「聖人の日」el dia de los Santos

公共墓地に参る人々

 一昨日11月一日は、アメリカなどでは、日本などでみていますと、何か陽気に死人が踊り出すようなハローインの祭りの日ですね。こちらは、「聖人の日」el dia de los Santosといっているようですが、亡くなった人をまつる墓参りの日です。命日とか、「先祖神」を祀るとかいう事は、云うまでもなく日本人の信仰ですから、こちらの人には通じません。しかし、丁度、仏教で云えばお盆の日のようで、親族一同で訪れるのだそうで、普段は誰もいない公共墓地が人で溢れ、花一杯に飾られます。お供え物はないのですが、生花と人工の花が飾られます。墓地の入り口には、この日に特有な大きなドーナツのようなパンの屋台がでていますが、それはただのパンでしかありません。子供達のために精々普段から朝食などに食べているchocolateチョコラーテ(コップがどっしりと重く感ずるほど濃厚なココア)の屋台がある程度です。静かに家で暮らす一日ですし、お墓のそばには1人、老婦人が、何時までも立ちつくしている姿は、まことに悲しい風景です。当地のお墓には、火葬されていない人が入っているのですから、その気持ちを察してあまりあるものがありました。上の写真の向こう側に見える集合住宅のような建物は、集合墓地です。お棺一つが入るスペースが一室になっているアパートだと想像していただければ良いでしょう。ここ数年に開発されたものです。

 さて、今朝e-mailを開けてみると「はてな」から次のメッセージが来ていました。
はてなをご利用いただきありがとうございます。コメント通知メールは、はてなからお送りしていますが、こちらにお返事をいただいてもお相手には送信されません。つきましては、コメントへのお返事は直接コメント欄に登録していただきますようお願いいたします。」 として、次の私の返信が送り返されてきた。どうせそうなら公開するか、ということで、今日はそれを改めてここに書き込むことにいたしました。

