賀春 2005年元旦 新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
ともかく、「無事に」世界の中でも、一つの最も「豊かな」消費社会として
2004年の幕を閉じ、2005年を迎えることが出来ました。
2004年は天災の多い年でした。私の個人的な視点からすると、歳末の地球上の大天災は、
改めて地球の不均等な貧しさの課題をも示したかのようでした。
中東、イラクイスラエルアメリカの戦争は、近代史の辿った迫害と侵略の一面の、
最後のあがきであることを祈りたい気分でした。
構造改革」が安定雇用、生涯福祉、最低賃金、そして最後の郵便貯金による個人努力による保証の制度を犠牲にして、経済システムの「繁栄を維持しようとする」ものであるという認識が世論の中に漸く生まれつつあるかのようです。戦後の「中流社会」はここで終焉を迎え、ここまで進行した新たな構造変動が昨年までで一つの終結を迎えつつあるという共通認識が一部の人々にできたようです。
この経済体制の構造変動は、戦後の「日本的社会」とよばれた社会システムの下位の諸制度の連関を大きく変動させることになっていますが、家族・個人生活、地域社会、教育システム、価値観等の諸制度を旧態依然と保守することを目指す政治システムによっては、社会システムの新たな構造変動はおおきなひずみをマグマとして溜め込んでいくばかりだということも、どうやら論壇の中では、その声が聞こえてくるほど大きくなりつつあるかのようです。
 個人消費の「豊かさ」を究極価値として「個人生活のゆとり」を追求する餓鬼道の世界の空しさの自覚も、今年は若者達に渦巻き始めて、新たな社会システムの目標・価値観の創造に向けて、動きが出てくることを期待したいものですが、いかがなものでしょうか? 若者が、終焉しつつある時代から、新しい時代を目指す新たな価値の担い手になっていく変化を期待したいのですが、もうちょっと時間が要りそうですね。そうした変化をすることなく、自覚できないまま右翼に走る人たちが3割も出てくると、マグマの暴発は悲劇的な結末を生むことになるでしょうが、そんなことにはならないように、私は目をつぶって祈ります。
 この時代は、私たちが経験したことのない、ある一つの歴史的地域文化による世界統合ではあり得ない共同社会としての「世界社会」の形成を目指す未来への課題を中心においたものになって行き、そうした方向性を世界の諸民族みんなが目指していく時に、私たちの生活にも、光が見えてくるようになるだろうことを期待しています。
 世界は着実に、情報社会の急速な発展を土台にしながら、新しい時代に変貌しつつある、と実感できるこの世界に生きる幸せを、私は感じています。Weblogを楽しんでいる皆様と共に、今年こそは希望の年にするように、本当の現実を発見し、日本の内部の他者の生き様に関心を持ち、それだけでなく、世界の人々の生き様に強い関心を持って、理解し尊重し合い、本音のところを交換し合って、みんなが生活の不安のない社会になるために、大胆に新たな世界文化の革新の道を模索し、学び合いたいものと願っております。
 皆様のご健康とご活躍を祈念し、ご家族揃って、今年も御元気で楽しく過ごされるよう
心から願っております。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。