スペインの陶芸家ホセ・アントニオ・サルミエント展

陶芸作家 Jose Antonio Sarmiento 展というのを、今サラマンカSalamancaの日西センターで開催しております。
 私はこのホセ・サルミエントさんを当地に来てから偶々知ることになり、スペインでは大変珍しい「登り窯・穴窯」を日本で習得し、レオンでこの窯を自分で作り、独特のスペイン陶器作家として、独創的な作風をうち立てつつある事を知りました。この展覧会を開催するにあたり、日西センターに紹介させていただいたことでもあり、是非日本の皆様にも紹介させていただきたいと思い、筆を執ります。
私は陶芸には全くの無知であり、紹介する資格もありませんが、しかし、1人の鑑賞者として、今回の展覧会では、会場の都合で数少ない作品をもってこられていますが、独特の境地を完成しつつあることを痛感いたしました。先ず作品を見ていただきたいと思います。
最初に、抹茶茶碗を見ていただきましょう。


大ぶりの抹茶茶碗を意識して作られたことは明らかですが、当地の赤土のような土を使って、備前焼に共通するところもありますが、赤い溶けた独特の色合いを出していて、落ち着いた品性の高いものになっていると思います。日本に持って帰ることの出来る大きさのものはこれぐらいしかないこともありますし、是非持って帰りたいものと思います。


展示会場の全体と、観覧中の人物の大きさとで判断していただきたいのですが、どの作品も、日本人が作成する陶器の大きさよりは、ずっと大きめなものを構想しています。彼は道具を作成することに大きな関心を持っていますが、同時に、彫刻とも異なる、一つのオブジェとして陶芸を考えているのではないかと私は感じたりします。彼の作品には、私の個人的な感想としては、大きな自然、天空を含む大地の空間的広がり、スペインのカスティリア・イ・レオンの里山、そうしたものを、瞑想し、観照して静かに、一つの形象を持ったものとして、オブジェとして捉え、作品に仕立てた、という感じがするのです。里山といっても、日本の里山を連想なさらないでください。村のある里山は、標高が1000メートル前後ある高い一見平野のようなところから、あるところではなだらかに見下ろす谷間に向かって、畑が広がる形で存在します。あるところでは、全体が岩からなるような断崖絶壁の下に川が流れ、丘の頂点だけが広く平らな広い帯となって、川に沿って広がり続いている、というような形になっています。谷間の方は大きな裂けた岩が累々と連なり、人の暮らす頂上は大きく丸い天空から続いて、なめらかな円球状の形状をなしているように思われるでしょう。それが360度の角度で里にいる地上の人間の目に入ってきます。つまりラティフンデューム型の大土地所有の農業経営をしてきた、岩と僅かな牧草とドングリの森だけで境界がみえないくらい広い荒蕪地の農業で暮らしてきたこの土地の人にとって、里山の自然は、天球のようなイメージとなるに違いない、と私は想像します。


彼の「天球」という一連の陶器は、大きな置物をかねた壺ですが、花を活けるもよし、庭に面したコリドールに置くもよし、床の間に置くもよし、瞑想の場に相応しい置物とも思われました。まさに、カトリックの国の人の姿勢を感じます。
 もう一つの竹林か、樺の林を思わせる一群の灰色の花器がならべてあります。


枯れ枝と椿の活け花は、作家自身が活けたものです。これは何と日本的な感覚の、活け花の世界でしょうか。活け花の各流派が競う展覧会などを東京などで見るとき受ける「現代的日本」の商業的華やかさ、高価さとは極めて異なって、私には、私の祖父などにみたかつての日本人の魂の落ち着きを覚えるのです。「足りまして御座います」というか、消費の「満足」とはこういうものなのだろうと、是非、経験してみていただきたいと、つい生意気なことばが口に出かかります。


彼が自身のポスターに選んだ「傾いた花器」は、彼が掴みだした形です。彼はこの形を自分自身のスタイルとして創造的に掴みだしたのでしょう。それは、どの作品群のそれぞれにも感ずることですが、いずれも彼自身の掴みだした形象であることを、私は強く感ずるのです。ホセ・アントニオ・サルミエントを賛美するものとして、この紹介を書かしてもらいました。きっと、瞑想好きなスペイン人と、多くの日本人こそが、彼を高く評価できるだろうと思います。

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