再 スペインサッカーの人種差別問題について

12月9日付けEL PAIS English version にスポーツに於けるracismという記事が載っています。スペインサッカーファンの間に人種差別的な言動が見られたことに対してイギリス側からUEFAに提訴があったことから、スペインサッカーファンにはアフリカ系の人々に対する差別意識があるのではないかと、世界のサッカーファンの注目を浴びることになりました。これに対して、すでに私も紹介しましたように当然スペインの人々の間から反発も生じ、反論も出てきています。しかし、他方で、こうしたサッカーファンの一部に人種差別の事実があることを問題として共有し、これを改めるべきだという議論も出ています。日本のサッカーフアンの皆さんのなかにも、この問題に大きな関心を寄せている人も多いように見受けますので、その後のスペインの大新聞といわれるリベラル系色のel paisの記事を紹介しておきましょう。
 2ページにわたり、その全面を占める9日の大きな記事は、実際普段の試合から、こうした人種差別的言動(文末に註)が行われているかを、いろいろな地域のチームの黒人選手自身をインタビューすることによって、先ず事実としてどんなことがあるのかを確認しています。そうしたヤジを黒人選手は、サッカー場で常に必ず大部分の観客から受けているというという点では、答えはノーですが、しかし、そうしたヤジを一部の観衆からしばしば受けるという点ではイエスといって良いようです。先日も事件の後の試合で注目を浴びたバルセロナのアウエーの試合で、カメルーンエトーとブラジル人ロナルジーニョの2人の人気看板選手が、共に同じような「差別的な猿のヤジ」に攻撃されたことが確認されました事はご存じのことと思います。この新聞の中であげられた人の名前をいいながら記事の中身を紹介しておきましょう。その人がどれほど周知の選手なのか私は知らないからです。デポルティーボ・ラ・コルーニャのベテランミッドフィールダーでブラジル人のマウロ・ダシルバは、「そんな人種差別の問題があるとは知らなかった」と驚きながら、しかし過去を振り返ってみると、そういわれればそんな馬鹿なことをされたこともあった、といっています。「その経験は単なるジョークという様なものとして受け取ることは出来なかった。いわば家庭内暴力を受けているような非常に傷つけられた経験だった」といい、「何か言うときには自分の言葉を慎重に考えていうべきだ」といっています。だけども「スペイン社会は人種差別社会だとは思わない」「サッカー場のこうした流れと移民問題は関係あると思えない。」と述べている、と紹介しています。
レアル・ベティスミッドフィルダー、ベンジャミンは、アフリカ赤道ギニアにルーツのあるスペイン人であるが、いつも子供時代から似たような話しでウンザリしているという。子供の頃から彼をやつけようとする場合、先ず使う手は「ネグロ」という言葉だ。 「彼らはfucking blackと彼を呼ぶし、スタンドに近づくと、つばを吐きかけてくる。」ベンジャミンはマウロの意見に賛成で、スペインは特に人種差別的社会とは思わない、といいます。しかし、彼が10代の時、元彼女の両親が彼女に「黒人の男の子となんか何をしているのよ」、兵役に言った彼の兄貴は軍隊でいつも[手酷く扱われ、最も人に恥をかかせること、negroとよばれていたんだよ]といったということを思い出す、ともいっています。
Cavo Verdeオリジンのシエラ・レオネ出身のプレーヤー、ヴァルドは、[問題はサッカー領域特有の問題で、嫌がらせにやるのだ]という。彼によると、サッカー場の外で人種差別を受けたことはないが、場内では何度何度も「モンキー・サウンド」を聞いたことがある。それは相手のチームの選手を混乱させるためにやっているのだ。それに対する回答は[辛抱]の一言だ。彼は「自分が小さいから、自分の肌の色で自分を馬鹿にするのだ」
と付け加えています。
