スペインーイングランドの国際試合の事件

昨日18日, 本日19日のヘラルド・トリビューン新聞マドリッド版のスポーツ欄には、昨夜のマドリッドで行われたスペイン対イングランドの親善マッチについて論争的な記事が載っています。いつものように、夜遅く10時からはじまった昨夜の試合は、反則の多いあれた試合でしたが、試合そのものについては、翌朝の新聞に詳細はのせることは出来ないだろうと思います。しかし、「イングランドチームの訪問はレイシズムによって台無しにされた」とあります。直接の問題は、火曜日にスペインのアルカラ・デ・エナレスで行われた21才以下の同じスペイン対イングランドの国際試合で、観衆からイングランドの黒人選手に対して「差別主義」的歌c醇@nticos racistasが歌われたということでした。(実際は、歌ではなく、ゴリラの声を模した唸り声「ブフー、ブフー」を挙げたのだという話しもあります。)木曜日18日の「エル・パイス」によると、イングランドフットボール協会はFIFAUEFAにこれを伝え、公衆の人種差別的振る舞いに抗議することを決定した、ということです。この抗議は火曜日に行われたスペイン代表監督のルイス・アラゴネスにたいして行われたイギリス報道陣の取材で、彼は、自分は人種差別主義者ではないが、彼の黒人の友達はイギリス人は差別主義者だと言っていると発言をしたことについても反映している、と書いてあります。
 なんだかアホらしい記事だが、イギリス代表チームが、「差別が行われた」と確信してムキになってwe are going to kick out Racist などというステッカーを全員胸に張って、練習するなど、私には大変好感が持てました。私のイギリス贔屓は、こうした側面のイギリス人なのです。Rooneyというガスコイン2世であるかのようにいわれる、才能あるきかん気の短気な若い選手が居て、これが何をするか心配であるかのような記事を見ましたが、案の定?、キーパーに元気すぎるファールをやったりして、グラウンド外などでも荒れたようでした。(余談ですが、ワールドカップ準々決勝で熱情的プレーのために、退場処分のレッドカードがあがったときの、ガスコインの涙には、その純情さに、本当にともに涙したことを思い出します。その後の彼の不本意な人生ということもあって、いまだ、ガスコインの名前がこんなときに出てくるなど、忘れがたい人も多いのではないでしょうか。)
Negroという言葉は、スペインでは特別な差別的な意味を言語としては持たない、とあるスペイン語の教師がいっていたのは嘘ではないと思いますが、いささか問題はあるだろう、という気がします。つまり、blackはnegroであるから、それ以外に言いようがないが、しかし、世界的にはnegroがスペイン語源かもしれないことは忘れられて、奴隷身分におとしめられていた時代以来のアフリカ人達に対して、軽蔑語的意味合いを持たされてしまったという歴史的事実があるでしょう。スペイン人は召使いとして早くから黒人奴隷を使っていたという歴史的先駆者でもあるようです。しかし、そんなに間違った認識でもないと思いますが、アメリカ植民地で奴隷を使ったのはスペイン人ではない、アングロサクソン人だと確信しているようです。どちらにしろ、アメリカで黒人が奴隷として使役された結果としての言語的歴史的コンテクストを、世界の人間は地球規模で持っていることを承知していれば、スペイン国内であっても、私ならアフリカ系黒人の人たちに、negroという言葉を誤解ない文脈でしか使わないことにしたいと思います。このスペインチーム監督、フランス出身のアンリを論評するときに、かつて記者団を前にして、black shitと言う意味のスペイン語negro a la mierdaを用いて言ったことは大きな物議を醸したのですが、この監督の発言は、意図的差別的意識以外の何物をも意味しないだろう、とうけとられました。私の好まないスペインがあるとすると、こうした人もいるという次元です。日本の東京都知事にも、ある種の民族の人たちを犯罪を犯す人種であるかのように表現する無知を誇って居て、こうした人が人気を持つという現実がありますが、こうした日本を見るのを私は好みません。それはともかくとして、スペインの現実生活では、余り一般人の間に差別があるとは思えませんが、これが形をとってニュースになったのを私は始めて目にしました。むしろ今非常に目立つのは、Zapatero内閣が、シャカリキになって、市民権拡大の制度改革をしていることでしょう。これから、世界に反人権的な思想が力を持ってきそうな不安を感じている私の目には、この積極的な国際的意味に眼が向けがちであったので、国内的にも、その必要があるのだ、ということに目がいきませんでしたが、そうしたことも感じさせられる事件でした。
ところで、スペイン人のある人と話してみると、こんな反応が返ってきました。「スペイン人の間ではアフリカ系人種に対して人種差別意識はほとんどない、といって良い。スペイン人自身の中にアフリカ系人種がかなり混ざっているとさえいっても良いからだ。問題のサッカースペイン代表チームの監督は、国際的な記者会見の場にでて、どんな話し方をすればよいのかが全く分からない無知な人間であることを暴露しているとはいえ、だからといって、スペイン人は黒人に対して偏見を持っているというのは適切ではない。それはむしろ、イギリス人の悪意ある反応だ。事を構えるための、オリンピック大会をマドリッドに持ってこさせないための、意図的反応だ」と反発していました。スペインの人種偏見の問題はそこにはなくて、ユダヤ人とジプシーに対してである、とも付け加えていました。公平を期して付け加えておきます。スペイン人とイギリス人の間のボールのやりとりだけではない、言語のやりとりの国際的コミュニケーションの一齣として、興味を持った次第です。