ヨーロッパ憲法批准の国民投票を迎えて その1

今スペインでは、ヨーロッパ憲法の批准の時期が迫っていて、憲法についての解説や議論、キャンペーンなどが毎日の新聞、テレビで行われています。勿論、国内政治問題にもこれが反映していて、まさにスペイン的なヨーロッパ憲法問題のあり方とも言えるかと思いますが、バスク独立の方向性を狙ったバスク自治州首相案というものが、スペイン国会に上程されてまもなく審議されることになっています。こうした時期に当たって、ここではこの問題の解説をしているJosep Borrel欧州議会議長へのインタビュー記事を中心に、記事をご紹介したいと思います。ヨーロッパ憲法にご関心のある方は、ちょっと時間を割いて読んでみてください。長くなりますので2回に分けてお伝えします。

 私はこのhatenaダイアリに、わたしたちが二度と戦争のような悲劇に参加しないですむように,単に「安全保障条約」というような力関係のバランスに基づく軍事協定、つまりいざというときに戦争を誰と組んで誰とするかという協定や、誰かと組んで、誰かを排除し、利害競争に有利な条件を作ろうという「自由貿易協定」のように、敵を想定して争うための国家間協定を結ぶ方向ではない別な路線、すなわち諸「国民社会」間連合を目指す方向をそろそろ真剣に議論しても良いのではないか、と述べたことがあります。確かに、この後者の路線は、「夢」であって、現実に存在していない、といえないこともありません。しかし、今世界に進行しつつある2つの世界路線の対抗する現実からみて、この「夢」はあながち単に空想的な問題提起ではないことは、確かだ、と私は考えるのです。少なくも、この夢は、ヨーロッパでは主流となっている「夢」であり、まもなく確実に、ヨーロッパ連合として名実共に部分的に結実するだろうと思われます。その「夢」が実現しつつある現段階は、ヨーロッパの各諸国家の憲法に優越する「ヨーロッパ憲法」がすでに憲法案としてヨーローッパ各国代表の議会を通過し、各国民の承認、批准の実現を待つという段階です。こうした段階にあって、スペインはこの2月、このヨーロッパ憲法案を国民投票によって批准しようとしており、その意味で先兵的な役割を自覚しているといえましょう。この過程が実現すれば、ヨーロッパ連合は更に1歩「現実」となります。これは現在の世界社会形成に向けての一つの基本的路線でありえ、すべての国が取り得る現実的な選択肢となっていくといえるのではないでしょうか。
 しかし、それはまだ「夢」でしかない、という現実もまた明らかであるように思います。
特に、我が国の公的な機関、民間の国際関係の中にある大組織等の取っている立場、現実認知は、ブッシュ政権と共に、ともすればこれに対して冷笑的であり、「夢想的な」欧州の路線を、わが国に敵対的な意味を持ちかねない対抗的立場と認知しているようにさえ感じられます。従って、世界の中の重要なこの現実を一つの事実としていろいろと考えてみる材料として充分に報道されていないのではないか、と危惧するものです。「ヨーロッパ連合なるものの内実は、独仏の利害に振り回されているヨーロッパでしかない」とか言うようなレベルの認知からしますと、スペイン「社会主義」党は、愚かにもアメリカに対抗しようとして、一蹴され、Bushに今なお、電話さえとってもらえないでいる、ということになるのでしょう。そうした見方は一つの見方として現実に存在しているわけですから、そういう情報を無視しようとは思いませんが、しかし、それだけでは、もう少し広い角度からの景色が見えないことになるのではないでしょうか?