 チュペはアルメニア出身のスペイン人とギニア人の夫婦の子供で、現在、ラス・パルマスでプレーしていますが、彼は、いろんな状況の中で差別を経験してきた、といっています。例えば、アウディのスポーツカーを運転してマドリッドへ行く道路で警官に検問され、麻薬を捜索されたり、ライセンスを見て嘲笑されたりした、といっています。ヘタフェのコーチ、キケ・サンチェス・フロ−レスは、先日のロナルディジョ、エトが受けたような軽蔑の言葉の場合は、「ナショナルチーム監督ルイス・アラゴネスがレイイェスに向かって練習中に怒鳴った言葉によって触発されて流行となった」一種の流行である。アラゴネスはホセ・アントニオ・レイェスのもとのアーセナルのチームメイトであるティエリ・アンリを「black shit」とよんだのだが、元レアルマドリッド、現在バレンシアで働くプレーヤー、サンチェス・フローレスは「こうした侮蔑は良く考え抜かれた上での、知性とか信念から出てくるものではなく、大衆の下層的心性から出てくるものだ。」とインタビューに答えています。
本当のところは、こうした歌や叫び声は、ダイ・ハードなファン、つまり頑固で保守的なファン層が集まっているスタディアムの一角から集中的に発せられているのだ、ということです。マドリッドコンプルテンス大学の発達心理学・教育学の教授マリア・ホセ・ディアス・アグアドは、これらの人たちは大衆の中に隠れ家を求めており、「調査によると、人口のわずか1%が差別的価値観を積極的に支持しているに過ぎない。支持しているものもそれを恥じている」として、それはよいことだと述べています。ヂアス・アグアドは、臨床医師として、「ある種の人々は自らを最終的には破滅させる破壊的文脈で、自らを再確認する必要を持っている。-----差別的な歌に唱和する人の多くはそうすることによって、その無名性に護られながら集団の一員であると感じたいのである。」と評しています。
ギニア出身のヴィセンテ・エンゴンガは、はっきりとレイシズムに反対して言います。「社会は違った人間に寛容ではない。肥った人、背の小さい人、皮膚の色の違った人などに対して、----。」 しかし、人種差別的ファンの態度には矛盾があるとも指摘しています。「彼らは非常に冷笑的、シニカルである。彼らは猿のようなことをし、ブラックと呼んだりする。例えば、デポルティーボと戦ったとき、私もそういうことをやられたが、しかし、デポルティーボにもディハルミナとかマウロ・シルバとかフラヴィオのような黒人の選手がいるのだ。だから、彼らはあの行為で相手の選手を傷つけようとしているつもりなのだ、」といっています。
レアル・ベティスのフリオ・バプティスタは、「傷つくのは彼らの都市だ、彼らはヴィジャレアルで私にそれをしたが、それは本当に酷いものだった。フィールドにでていて、まるでサーカスに出ているような気分にされた。」だけれども、やはり他のスペイン選手同様、彼もフィールドの外のスペイン社会は「肯定的な」ものだといっています。
カメレオン出身の前エスパニョール・ゴールキーパー、トミー・ンコモは、スペインが人種差別から全く自由だとは思っていません。「この国は差別主義的ではない、しかし、私は、私が誰であるのかということを通して、厄介なことのすべてを避けてきたことを自覚している。しかし、私は金持ちでも有名でもない黒人の同胞達、彼らが差別主義的待遇を受けていることを忘れているわけではない。」
テラサのコーチ、ホワン・マヌエル・リジョは問題は教育にあることを認めている。「これ以上猿みたいなことをするバカがいないのは、単純なことなのだが、彼らの隣りに親戚がいて、非常に迷惑だと思っているからだ。 アレは社会現象で、それだけのことだ」と。
以上、要するに、プロサッカー選手に対する場合、一般的にいって、サッカー場の外やホームでは黒人差別があるわけではないと感じているが、アウエーの場内では、嫌がらせの人種差別的言動が実際に存在していて、その意味ではかなり不愉快な気持ちにさせられる経験を皆持っているということのようでした。しかし、サッカー選手として成功する以前は、或いは貧しい黒人達は、人によってやはり「黒人差別」が存在すると感ずる経験を経てきたということのようにも思われます。しかし、同時に非常に重要な指摘として、こうした酷い行動をとるのは一部の特定のファングループだ、ということのようでした。そのグループはどんな人からなっているのか、それが社会現象だとすると、どんな社会的カテゴリーの人なのだろうか、ということでしょう。

