サラマンカに大学生が帰ってきた

中央広場で遊ぶ学生たち

+Salamancaには、週1回、金曜日に発行されるGratisという、その名も「無料」の街の情報紙があります。今日はその新聞の一面から、新学年初めの大学生の話題を紹介しておきましょう。
一面記事の見出しは「学生たちが論争を持って帰ってきた。今週大学に戻ってきた数千の学生たちは、医学部祭の統制と組織を巡ってホテル業者と争っている。」というものです。新入生が入って来て寮やホテルで過ごす最初の数日間に催される新入生のための医学部祭というものが毎年あります。この日は聖ルーカスSan Lucasという医者の守護神の日で、大勢の学生が集まって、新入生歓迎の行事をやったりしているようです。1960年代までは、日本にもまだ大学に寮があって、大部分の地方出身の新入生が寮に入って来て、歓迎の寮祭が行われていたのと同じ風景が、一つの名物として此処の大学町にも見られるのだと思えばよいのでしょう。日本の国立地方大学がまだ大衆大学としてうまれたばかりの1960年代前半頃は、大学生は知識人予備軍であり、エリート層に参入できる唯一の道にはいれたのだと思っていましたが、大学の大衆化という社会変動のもとで、それは「幻想」に変動して行きつつあったとはいえ、まだ、本人たちも町の人もある種の若者の特権を認めていたものでした。だから、学生も一生懸命勉強したし、学生自治の運動も盛んで、ある種の無茶な行動も町の人はほほえましいものとして認めてくれていました。この団塊の世代が起こした大学紛争以後、日本では学生自治学生寮も解体して、団塊の世代の子供たちである今の大学生は学生運動の盛んな大学の風景を見ることはもはやないでしょう。60年代と比べると、スペインでも学生気質はかなり変わったのだそうですが、こうした祭りが学生自治団体によって行われている実質は、昔の日本の面影をしのばせるものがあるように、私には思えます。何しろ中世からの大学都市であるSalamancaの経済は、現在、人口の過半を占める大学生と観光客で成り立っているので、こうした大学祭がどのようにして行われるかは、地元業者の大きな関心の的となっています。然し、金のない大学生にとっても、祭りがどのように組織されるかは大きな問題です。現在、数千単位の学生たちは組織的に街の外部にある緑だけ豊かな公園に集まり、スーパーで買った飲料水やアルコール類を持参して大騒ぎをしているのだそうです。ですから、祭りが終わってできあがった学生たちが帰ってくるのを私たちは見ることが出来るだけです。因みに学生たちのお気に入りの飲料はコカコーラとトニック、ジンとトニック、 或いはcalimochoというのだそうですが、コカコーラと赤葡萄酒のまぜたものmezclaなどだそうです。一般に葡萄酒と発泡水、ビールと発泡水を混ぜたものを飲むことは聞いていましたが、コカコーラと葡萄酒などちょっと手を出す気にはなれません。それはともかく、せっかくのこの学生の大集団の祭りも、地元業者に殆ど稼ぎをもたらさない状態なのだそうです。こうした医者の学部の祭りを何とか街の祭りとしても企画したいと、街の業者団体は、医学部の看護婦団体とONGと協力して独自の催しを企画し様としているが、どうも学生の組織委員会を排除して企画を進めていると言うことで、拙い関係が生じていると言うことのようです。この数日前のプラサ・マヨールの学生の200人程度のシュプレヒ・コールはこれだったんだ、と納得した次第でした。こうした催しをしようとすれば、住民各団体は何らかの合意を形成しなければうまく事は運ばないでしょう。この問題では、学生だからといって無視することは出来ないでしょう。この紛争の行き先はどうなることでしょうか。
 いずれにしても今新学期がはじまり、街は非常に活気に満ちてきました。この月から皆新たな気合いを入れて働き始めたように見えます。