 そんな想いから、私はあえて、これから2月の国民投票まで、少しずつ、日本に伝わる大方の情報と異なる「ニュース」をお伝えできたら、と思うのですが、実は時間がとれません。具体的には、現在のスペイン政府に同調的なリベラルな立場を従来から取っていた、2大新聞の内の一つ、EL PAISの記事を中心に、スペインのヨーロッパ憲法に関するニュースをお伝えしたいと思いますが、実際は思うようにはいきません。ほんの僅かばかりですが、出来たところだけをちょっとご紹介するだけになります。エル・パイスは、アメリカではニューヨークタイムス、フランスではエル・ムンド、日本では朝日新聞に、親近性を持っているスタンスをとっていると言っても間違いはないと思います。先頃アメリカ大統領の選挙の際には、これらの世界新聞が協力して世界世論調査を行ったことは、最近の非常に印象的な事実だったと思います。そうした「偏り」を持った「ニュース」を私はお伝えしたいと思います。たまたま滞在しているに過ぎないのですが、スペインという、ヨーロッパの共同体に遅れて参加していった国からの、ヨーロッパの雰囲気をお伝えできたらと思います。そうすると、或いは、今度の選挙で敗退したアスナール元党首のP.Pに近いといわれるもう一つの大新聞EL Mundoとは異なる、別な論調による報道との比較も多少お出来になるのではないか、と思うのです。
 1月24日 「現実と夢の間」というタイトルで、ソレダド・ハジェゴ-ディアスというコラムニストが、次のような意見を書いています。1月17日はポーランドの村の近くに1940年5月に建設された、アウシュヴィッツのナチによる「死のキャンプ」が解放されて60周年の記念日だそうです。それ以来、人はゲーテリルケを読み、バッハやシューベルトを聴いて、翌朝には「死のキャンプ」に出かけ、毎日集中して虐殺の仕事に励むことが出来るのだと言うことを知ったし、広範な文化的要素からなるヨーロッパ文化さえ、こうした野蛮さを防ぐことが出来ないのだということをしった。そして、本当のリアルな文化とは非人間性やドグマに抵抗できる市民の能力を育てることが出来るものでなければならない、プロパガンダに取り囲まれながら、知らなければならない真実の事実を知ることを可能にするような仕組みがちゃんと働くような秩序を保持することが如何に大事かを、このナチの戦争は私たちに教えたのであり、この記念日を祀る最もふさわしい行動は、犠牲者の墓に詣でること、犠牲者に花を捧げることであるよりも、平和や人権というような市民的価値をきっちり維持する仕組みが、その機能性を失ったり、弱化していないかどうか、しっかりと見つめ直すことだろう、と述べています。この点は、私たち日本の国民も、私たち自身が起こした戦争について、知らなければならない戦争中の毎日の事実について、−それに基づき批判的に思考しなければならない事実について、− 何一つ報道されていなかった現実を経験したことを、誰も否定はしないでしょう。
 事実を知ることと批判的能力は、他者との共通性と差異性を認識することにも通じ、自我の尊厳性の認識と共に、他我の尊厳性をも認識することを可能にする筈です。そのような他者の認知が可能である場合、自己の利害や自己の集団内の道徳的約束事、自己の民族文化や宗教に基づくアイデンティティの主張を、他国に侵略して武力行使を行ってでも実現しようとしたり、暴力を用いてでも反対者を抹殺しようとしたりする野蛮行為を許すことはできないでしょう。そうした野蛮行為者を含む全体社会は、絶えず、日常的に事実を知らせ、こうした行為者を含め、批判的に自己教化していかなければならないでしょう。「民主主義」という装置が国内のみならず、諸国家間・諸民族間に建設可能であり、そうした制度、社会的仕組みを持ち、それが充分に機能するように監視・点検することがきわめて重要でしょう。その国に信頼できる民主主義装置が根付いていれば、少なくもその国内でテロ行為や市民戦争行為に訴える必要はないと、その国の人たちは考えるだろうということは、すでに世界のみんなが確信しているのではないでしょうか? しかし、国家の枠の外では、残念ながら、私たちはまだこうした制度や社会的仕組みを持ちませんし、そうした確信も持てません。ヨーロッパ連合は、国家の枠を超えて、communityを作ろうという壮大な試みであり、諸国家の憲法の上位にある連合憲法を持つということに成功しつつあるのだと思います。