El Paisの記事は、これに続いて、イギリス・フットボールに於ける人種問題についてコメント記事を書いています。ここでは、私が1年余り滞在したことがある8 0年代のイギリスの個人的な経験を少し話させてください。 当時イギリスのサッカーファンは、フーリガンと呼ばれて、イギリスサッカーファンの世界的評価を大いに低めたことは或いは記憶している方も多いでしょう。その時代、日本から沢山行っていた観光客は、サッカーファンどころか労働者階級にさえ恐怖感を持っていて、ロンドンのイーストエンドとか、マンチェスターのような工業都市さえ敬遠して行かなかった人も多かったと思います。当時、それぞれの地元サッカーチームとか、ナショナルチームの追っかけをやるフーリガンがいて、それが特にヨーロッパ各地でどんな暴力行為を行っているかということの報道や、「記録」映画などがセンセーショナルに報道されたり、上映されたりして、そうした映像が世界各地で一斉に一人歩きしたと思います。しかし、事実フーリガンと呼ばれた一群の連中が、反社会的、特に人種差別的行為をしたし、このファンの中の人たちの行動はスポーツ界では統制不能状態に陥っていたのでした。70年代から黒人プレーヤーがサッカー場に現れるようになりましたが、70年代80年代頃までは、観客に黒人はいなかったものでした。そちらの方によりはっきりと黒人差別の状況が見てとれたと思われます。黒人問題は現としてあったのですが、フーリガン問題では労働者階級の文化としてサッカー問題をとらえ、人種差別が正面に来る状況にはまだなかったということもあります。私も、イングランドに滞在した当初は、正直に言えば、そうした報道をもとにして、一定の恐怖感を持っていました。特に世界中を回っただろうと思われる映画では、いわゆる「イメージによる」暴力場面の再現と称する「ルポルタージュ」が酷いもので、汽車の中で勝手放題の無頼の輩が破壊と暴行の限りを尽くすシーンなどあって、すっかり恐怖感を抱いたものです。サッカー場など決していってはならないと観光案内ではいっていたように思います。当時、日本人は殆どサッカーというスポーツを知らず、私もイギリス滞在中に行われたローマでのワールドカップをテレビで見て、はじめて、世界に於けるサッカーの位置づけがどんなものかを知ったものでした。当時の我々日本人のサッカーの鑑賞眼など幼稚なもので、その後、ワールドカップ予選などにも出るようになって、日本にもサッカーリーグが出来、徐々にサッカーというスポーツを見るようになりましたが、岡野が試合のギリギリの終わり頃に劇的なゴールを揚げるシーンに国民は大いに感動するといっても良いような状況になった時期にさえ、実は中田少年がすべての劇的シーンを演出していたなどちゃんと見ていた人はまだ少なかったように思います。岡野が英雄になったのですが、実は中田がその後、一貫して実力を発揮して、彼を始め、いわばサッカー第2世代と共に、日本人もサッカーの面白さを広く理解できるようになっていったと思います。無論、スペインのように、まだその辺の草サッカーや小学校の校庭で、みんな、ジダンの敵に囲まれてクルッと1回転して抜け出していくボール裁きはもちろんのこと、ロナルディージョの背面から蹴上げて前の敵の頭越しにボールをパスして抜け出していく離れ業を真似して、(勿論、できっこないのですが)そのレベルの下手くそが5万といる風景などは、まだ日本にはないのではないか、と想像します。ちょっと、脱線しすぎました。
で、当時、イギリスはサッチャー時代で、鉄の女首相と伝統的保守的労組=山猫ストも辞さない戦闘的労組の最後の砦を護る炭坑労組のリーダー、スカーギルの対決というような時代の第2ラウンドが、決定的にサッチャーの勝利に終わるという時期にも当たり、労働者階級のイメージダウンにも、このサッカーのフーリガンは大いに役立ったのではないか、と思っています。当時、入れ墨が流行りだした頃でもあり、労働者住宅街の横町の辺りに、皮チョッキのようなものを来て、丸太のような入れ墨の腕をむき出して、闊歩するマッチョの権化みたいな奴、へべれけな薬物中毒のような男女がへたり込んでいる様などを見ると、もうとてもそんなところに足を踏み入れることなく、敬遠して、労働者街がどんなところかさえ全く知らないまま時を経た記憶があります。