ヨーロッパ憲法の理念とヨーロッパ統一経済政策の必要性

スペイン・カトリック教会は、今度のヨーロッパ憲法批准の国民投票について、「賛成」「反対」「棄権」のどちらをも推賞しない、ということを態度表明したようです。スペイン教会は、ヨーロッパを統合するという目的、そしてそれによって大陸の平和を固めるという事は、優れた点だと評価しています。しかし。同時に、むしろ否定的に問題にする議論の方が多く、特に同性の結婚、養子、中絶、人工生殖、コンドームを用いる人口制限法、等について厳しい批判をしています。本音のところは「反対」なのだな、という受け取り方をして人もいるようです。イギリスの労働党左派の一部 と似た立場の左翼の一部からの、No もあるようです。ヨーロッパ連合の形成には大いに賛成なのですが、あまりに不完全だ、というもののようです。議論としては分からないわけではありませんが、現実のそちらに向けての方向の流れに、現実的にストップをかけるのは私には分かりかねます。
 これはスペイン社会内部に於ける議論状況ですが、欧州各国家間においては、更に厳しく、欧州憲法は簡単に満場一致に決まるような過程を踏んできませんでした。さまざまな個別的条項についての個別的な協定を結び、そうした過程を積み上げた上で、それを総括的に再確認するものが、この度の憲章なのだといわれています。それだけ、非常に努力が要った過程を踏んで、ここまで辿り着いたものといえるでしょう。
 そうした実態は、勿論、現在でも続いていますが、そうした問題を垣間見ることが出来る例として、2月7日のエル・パイスの論説をご紹介しておきます。この論説には、欧州憲法を共有することと、現在の各国が採らなければならない政策の方向性との関連が、示されていて、興味深いと思いますので、この論説をご紹介しておきましょう。


El Pais internacional  2月7日 論説 「リスボン協定の仕残しているもの」 論説委員ホアキンエステファニア
2000年Lisbon15ヶ国首脳会議は、EUをここ10年間で世界の中で最も競争力のあるところにしようと、いわゆるLisbon agenndaを決定し、ヨーロッパ経済政策目標を設定した。しかし、その目標を達成するための手段は得られず、今年、ヨーロッパcommisionのpresidentのM.D.Barrosoは、この協定をより現実的で、よりユートピア的でないものにしようと、目標修正した構想を提案しようとしている。これは丁度ヨーロッパ憲法賛成の過程と時期的に合致している。憲法で縛っている各国政府のクリアしなければならない経済政策目標のバーの高さに抵触するような修正案でよいものかどうか、という問題をこれは含んでいる。EUの現実は、GDPの3%から2%へと成長の勢いを失っていて、2004年に4%を維持して米国を抜くはずであったが、現実は後塵を拝し続けている。「安定と成長協定」は酷く叩かれ、先行きの分からない改革が提案されている現在だ。ヨーロッパ連合は単一の経済政策を持たず、ゲームのルールもない、とこの論説はいっています。憲法の規定は、ヨーロッパ単一の経済政策を持つべきだと言っている。しかし、現実のところ、ヨーロッパ全体の経済政策として機能している唯一のものは、ヨーロッパ中央銀行の行動だけである。これをアメリカ合衆国アメリカ連邦reserveのように成長と雇用の両方を含んで機能するようにしようというのが、バロッソの改革の焦点のようである。
 ヨーロッパ憲法seccion2,貨幣政策のArticlo3,185はヨーロッパ中央銀行の役割は物価の安定だ、と定義しており、目的の達成のために機能するように一般的経済政策を支持しなければならない、としている。ここでいう経済政策の目標とは、自由競争とサステイナブルな開発、完全雇用、社会進歩などが両立することを目指した、バランスある社会市場経済である。しかし、改良する今回のリスボン協定は、2010年に、ヨーロッパ雇用率を70%にする(次の5年間に2200万人の雇用を創出しなければならない。)というような達成できない目標は放棄するというものである。
もう一つの改革の焦点は、公衆の教育レベルの上昇で、R&Dの公共投資の3%を達成し、同時に特にテレコミュニケーションとエネルギー部門の自由化を進めようと言うものである。ComissionのプレジデントBorossoは、「経済成長は病んだ子どものようなもので、他の二人はどうであれ、とりあえず親は病んだ子どもに集中して治療しようとするものだ、それは他の二人はどうでも良いと言うことではない」、と述べている。他の子どもとは社会政策と環境政策のことを意味しているようである。ヨーロッパ議会の社会主義議員集団は直ちにこれに反応して、「ヨーロッパ社会モデルはヨーロッパ連合の性質にとって本質的なものである。だから、取るべき政策は経済、社会、環境の局面がバランスを達成するようなものでなければならない。あるものが他よりも長い腕を持つものではあり得ない。」と批判している。
 この憲法の趣旨に従ってヨーロッパ経済政策の目標を設定するとすると、例えば、ドイツの現状からすると、ドイツの目標はどうなるか? ドイツは、現在失業者は500万人を超え、成長の2005年見込みはGDPの1.6%で、昨年よりも悪化している。
ここ3年間の公共赤字はGDPの3%を超えていて「成長と安定協定」によって設定された基準を割ってしまっている。成長と雇用の悪い趨勢を変えるためには、ドイツは財政の調整を続けるか、或いは、拡張し、寛大なドイツ福祉国家の蔭で成長した悪弊と接ぎ木を取り除いていく作業を続行していく他に、経済を刺激し経済の弱さを克服することを目指す新たな手段の方向を探さなければならない、ということになる。
 以上が、論説の内容です。このように、現実は容易に夢を抱き続けることさえ許さないかのようです。私たちは、現実の社会変動の中で、過去の夢が崩壊し、目指すべき社会の全体像を見失い、政治に夢を描かなくなりました。しかし、これは私たちが犯している重要な過ちだと私は思っています。「ヨーロッパ人」が一つの「ヨーロッパ」を作って、今や1国家がなしえない問題解決を図っていこう、その中心にあるユートピア理念の一つ、福祉国家を維持し発展させていくことを、永久平和と環境保全の他の二つのユートピア理念と共に、世界社会形成という具体的方法を介して、追求しようとしているのです。可能性があり、現実に一定の進行を示した現実性を持った「夢」を描くことは、政治過程を活性化していく事を可能にするのではないでしょうか?私たちも、アジアの一郭にあって、私たち自身のユートピアを追求していく事、それが、私たち人類を今一度、哲学を持つ動物に生き返らせることを可能にするのではないだろうか、と夢想しています。