世界社会ないし世界連邦形成にとっては、少なくも一つの参考事例になるはずの注目すべき事柄が進行しているのだと思うのです。こうしたヨーロッパが取っているヨーロッパ連合の戦略は、ヨーロッパの世界戦略でもあります。国際連盟国際連合へと成熟すべきなのだという思考は、ヨーロッパ人には容易に理解できる方向性であって、国連を中心に国際社会の合意に基づいて世界紛争を解決すべきだという主張は、ヨーロッパの取る現実の路線からして極めて説得的な論理となっていると思います。こうしたヨーロッパの基本的な世界戦略の将来性に賭けて、孤立した状況を打破して行こうという世界戦略を取っているのが、最近の中国のようです。中国国民が「中流化」していくとき、その世界への影響力の大きさは計り知れないものがでてくるでしょう。中国がヨーロッパと同じ路線を目指して、沢山の中国人がいる東南アジア中心に、北・中央・南アジアの多くの国とのアジア連合を達成していく路線を取っていくことが私には、中国にとって極めてあり得る合理的な選択だと思えるのです。このとき、世界のヘゲモニーは、なおブッシュ・小泉他の米英日路線の側にあり続けるのでしょうか? 私には簡単には予想しにくいのですが。少なくも、現在時点では、私はそうした危機を感じて、ブッシュ-小泉路線のために頑張らなければ、という気にはなれません。
そんなことを考えるとき、ヨーロッパ連合とは何だろう、ということを知っておかなければならない、という気になります。ヨーロッパ連合が国家の枠を超えた憲法を持つとすれば、その憲法とはどのようなものなのだろう? 極めて興味が持たれます。 いま、スペインがヨ−ロッパ憲法を持つと言うことは、スペイン国民にとってどういう事を意味するかを、毎日、テレビは報道の目玉の時間に解説していますし、政府は新聞に入れて無料で憲法を配布したり、宣伝カーで趣旨説明したりしています。私も憲法をもらいました。そういう時期に、民族主義的最保守の立場から、スペインからのバスク独立を志向するテロ組織、ETAのいるバスク州自治体は、その民族主義諸勢力が願うバスク州の完全自治、スペイン国家と完全自治権を持つバスク州が連邦となるという、事実上の意味での独立を達成するバスク州政府首相の案を議会通過させて、スペイン国会に上程することとなりました。スペイン国家をスペイン国とバスク国の連合に再編していく方向というのは、つまり、ヨーロッパ各国内の民族問題を、各国家の枠組みから離反させて独立させていく方向で、解決できるのではないか、という期待を意味し、民族主義者が持っている主張が、ヨーロッパ連合の将来として描き得るのか、という問題を意味しています。スペイン政府与党の社会主義党も、保守の大衆党もこの方向に強く反対しています。

さて、この同じ日の新聞 El Pais international版に、El Pais記者による Josep Borrel欧州議会議長へのインタビュー記事がありましたので、少し長くなりますが、翻訳して、ご紹介しておきましょう。このインタビューの応答の中で、ボレル氏は幾つかの論争の渦中にある問題に触れた発言をしています。
Josep Borrel氏は、人口450,000,000人、25ヶ国を代表する、732人の議員からなる世界最大の民主主義議会である欧州議会の、議長を勤める人物です。この議会で、この1月12日に、74%の賛成を得て、初のヨーロッパ憲法が成立しました。2002年からこの草案造りに関わってきた彼としては、これがスペインの国民投票で無事に批准されることを、大きな期待を持って見守っているところです。
「ヨーロッパに憲法は必要なのですか?」という問いに対し、「50年間の諸条約を堅固なものにし、とりわけ、ヨーロッパは一つの憲法を持つ政治的なプロジェクトであると定義する必要がありました。また新たに25ヶ国に増えて、そこに作用する規則を必要としたと言うこともあります。」「何故それを憲法と呼ぶのですか?」「スペインの前首相アスナール氏は、当時のEU議長をも務めていましたが、EUにおいてこの言葉が採用された2002年議会開会式で、この「憲法」という用語を決して使いませんでした。こうした抵抗のあった用語でしたが、一定の経過を経てついに採用されるに到ったのです。