しかし、労働者階級についてのイギリス人自身のアイデンティティは、マッチョなフーリガンなどとは極めて異なったもので、毎週末に地域の教区の教会に、こぎれいに洗濯した洋服を着て、お祈りにいく人たちであり、禁欲的で、相互扶助的な隣人関係の人情に厚く、例えば、子供達にしても、ひとり暮らしになってしまった爺さんの家に、学校の帰りに寄ってちょっと遊んでいってやるという様な関係を持っているとか、女親を中心に娘達が一つの近隣に住む様なコミュニティを作って毎日の生活を助け合っているとか、そうした日本の下町の人情に似た人間関係の中に生きている姿を、労働者階級として自己アイデンティファイしているのだ、ということを知って行くに連れ、イギリス労働者階級とフーリガンを重ねて見るということが、如何に実態を歪めている見方であるかを認識していったと思います。ひとたび、そのように認識枠を取り替えてみますと、労働者街を愛している人たちがイギリスの多数を占めているのであり、サッカー場に足を運んで、オーレオーレを叫んでいる普通の労働者が多数を占めているのだということが分かってきたものでした。こうして、フーリガンとイギリス労働者階級は私のイメージから切り離されたものになったのでしたし、時代もまたそうしたキャンペーンが通用した時期から、まもなく、ミリタントな旧労組指導者層からヘゲモニーを奪ったトニー・ブレアが、イギリス労働者階級の圧倒的支持を獲得し、サッチャーから政権を奪います。
しかし、譬え、極めて特異な少数派にしろ、フーリガンは現存していたわけであり、彼らは、ジェンダーとしては極端なマッチョであり、政治的にはしばしば極右的な人種差別主義者で、テロリスト同様、極端に違法行為を行う反社会的集団として行動するという特性をも同時に持っていて、スポーツや音楽など大衆が非日常的状況を求めて集まる場所に集まって、反社会的な行動を誇示する事により、自己確認している少数集団だという風にも認識できるでしょう。日本でも喧嘩とペニスで障子を破ることによって自己顕示する小説を書いた日本版ブルジョワアンファン・テリブル元少年兄弟が果たした文化的影響力は一部に大きなものがありましたが、そのような文化の労働者階級版でもあるといえるかと思います。
一つの社会に幾つかの下位文化があり、それが相互に対抗的なものであったりしていることは周知の通りですが、スペインもイギリスもその点は同じです。しかし、事市民権の問題、人権の問題については、反社会的な行動は見逃すことは出来ないし、その反社会性を教育によって矯正していかなければならない、という事が左右という軸の次元ではなく、「市民」社会の次元で、前近代ー近代社会の軸の次元での合意としてあると思います。イギリスでは、こうした意味で左右を問わず、反フーリガンの教育がなされ、それなりの効果を持ってきたと思います。おそらくスペイン政府の事実認知も以上のような要素を含んでいる、と思います。最近政権が変わってから、立て続けに現状を変えようとする動きが目立ちますが、現政権と旧政権の間にこうした「変革」を巡って対立がこのところ徐々に目立ってきています。このサッカーの人種問題についてはどうでしょうか。今のところそう表だった大きな論争は起こっていないように思います。PSOE=スペイン社会党が今年の総選挙で政権をとったのですが、この政権はこのスペインフーリガン問題に対して、サッチャー政権やその後のイギリス労働党政権同様に、これを重視し、矯正していこうと心に決めているように思われます。
実は、12月3日の新聞に次のような記事が載っています。国中のあちこちのサッカー場で起こっている人種差別主義を追放しようと、国家反暴力委員会は、サッカー場で人種差別行動を行ったものは発見次第、罰金6万ユーロと5年間のすべてのスポーツ場への入場禁止に処するようにするだろうと語った、とありました。その後、この点の報道については、ちょっと読んではいませんので最新のところのニュースは存じません。イギリスの場合、フーリガンの暴力行為のため、イギリスのサッカークラブチームは1980年代半ばから90年代初期にかけて、ヨーロッパチームと試合することが禁止されてしまったのでした。そしてこのフーリガン問題が検討され、人種差別の要素もここに重要な要因としてあることが認識されました。1993年、人種平等委員会とプロフットボール協会とがパートナーとなって、「Let’s Kick Racism out of Footballレイシズムフットボールから蹴り出そう」キャンペーンを開始し、教育組織、コミュニティ組織、サッカーを通じてスポーツのイメージを変えるよう活動をしてきたのでした。リーズなどのクラブは人種差別で悪名高かったのですが、都市地域のこうした協力の下で、キャンペーンは効果を徐々に発揮してきたようです。