I様
 コメントありがとうございました。「なごり雪」という映画 見ていません。歌は知っています。最近、こちらに来てから、月に一/二本 映画を見に行き始めましたが、また、この頃、面白い映画が各国に出て来始めているみたいだな、と何も知らないながら感じ始めたばかりです。日本では年に2/3本程度、シネマ・クレールにいったことがある程度で、日本映画は実は「誰も知らない」以外昨年度・今年度を通して皆無です。稀に見る非常識男かもしれません。何時の頃か、映画も小説も興味を失いまして、見ないようになってしまいました。小説など酷いもので、大庭みな子がでてきたころのものを読んだのが最後ぐらいでしょうか。定年後、頑張ってみてももはや職業人でありえなくなり、無所属の一市民として生きることに集中しようと思いました。従って、出来ましたら「文赤」で通させてください。といって、別に生まれ変わらなければならないと思っているのではなく、世をはかなんでいるわけでもなくて、力相応に無所属・無職業の生活をしっ かりenjoyして生きようというだけです。そうすると力が抜けて、見回してみる余裕も出来、改めて、映画も、小説も、外国語も、いろいろな方達との交流も出来れば大いに関心を広げてみたい、と思い始めるようになりました。スペインはずいぶん昔の日本のように、沢山の国の沢山の映画を同時に公開していまして、昔の映画華やかなりし日本を思い出させますが、昔と違っているのは、名画座というようなものではなく、各国の新封切り映画が20本ぐらい 毎週一挙上映中という点でしょう。主として、スペインの他、アメリカ映画がやはり多いのですが、南米映画、特にアルゼンチン、チリ、メキシコ、が上映されるのはスペインならではということでしょうか。フランス、ドイツ、イギリスだけでなく、オランダ、ベルギー、アイルランドアイスランドギリシャ、イタリア、北欧、などのヨーロッパ系も時々公開されているのは驚きです。アジア映画も関心が持たれていて、こちらは特集週間とか、各地映画祭などの秀作紹介などの形で特別上映されているようです。日本映画は、年に1回ぐらいでしかありませんが、昨年は日本ースペイン文化センター共催行事ということもあって、10本ぐらいの一挙紹介があったそうです。言語が全部、スペイン語吹き替えで、せめて英語だけでもスーパーにしてくれればと、分かる言葉が聞こえてくることに餓えと乾きを感じますが、そのせいかどうか、映像だけで見ていると、本当に新鮮に見えてくる映画が多いのには驚いています。サスペンス映画など、吹き替えですと、何がどうなって最後のどんでん返しになったのか、分からないままで終わることもあります。アメリカ映画なのだろうと思いますが、(どれも全てが入れ替え制なので、15分後の途中割引ではいったりすると、筋を勝手に想像するまで時間がかかる、)Door in the floorというのがもっとも最近みたものですが、非常に面白く新鮮なのでしたが、結局、人にコメントできる自信が持てないままで映画館を出てきました。封切りは世界一斉ですから、今日本でやっているかもしれませんね。もし見ることがありましたら、わたくしの想像してみていた筋というのを言ってみますから、どの程度あたっているのか、全く見当違いなのか教えてください。 (¡どなたでも結構です!) 頭は見ていません。途中からサスペンス映画かなと思い始めたのですが、どうやら、夏休みか何かのアルバイトで、10代のお終いごろの男の子が、話と挿絵を描いている作家の家にてつだいに住み込みでやってきます。その作家の生活はすさんでいて、モデルを使って絵を描いていますが、イカスミの絵の具を使って、モデルを邪険に取り扱って乱暴な裸体図を描いたりしています。別居中か離婚した妻が居るのですが、その間に出来た少女は、ベビーシッターを使って週に何日か父親に引き取られ、何日かは妻の元にかえって暮らしているのですが、父の家では夜中に奇妙な人間の声を聴き、眠れなかったりします。女の子は、その家に沢山かけてある写真の中の若者、その子の死んだ兄がどこかにいるのではないか、と思っている様子です。手伝いの学生の男の子は、この妻の魅力に引かれ、子供を妻の元に連れて帰ったり、父の元に連れて行くなどするときに、その妻の下着を見たりして、自慰をします。それを妻に見られてから、妻と急速に接近してセックスをくり返すことになります。その妻になる女優の心に病を持つかのような悩ましさの演技は魅力的です。そしてそうしたことの後に破局が来ます。夫である作家は妻を愛しているのですが、勝手な愛は、相手には愛ではありようがありません。彼らは実は同乗していた車を運転していた息子を交通事故で死なしてしまったことがトラウマになっているのです。息子そっくりの年齢の男の子に{母親のように}セックスをさせてやったのではないかという気がします。夫である作家は、遠くに行ってしまった感の妻を取り戻せず、性的な乱行をくり返しているのですが、妻に息子を思いださせる男の子に復讐したい気持ちに駆られます。 男の子と母親の性交場面の声を聴き、恐ろしい声を聴いておびえて飛び込んできた女の子の場面がありますが、父の家でうなされた恐ろしい声は実は家の見えないどこかから聞こえてきた、女の声だったかもしれないことが示唆されます(?)。父が描いていたモデルの裸体画が、実は本当に人格を無視し酷薄に描いた局部の絵だったりするのが示され、この作家とモデルの性が示唆されます。モデルは作家に刃物をもって怒り狂うのですが、最後にどこにいるのかは映画から姿を消してしまいます。最後に長期休暇が終わり男の子の妻との別れが来ますが、息子を旅に送り出すかのような別れのように見えました。その別れのシーンを最後に、その妻もどこに消えていったのかは映 画には何ら示されないままに登場人物から姿を消してしまいます。最後のシーンが分かりません。全ては最後のシーン、密室のような室内の壁に打ち合うテニスのようなゲームの室内で、 作家は体を動かし疲れきって、床に座り、やがて意外なことに体育館の床にあったドアを開けて地下に入っていきます。Door in the floor です。そこで映画は終わります。それはいったい何の結末なの でしょうか?ここまで私は何を見ていたのでしょうか?ということで映画館を出てきました。殆ど聞き取れないキーになる台詞を抜いてしまうと、イメージだけではやはり分からないところがありました。しかし、決してそうではないのだが、母子性交のようなタブー破りのような退廃の緊張があって、目が離せなくなるような新手の?サスペンス映画のようでした。もし、全く違った映画だったとしたら大笑いですが--。こんな手紙や、短編小説のまねごとみたいなことを書いてみるなど、ちょっとweblog中毒にあてられたかも---。個人の内的世界と外的世界の関わりのあり方には、確実に新しい次元が出来て、これからの時代を是非もう少し、一緒に生きてみたいものです。日本では,100歳以上の人口が万の単位に入ったと云うことですし----。

 当分、いろいろなことを教えてください。またコメントをよろしく。