なぜなら、その用語は強い象徴的な価値を持っていますし、その文書の政治的次元を強化するものだからです。」「市民への利点としては、あなたは何に焦点を置かれますか?」「それは沢山あります。ヨーロッパ連合はより正統性を持ち、より民主的となり、より機能的となる点で、一歩更に前進できるのです。もしあなたが親ヨーロッパの人で、ヨーロッパはより平和、より安全、世界へのより大きな発言力を持つことを保証すると考える人なら、憲法のおかげで、間違いなく、それらの点で効率的、正統的、民主的になり、幸福に感ずるに違いありません。」「スペイン人にとって特に利点となることがありますか?」「みんなそうするようですが、憲法を国民的利害の観点から読むべきではないと思います。しかし、ヨーロッパは、諸国間の紛争を克服してきた後に、今や共通の政治的アイデンティティを創り出し、ヨーロッパ人民というものが存在すると言うことを認知していると思います。」「スペインでは、現時点の国民投票キャンペーンは、バスク国家の独立に向けてより大きな自治を意図するIbaretxe案についての論争と混同されています。」「それは避けられないでしょう。Ibaretxe案は、私には、私がヨーロッパ憲法というやいなや生じてくる反プランのパラダイムだと思えます。バスク首相達ナショナリストはスペイン憲法とヨーロッパ憲法は両立するのか?と聞きます。同じ質問が、かつて議会の議長だったこの憲法の父と言うべきジスカール・デスタンになされたとき、彼は彼の意見を述べていましたが、私も同じ意見です。彼の意見では、ヨーロッパ憲法は個々の国家の境界統合を認知し、防衛し、同時に個々の国家の内部の組織、内部の地域連邦、内部の自治体、を個々の国家にゆだねるのです。この問題は個々の国家内の問題ですが、憲法は国家の境界内の国民的統合を尊重し防衛します。」「憲法のこれに関連した部分をどう解釈なさいますか?」「 この憲法は武力による他国家の攻撃については何にも触れていません。なぜならヨーロッパ連合は軍事同盟ではありませんから。それに触れるときは、ある国で、その国内憲法に不同意が生じ、その国の政府の同意無しに解体するときに関してのみです。(バスク自治政府バスク議会で成立した独立に近い連邦案を、バスク自治州民投票にかけて成立させたとしても、それは)スペイン憲法上の手続きによって許されないことであり、スペイン政府も、スペイン議会も受け入れないことは明白で、バスクという一国の政治的ネットワークの中の、ある政党(ナショナリスト諸政党)のための一方的な変動として、スペインから離脱する事態を、ヨーロッパ連合は認知できないことは、あきらかな事でしょう。従って、Iverretxe案(バスクEuの一員である事に何の問題もない。なぜなら、バスクはスペインとアソシエイトしていて、単にヨーロッパで、自分自身を代表しているだけなのだからだ。)は、誤った推論だ、といわなければなりません。この案がなりたったとしても、バスク政府は、トルコのような他のEU参加候補よりも後ろの位置に立たなければなりません。」「それこそ、専門家達がいっているように、ヨーロッパ諸国家が保証してきたことに他ならず、EUはその国で合意が成立しない限りは、その国内の分裂を認知しないのですね?」この質問には、国民の支持が多数であるか疑わしい「非民主主義的支配が、ある党派によって行われているのは不当である」とヨローッパの他の国が判断するからといって、他の諸国が干渉したり、国家転覆を謀ったりすることは、いうまでもなくあり得ないと言うことも含意されるでしょう。 「EUは、その国の憲法上の規範に合致しない事は何であれ、認知しないのです。」「逆に言えば、その国の法に基づいている限りは、領土に関する組織に関して変動があっても、受け入れられるだろうと言うことですね?」「もちろんそうです。チェッコスロバキヤの例を取ってみましょう。EU参加候補国として、2つの国に分裂しましたが、それはチェコスロバキア憲法上の手続きに基づいたものでしたので、認知されることに何の問題もありませんでした。すなわち、諸政党間で合意され、更に全チェコスロバキア国民投票によって合意されたからです。チェコスロバキアで同じ日、同じ時間に、同じ案件について直接投票が行われたのです。」
                                   (つづく)