しかし、イギリスではまだ完全に人種偏見から解放された状態にほど遠いといわれています。イギリス、ウェールズなどのプロの15%は黒人ですが、アジア人はいませんし、黒人のコーチは少数ですし、有色人種のクラブの従業員も少数です。フットボール協会委員会に黒人の役員もいません。サポーターの中にも、シーズンチケットの所有者の有色人種は僅か1%以下だと統計的に明らかにしています。そして、やはり侮蔑的言辞を労したサッカーー場での行為で起訴されたのは僅か40人でしかないと報告されています。どうも人種差別的なファンの言動は尚続いているようです。しかし、とエルパイスの記者はいいます。スペインとイギリスに違いがあるが、それはスペイン代表監督の差別発言に対して、スペインの場合、役員レベルの反応は非常に鈍く、意識的にこれを重要な差別発言としてとらえていないことだ、と指摘しています。監督はチームの黒人選手と仲良くやっているということは事実だろうが、そのことはこうした発言を軽率さの問題として寛容に見るということの理由とはならない。イギリスならこうした発言をした監督は公的に軽蔑の対象となる。最近アトキンソンという著名なスポーツ解説者は、テレビ収録が終わったと思って軽率にもあのニガーという表現を使ってしまい問題となったが、スペイン代表監督同様、彼のキャリアーに於ける行動からいって決して差別主義者ではないと弁明したが、結局、解説者として解雇されてしまったという事例を挙げています。こうしたイギリスのサッカー環境からして、今回のスペインのサッカー場での一部ファンの言動に対して、イギリスのプレーヤーが反発するのはいわば当然のことと理解される、とこの記者はイギリスサッカー関係者に対するスペイン側の反応に対して弁護しています。
長くなりましたが、サッカーのような今日多くの人に影響力のもつイベントで起こったことの事実の認知は、大事だろうと思います。それが社会のさまざまな下位システムの中の文脈でいろいろな意味を持たされていますが、その一端を紹介させてもらいました。皆様の認識の一助になれば幸いです。(尚この記事の大半は、イギリスに関すること以外は、殆どエル・パイスの記事の翻訳といってもよいものです。記してお断りしておきます。)


註(スペイン代表監督が、この黒人の糞野郎というような良くある表現を使ったことから端を発し、広く各地のサッカー場でファンが差別的表現を用いることに到る差別表現問題ですが、最近はニグロだけではなく、Blackという語も使われなくなっていることはご存じの通りで、アフリカ系アメリカ人のようにいうのが一般的のようですね。黄色などと呼ばれたら腹が立ちますよね。 白・金髪・ブルーアイズのような北欧系、西欧系が尊重され、 ブラウン・モレノ/ブラウン・アイズ、ブラック・アイズは下等とされる白人系の中の細分化された人種順位の“常識があって、” 白人の生徒だけを対象にこの“人種”評価基準を教室の中での教育上の人物評価基準として実験をし、同時にその後で同じ実験対象に、逆の基準を適用して人物評価をする教育現場での実験記録「ブルーアイズ、ブラウンアイズ」を見た方は、或いは多いかもしれません。この教材としても有名なTV番組では、この評価基準の適用が、生徒の学習態度や自己評価に大きな影響を持つことを確認していました。これが人種差別というものですね。お金があって、家には本が沢山あって、上品な話し方とされる話し方がなされていて、上層とされる家の家具調度や音楽、絵画、食物や飲み物を使っていて、或いは現実に使えなくても、それについての知識やそれに準ずる印刷物、イミテエーション、広告に囲まれて、充分に動機付けとして持っている「教養」がある階層の子弟が、この階層の文化を、正しいもの・美しいもの・真実の知識として「教養」として教える学校で、高く評価されるという場合、そしてそのような環境に恵まれない家の子弟が、「教養」のない人として、さまざまな状況の中で市民として不平等に扱われることがあるとき、階層的差別とか、階級的差別とかいうでしょう。この場合は、差別があっても、その差別根拠が、肌の色のように誰にでも明確ではないので、差別を受けている当事者、差別している当事者さえ、なかなか認識することが難しいでしょう。差別というのは誰にでも自明のようで、なかなかそうではないようですね。)