに明日政権を運営することになるまでの大きな政治変動ではないということになると、投機筋の行動はごく一時的な投機市場独特の見通しによるもので、為替変動が不安定にぶれてユーロが不利になっていくことはあり得ない、と私は思ったのですが、さてどうなることでしょうか。 だから、円高といっても僅かな変動で、たいした得でもないということでもあるから、定年退職者ないしは主婦的節約感覚でいけば、ユーロを買いに走らなければならないが、稼いでいる人からすれば何と言うことは無いことでしょう。当面また円が高くなる機会は少ないだろうと、基本的には考えています。
しかし、そうした今日明日の実生活上の問題はさて置くとして、ヨーロッパ憲法が各国の国民投票で否定されていくとすると、これは私たちの将来にとっても、ただごとではない、と思います。素人の政治談義に移ると、此処スペインでは、ヨーロッパ憲法に基づいてヨーロッパ共同体の一員として行動しようと言うことは、現社会民主主義政権の選択する基本政策にとって揺るがすことの出来ない中心的アイデアになっています。従って、こうしたヨーロッパ憲法に関わる政治状況の変化は、スペイン現政権の政策の評価に直結して議論されることになりがちです。例えば、同性婚を結婚と認める「基本的人権」政策は家族制度の根幹を揺るがすから、間違っている。事実上使用して来た、また必要でもあった移民の追認と合法化の方向での登録手続は、国内の失業率を高め、犯罪など社会不安を高めていくものだから間違いだ、教育制度の重要な要素、道徳教育の基本方向を宗教教育から市民権教育へと改訂していこうという方向は、露骨な政治主義的偏向教育を押し進めるものだ、というような批判的議論は、現政権の指導的理念である「基本的人権」思想に関わる批判であり、主要な野党となった「国民党」PPの対抗的理念からの批判だといって良いでしょう。ヨーロッパ憲法問題は、スペイン社会主義党の基本理念問題でもあって、国際社会の今後の動向の観点からのみでなく、こうしたpolitical issueからみたスペイン社会の政治システムを理解する上でも、重要な論点には違いありません。
 そこで、慎重に勉強してからとも思うので余り気が進まないのですが、今まで此処で書いてきたこととも関連しますので、何も書かないのも無責任ですので、こちらの一つの動向を紹介しておきます。

日本でもおそらく大きな話題になっていることだろうと思いますが、フランス、及びオランダでヨーロッパ憲法案は、国民投票の結果、否認されました。
フランスでは54.68%がNO, 45.32%がYesでした。今日開票結果が分かったオランダの場合、63%の圧倒的Noが出ました。これについて当然いろいろな解釈が出ていますが、その内の一つを紹介しておきましょう。
以下は Herman Tetschというエル・パイスのコラムニストが書いている6月1日の論説です。見出しは
「ポプリズム(人員の利益を代表すると称する人民主義)、不安感と疲弊感。反体制勢力が多数を占めた時、体制のキャパシティは再検討されるべきだ。」です。
−フランス国会、ドイツ国会などにおいて、ヨ-ロッパ憲法は圧倒的多数によって承認されたが、国民投票にかけたフランス、オランダ、そしておそらく最近のドイツ社民党の伝統的基盤であるウェストファーレンでキリスト教民主党に負けたドイツにおいても、国民投票にかけた場合負けるだろうと予測されている。欧州共同体を押し進めてきた主要担い手の独仏が、反対にであったと言うことは、非常に重要な問題を孕んでいることの証明となった。これらの国では国民大衆と政治のエリートの間に大きなギャップが出来ていると言うことは明らかである。或いは、もっと正確に言えば、ギャップが出来たのは、ここでいうpopulist政治家にリードされて、国民が反体制的な動きを示し始めたと言うことで、此処でこの重要さに気づかなければ、気づかない人たちは政治的には死体になってしまうだろう。スペインでは左派と反体制anti-system派だけがnoを投票したが、左翼・右翼の両方からの利己的なナショナリズム、憎しみと恐怖を扇情的に操作した結果と見ることが出来る。ジャーナリズムが一致してこうしたことに対抗したりはしなかった。こうして「反体制勢力が多数を獲得した時には、体制のcapacityを検査すべきだ」。
ヨーロッパ政治エリートのイメージには、戦後長い間、ファシズムの台頭と第2次大戦の悲劇の記憶が染みこんでいた。しかし、最近の数十年の間に、ヨーロッパ政治家達はpopulismの恐怖を忘れがちになってきた。それどころか民主主義制度の内部からこうしたpopulismを妥当な武器として用いるようになってきており、特にメディア革命で急激に活発化してきている。あるマドリッド新聞はフランスについて、「ヨーロッパの病める人たち」と書いたが、それはフランスだけにとどまるものではない。独仏はこうした病を治すために心臓を開く外科手術を必要としているが、誰がこうしたことが出来るか、誰もできそうにはない。 選ばれた議会に於ける代表達がpopulistに踊る国民によって選ばれてきた場合、仮に、まともなことをしようとする政府に対して反対するだけでなく、民主主義自体に対して反対することになることにもなりうる。
 ヨーロッパ民主主義がヨーロッパ内部の中から腐食しつつあるのはまさにこうしたpopulismによってであって、それはもはや潜在的なおそれというものではなくなっている。ベルルスコーニやハイデルはその先駆者達であり、ル・ペンや反グローバリゼーション派は独自のスタイルを既に確立している。
 大体以上がその論旨ですが、ヨーロッパに於いて、これらの新しい顔を持った戦前からの流れをくむファシズム軍国主義の極右勢力の国会での勢力は、もはや例外的少数派とは言えない状況になっていることは周知の事実です。平和や福祉や人権などの民主主義システムは、まさにそうしたものを維持するという利害を代表する顔をしたリーダーによって、着実に破壊されて行きつつあるというようなことは、誰も考えたくないことですが、そうした動向を国民の多数者自身が創り出しつつあるとすれば、これほど絶望的なことはないのですが、私どもは絶望などしていられません。そういう危険について戦う人たちが、むしろ、多数を維持するよう踏ん張らなければ成りません。例えば、国益に反するような右翼政治家の路線を修正すべきだと思えたなら、誰もその首を取れないような状態の政治システムを、1人1人の個人、世論が声を挙げて修正すべきです。道はそれしかない。そうした努力無しに、誰かが、グローバリゼーションの津波から救ってくれるはずだ等と考えていては、非常に複雑化した要因のシステムを理解して、利口なせんたくをしていかなければならなくなったこの時代に、対応していくことは難しいでしょう。しんどくても自主自立の政府を持ち、自分の利害・主張だけを護ろうとする国家ではなく、協調的な国際社会システムを目指して、お互いに頑張っていきたいものです。